■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 41号

2008-04-06 | 創刊~100号

       こならの森41号1991.9.1発行

表紙/岩舟コスモス=三毳山=広角

C O N T E N T S

■こならの森9月号■

2…看板娘・庭田悦子さん
3…町・「カタクリの里」
5…特集 池・沼に注目@ 
13…若き芸術家の世界 田中重光さん
17…インホメ91 《芸術の秋特集》
21…カラムコラム・街角の肖像
22…結婚します。
23…モータースポーツWORLD
24…アウトドアースクール
25…新米ママ奮闘記 山田さん一家
26…書評・絵本紹介
27…情報コーナー 佐野市
28……………………館林市
29……………………足利市
30…映画情報・ブックストップ10 
31…協賛店MAP
33…こならの森から~



【本文抜粋記事】

特集 湖沼にこだわる

【池? 湖?】
 池・沼にスポットをあてると、いろんなことが見えてくる。そんなことを探してみませんか。池、沼、湖とランクはされているが、それだけではどうも割り切れないものがある。上高地の神秘的な湖?は大正池と言う名前が付いている。池だから汚いとか、見る価値もないというのは偏見。沼はどうであろう、ただのよどみともとれかねない。 三毳山には、たくさんの溜池がある、というより残っているといったほうがいいかもしれない。
【名水百選】
 さて、池といわれるとまず真っ先に思い浮かべるのは、名水百選に選ばれた出流原の弁天池だろうか。しかし、この池も野放しでは名水どころが泥沼になりかねない様相だ。汚れてもすぐきれいになるからまだいいが元が汚染されてしまったらもうどうしようもない。富士の押野八海で今流れている水は何十年前に降った雨のものと言われている。弁天池でもそれくらいの流れをへて湧き出ているに違いない。そうすると元が汚染されているということになれば、その元が元に戻ったとしても、その後何十年も汚染され続けるということになる。こうなっては手遅れなのだが…
 だから、埋もれてしまいそうなこの池と沼に光を当ててみたい。
 三毳山には、熊沢蕃山が作ったという歴史的な水路と池がのこっている。また四季折々の風景がまたたまらなくきれいなのだ。
  信州の松原湖は、大小の池がいくつか集まってこの湖の名前になっているという。だから松原湖は特定の一つの大きな湖を指す言葉ではないということだ。また、信州の地元ではかつて〇〇池と言われていたあまりパッとしなかった湖が、女神湖と名前が変わってから爆発的な人気になったということも聞く。〇〇池〇〇沼というより湖とつけると響きが断然違ってくる。
【リバイバル】
 残念ながら安佐地区に湖はない。こんな平野部に湖があったら大変だという気もしないでもない。かつての越名沼を、干拓したのにもかかわらず、また水を張り、湖にしようというはなしもある。これも沼という名称をやめ阿曽湖とか、三毳湖、とつけるといいかもしれない。
【湖の一生】
 その湖にも人と同じように一生があると言う。湖として水をたたえながらも、土砂が流れ込み湿地化してやがて陸地になってしまう。今話題になっているの戦場ガ原がまさにそうである。そして先の大正池にいたっては現在、土砂でほぼ埋まってしまっている状態と言う。逆に長寿なのは日本一という琵琶湖。数百万年も生き延びていると言うことだ。また、今では透明度世界一と言われたバイカル湖も汚染被害に会い、透明度四十二メートルどころか五メートルがやっとという。ならば摩周湖が世界一ではという期待も出てくる。何しろこの湖には流れ込む川が一つもない。つまりは汚染源がないということなる。そして一年の何カ月は雪に覆われ人を寄せ付けない。道なき道を下り、湖面まで降りて来たという人の貴重な話によれば、限り無くすんで宝石のようにきれいだったと言う。
 話はだいぶそれてしまった。こうまで書いておいて、沼や池の話をするのはつらいが、さにあらず。三毳山の北西部には沢山の池が今でもひっそりとたたずんでいる。絶滅の危機に瀕しているというフジバカマもかってはいたるとこに生息していたが、今ではさすがに見つけるのは困難。しかしながらそのそばでは花木センターが建設されているのは何とも皮肉なことのようだ。
 花木センターわきの夏草の生い茂る「万葉のみち」と名ずけられた道を行く。好きで良くあるった道だった。この道への入り方は難しい、地元の人しか知らない道だった。それを行くと、深い森の中に囲まれた二つのため池が現れる。あまりに森の中なのであぜんとしてしまうのだった。
 三毳山に詳しい人の話によると、こんな池は回りのあちこちに存在しているそうだ。オフロードバイクにまたがり、道なき道に分け行って探し歩く過程がよいともいう。それは、想像以上の発見を約束した。森の中の池を発見すると自分が最初に発見したかのように興奮し、勝手に名前をつけて回ったと言う。清水の池、妖精の湖と思いつくままにつけてアンシャーリーの陶酔に浸っていた訳だ…。これも今となっては誠にうらやましい話。 唐沢山近辺にも沢山のため池があるが、隠し湯的な神秘性はないような気がして残念だ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿