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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 45号

2008-04-07 | 創刊~100号

       こならの森45号 1992.1発行
表紙「遊水池=船とあし」

■こならの森1月号目次■.

2…今年のこならの森は~
3…新春・初笑い
5…カラムコラム・街角の肖像OCR済
6…結婚します 田辺さん夫妻
7…特集 女性が変わる個・性が変える 
17…青春の断想・きれい瞬間
19…歴史街道をゆく
21…トピックス
22…インホメーション 92 映画情報
25…モータースポーツ・珈琲
26…アウトドアー・スクール
27…情報コーナー@佐野市
28………@館林市@足利市
29……新米パパ・ママ奮闘記・ブックストップ10
30…書評・絵本紹介
31…協賛店MAP
33…こならの森から~


【本文抜粋記事】


いきいき女性セミナー講演 
「今、女性に求めるもの」  
(佐野市文化会館小ホールにて収録)

【講 師】山下泰子さん
文京女子大学教授1939東京都生まれ。
中央大学大学院法学研究科博士課程終了。
国際女性の地位協会常務理事。


■自立の精神を持ちましょう。
 民主主義は、個人主義を基礎として成立します。日本国憲法十三条は、「すべて国民は個人として尊重される」といっています。日本国憲法の下では、私たち一人ひとりが、独立した人権の保持者であり、国の政治の在り方に最終的責任を負う主権者です。これは、明治憲法の時代とまったく様変わりした点です。明治憲法の下では、「家」制度が、がっちり封建制を支えていました。各々の家の全責任とあらゆる決定権は、戸主権の下、「家長」が握っておりました。そうした各戸の上に、日本という一家の長として万世一系の天皇が君臨し、支配する完全なヒエラルヒーが成立していたのです。家制度の下、相続権は長男にしかありませんでした。女性はもちろん、次男や三男も親の財産を受け継ぐ資格がありませんでした。
 日本は、第二次大戦に負け、ポツダム宣言を受諾したことが契機となって、民主的な憲法を持つことになったのです。日本国憲法は占領下で制定されましたので、さまざまな問題を引きずることになりました。外国人による「おしつけ憲法」という人もいます。でも、もし日本人独自で制定したら、これだけすばらしい内容になっていたかどうか疑問です。誕生以来四五年にもなり、日本国民にじゅうぶん定着した憲法をいまさら「おしつけ憲法」だからよくない、というのは理由がないと思います。
 さて、憲法は、十三条で個人の尊重を謳い、二四条で婚姻が両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦は同等の権利を持つ、という新しい家庭の在り方を保証しました。このことは大変大きなことです。個人が「家」にしばりつけられていたのでは、民主主義も女性の解放もあり得ません。自立した個人が、それぞれの意思で家庭を営んではじめて日本国憲法の意図に合致する生き方ということになりましょう。
 ところが最近、日本社会は、豊かさの中でともすれば急激に逆戻り現象を起こしているのではないか、という不安にかられます。もしかしたら、戦前の状況に向かって坂道をかけおりているのではないか、心配です。典型的なのが、結婚式です。披露宴の招待状は、だいたい父親の名前ではありませんか。私、学生たちに申します。「父親の名前の招待状だったら、私はいかないから(笑)。ちゃんと本人たちの名前で出しなさい。結婚式場へいって、〇〇家なんて書いてあったら帰って来ちゃう」って。どうぞ、お母さん方も、何百万円もお金を出さないでください(笑)。私の二五年前の結婚披露は、会費制でした。時代が違うとおっしゃるかも知れませんが、とにかく、親が過保護だとろくなことがありません。どんどん若者を無責任にするばかりです。

■経済的自立を心掛けましょう。
九月二六日の朝日新聞に、ある外資系の生命保険会社が東京都の二三区内に住んでいる主婦五〇〇人を対象にアンケートをした、という記事が載っていました。それによりますと、妻名義の財産を持っていない人が三分の一いたそうです。そのうち、何と六〇パーセント以上の人が職業を持っているのです。仕事をしている妻の、二割くらいが自分名義の財産を持っていない、というこの調査結果に驚いて、その保
険会社は、つぎのようなコメントを発表しています。
 「妻たちは、もう少し自分名義の財産を持っていると思っていたが、意外に少ないのに驚いている。夫に頼りきっている妻が多いのだろう。男性中心の日本社会の構図が反映しているようだ。しかし、夫が妻に財産を譲る場合、多額の税金がかかるなど、税制上の問題もある。もし離婚の場合、日本では財産の一割程度しか妻には渡らない場合が多い。自分名義の財産が無いと不利なのは妻の側なのに…」
日本の妻たちは、夫の不倫には厳しく立ち向かうのに、経済面で
はあまりにも呑気すぎるといわれます。どうぞ皆さん財産を持ってください。経済的な基盤をがっちり押さえてください。数年前に、ある団体が宇都宮近辺でアンケートをしました。そこに、妻が収入を持っている場合、誰がその収入を管理しますか、という項目がありました。私は、それをみて、意味のない質問ではないか、と思いました。自分の収入を自分で管理しない人などいない、と思ったからです。ところが、その調査結果では、都市部の十二パーセントの妻、農村部の三一パーセントの妻が、自分以外の人が管理する、と答えています。では、誰が…。
 農村部では、夫と舅。都市部では、姑が管理をするというのです。自分は、仕事をしに外へ出ている。その間に子どもの世話や家のことをお姑さんにみてもらっているから、月給を渡すのでしょうか。それも結構ですけれど、まずは、自分の稼ぎは自分のものとし、夫婦の収入から毎月一定の金額をお姑さんに渡すのがスジというものでしょう。

■妻の財産形成のために
 皆さんは、日本の民法が、夫婦別産制をとっているのをご存じですか。夫のものは妻のもの、妻のものは夫のものではありません。現在、サラリーマンの場合、夫の収入はだいたい銀行口座に入金され、夫名義の口座から、妻がキャッシュカードで下ろして使っています。ですから、普段はちっとも不便はない。むしろ妻が下ろした中から夫にお小遣いをあげて優越感に浸っている方もあるかもしれません。しかし、夫の貯金は、法的には妻の財産ではありません。夫がだれかに貢いでしまっても文句はいえません。いま、皆さんが住んでおられるお住まいも、もしそれが夫のものであれば、処分されても仕方がないのです。財産とはそういうものなんです。 では、どうしたらいいのでしょうか。まずは、妻自身の貯金通帳をもってください。そして、年間六〇万円までの贈与は非課税ですから、次月五万円づつ夫の給料から天引きして、あなたの通帳に移してください。勿論夫の了解をえなければ駄目ですが。夫に生命保険の受取人は、何方ですか。ほっておくと、保険会社は、本人名義にしていますよ。そうすると、亡くなったとき、相続財産の一部にされて、あなただけのものにはなりません。二十年以上続いている夫婦の場合、現在住んでいる住宅について、二〇〇〇万円までの贈与が非課税ですから、夫から贈与をうけて、共有名義にしておかれてはいかがでしょうか。早速、登記所へ行ってください(笑)。二〇〇〇万円分自分の名義にしておけば、家が人手に渡るようなことは防げます。夫の財産形成には、きっと妻が多大な貢献をしているはずです。それがすべて夫名義になっているとしたら、せめて早いうちに妻に残すという遺言を書いておいてもらうことです(笑)。笑ってらっしゃるけれど、本当に大切なことですよ。
 最近、私のところも遺産相続やらありまして、夫が私への遺言状を作ってくれました。それも公正証書遺言という完璧なものです。明日何が起きても不思議ではない世の中です。まずは、経済的な自立の精神をもってください。どうぞ、今日からでも
(笑)。文化会館で、山下泰子という人の話を聞いたら、その人は最近夫に遺言を書いてもらったといってニコニコしていた、ウチもどうかしら、っておしゃってみて下さい。

■アイデンティティとは?
 ここに、ある婦人学級の感想文があります。「預けられなかった私─三歳児神話に囚われた閉塞状況の母と子」というタイトルです。この人は三歳児神話に囚われ母親は片時も子どもの側を離れず、世話をしていなければ駄目だと信じきっていました。そして、四六時中、一から十まで子どものことばかり。そんな中で、数年の後には、漢字は書けなくなり、判断力はなくなり、ついには、自分という存在すら失っていたのでした。
 ある時、一大決心の下に婦人学級に参加し、目のくらむような体験をしました。講座では、「〇〇さん」と名字で呼ばれます。それまで、長いこと「カナちゃんのママ」としか呼ばれていなかったので、はっと我にかえりました。子どもは子どもで、保育者を信頼し、楽しくてしょうがない、という様子でした。友達とも遊べるようになりました。そして、その母親は、「自分と子どもは、別の人格だ」ということに気づいたのです。子どもの自立を願っていたはずなのに、いままでの自分はいったい何をしていたのか。自立していない母親に自立した子どもを育てられるはずがない、と覚るのです。
この人は、非常にすばらしいことを体験から認識したのです。なにより個の自覚です。アイデンティティの大切さです。子どもは決して、親の一部ではないのです。そこのところをはっきり自覚していないと、親子心中に行き着くことになります。親子心中という思想は、欧米にはありません。日本だけです。どんなに母親が死にたくても、子殺しは、決して正当化されるものではありません。
 日本では、親殺し重罰観の裏返しとして、子殺し軽罰の思想がありますが、欧米では、親子心中は、れっきとした殺人です。個人主義の原理を私たちもしっかり学ばなければなりません。

■自己決定権ということ
 子を産むことの選択から死んだあとのことまで、いま、私たちは自己決定することの必要性に囲まれています。そのためには、自立した個人であることが不可欠です。
 私はたまたま子どもを産まないという選択をしました。いま、子どもを産む、産まないという選択は母体である女性の自己決定にまかされるべきだ、という主張か行われています。中絶は一般的にいえば、まず刑法上の堕胎罪を構成します。現在、日本で行われている妊娠中絶は、優生保護法にある経済的理由の拡大解釈によって、行われています。また、中絶には、夫の承認が必要とされていますが、これは必要ないのではないか、という議論があります。チェコスロバキアなどは、法改正し、本人と医者だけの判断で妊娠中絶ができることにしたのです。プロ・チョイス対プロ・ライフの論争で、いまアメリカでも議論になっています。皆さんも、どうぞ考えてみてください。

■夫婦別姓について
 つぎは、結婚の時の姓の選択の問題です。日本の民法七五〇条には、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」と規定しています。つまり、実の姓をとろうと、妻の姓をとろうと民法の規定からは自由とされています。ところが現実は、どうでしょうか。九八パーセントもの夫婦が夫の姓をとっているのです。一見、平等に見える規定も、事実上の平等には程遠い、現実があるのです。
 皆様、とう感じていらっしゃいますか。夫の姓を取るのが当然で、妻の姓をとったら、お婿さん、とか思っていらっしゃる方が多いのではありませんか。まったく、平等の選択枝だと思っていらっしゃらない方か多いのではありませんか。ちなみに、もし妻の氏をとったとしても、夫は養子ではありませんから、改めて親との養子縁組をしないかぎり、妻の親の遺産の相続権か発生するわけでもありません。
 これは、完全に「家」制度の残滓です。女は、結婚によって夫の家に入るという考え方です。私自身も、二五年前、大したこだわりもなく、夫も姓をとってしまった一人です。このあたりを、私たちは反省とともに、もう一回よく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

■姓は人なり。宇野千代さんのこと。
 女性問題で短命に終わった宇野宗佑総理大臣のお家は徹底しています。毎日新聞にこんな記事がありました。近江の造り酒屋の旧家である宇野家では、妻は宇野家に入ることによって、娘時代の姓を失うばかりか、名前も失うのだそうです。宇野さんの奥さんは、本名を「千代」というのに、宇野家が与えた通称が、「弘子」です。いままで選挙の応援も何もかも「宇野弘子」でやってきたのですが、夫が総理大臣になり、ご自分はファースト・レディになったのですから、通称ではまずかろうというので、本名を名乗ることにしたそうです。「宇野さんの奥さん、変わったの?」っていったかどうかは、定かではありませんが、とにかく選挙区で混乱がおきたということです。きわめつけは、お墓です。宇野さんのお母さんは、宇野家があたえた名前で葬られているのだそうです。あの世で、血を分けた親兄弟に再会できたでしょうか。なんだか悲しい話です。結婚衣装の白無垢の意味を考えたことがおありですか。白無垢を着ることによって、女性はそれまでの自己自身を失い、実の家の仕来りに新しく染め変えてください、という意味です。身も、心も、姓名まで変え、白紙の自分を捧げます、という結婚では、憲法の意味がまったく死んでいます。
 それでは、妻の姓をもっと夫が名乗るようになればよいか、というとそれも新たな問題を発生させるだけです。そうではなくて、夫は夫の、妻は妻の、結婚前の姓をそのまま維持してもよい、ということにする以外に解決方法はないと思います。そこで、いま、夫婦は別に共通の姓である必要はないのではないか、夫婦別姓で、よいではないか、ということが主張されているのです。私が六月一八日の朝日新聞「論壇」に書いた内容は、ドイツの判決についてです。「生まれたときの姓名は、その人の個別性と同一性の表現」だ、と判決は述べています。ドイツでも、夫婦は同一の姓を名乗らなければならないことになっており、もし、合意に通することかできない場合には、自動的に夫の姓か夫婦の姓になる、という規定でした。今年の三月、連邦憲法裁判所は、はっきりこの規定は違法だといい、法律の改正を命じました。
 夫婦のどちらかが結婚によって、自己のアイデンティティを失うことになってはいけない訳で、夫婦は別姓でも何ら差し支えない、というのかいま私たちが主張していることです。もちろん、夫婦同姓にしたい人はそうすればよいので、そこに選択の余地を設けようというのです。多分、三年後ぐらいにはそうなるのではないか、と期待しています。
 昨年度の一人の日本女性の産む子どもの数の平均は、一・五三人になりました。ということは、一人っ子か、せいぜい二人っ子しか世の中にいないんですから、姓にこだわっていたら、みんな結婚できなくなってしまいます。女性の社会進出から問題提起がはじまったことではありますが、こうした社会現象からも夫婦の姓は見直されなければならない時を迎えています。

(中略)

■どう死ぬかも自己決定すること
 いま、脳死は人の死か、とか、安楽死の是非が、問題になっています。生命維持装置が開発されたお陰で、なかなか死ねなくなりました。これも、基本的には自己決定の問題です。リビング・ウィルといって元気なうちに自分で、意識不明になったら生命維持装置は付けないでください、という意志を表明しておくのがいいと思います。そういうことを推進している日本尊厳死協会というのもあります。さらには、死後どう葬られるか、という問題もあります。「散骨」といって、骨を粉々に砕いて、海に撒こうというのです。法務省が、これは違法ではない、との見解を発表し、実際にそうした方があるんですね。
 有名な方では、ハーバード大学の日本学の教授で駐日大使を勤められたライシャワーさんが、ご自分の意思で見事な亡くなり方をされました。リビング・ウィルによって、延命装置は一切付けず、灰は、太平洋の懸け橋に、とおっしゃって、海に撒かれたのです。周恩来も、インディラ・ガンジーも遺灰は、川に流されました。インドでは、そもそも聖なる川に流がすのが、伝統的な葬り方です。
 さあ、いろいろなことをお話してまいりましたが、要はただひとつ、私たちがもっと自分というものについて、生き方にも、死に方にも、自覚と責任を持たなければならない、ということです。これは、男性も女性も同じです。とりわけ女性は三従の教えよろしく、親まかせ、夫まかせ、成長した子どもまかせでよしとしてきましたので、意識してはっきり自分で、自分のことを考え自己決定しなければならないと思います。

■父親も取れる育児休業法
 今年四月、日本でも「父親も取れる育児休業法」が作られました。来年四月一日に施行されます。この法律で、父親も一年間の育児休業を取れることになったのです。その間の給料が払われないのに保険料を払わなければならないとか、いろいろと問題もあり、父親が育児休業を取るケースは少ないだろうと思われますが、とにかくこの法律ができたことの意義は大きいと思います。このような法律ができるなんで、つい一年前は考えられませんでした。日本でできる育児休業法は、女性のみを対象とするものだろうといわれていました。それが蓋を開けたら、男性もとれる育児休業法になっていました。何故そうなったのかと申しますと、例の1・57ショック(一九八九年度合計特殊出生率)が直接の引き金だったのです。日本の女性たちは子どもを産まなくなりました。そこで、国は「健やかに子どもを生み育てる環境づくりに関する関係省庁連絡会議」というのを作り、どうして女性に結婚し、子どもを産んでもらうか真剣に検討したのです。その対策の一つが育児休業法であり、国際的には男も取れるものが一般的だというので、これを取り入れたのでした。
 そうした経緯ですから、どうも真に女性のための施策というには程遠い感があります。朝日新聞の天声人語がそこのところを皮肉って、「なにやら世継ぎ欲しさに側妻をいたわるお殿様の姿が見え隠れする」といっています。
若年労働力が減り、経済力が低下したら困る、という財界からの要請が政界を動かした、という観測です。これでは問題の根本的解決にはなりません。お殿様というのは移り気なもので次の側妻を好きになれば、心変わりをいたします。他に労働力が確保できたり、OA機器の開発や経済の縮小傾向など、そんなに労働力がいらない状況がでてきたりすれば、現在の政策はぱったり止んでしまうと思います。やはり女性自身が自覚をもって自分たちの問題解決にあたらなければ駄目だと思います。

■女子差別撤廃条約の意味
 さて、自己決定するためには、考える材料が必要です。そこで、私たちをとりまいている法的状況を知っている必要があります。国連の婦人の地位委員会が、一九九〇年に、ナイロビ将来戦略見直し勧告を発表しました。その中で、いま、各国がやっておくべき女性関係政策の、第一にあげているものが法律識字能力を高める、ということです。私は皆さんに、いま世界一〇七もの国が加盟国になっている女子差別撤廃条約を知ってほしいと思っています。私は、国際女性の地位協会という団体を作って、その普及活動をしています。女子差別撤廃条約は、一九八五年に批准をしたことにより日本の国内法になりました。どうぞ、折にふれて条約を読んでください。条約は、法律上の平等ばかりでなく、事実上の平等をはかることを目指しています。国家や地方公共団体による差別は勿論、個人や団体や企業による差別も撤廃するよう要請しています。世の中の慣習・慣行における差別も撤廃することを求めているのです。たとえば、先程申し上げた夫婦の姓についても、一六条一項b号で、はっきり、夫と妻の同一の権利、特に姓を選択する権利を上げています。

■女は土俵に上げない?
 森山真弓さんが官房長官だった時、大相撲の総理大臣杯を優勝力士にあげようと思ったら、女は土俵に上げない、といって相撲協会から断られてしまいました。あれは、明らかに女子差別撤廃条約の違反です。では、相撲協会に直接、国連のチェックがおよぶのかというとそうではありません。国内にそうした差別的状況があることを許している政府が責任を追求されるのです。
 国連に女子差別撤廃委員会という二三人の、世界の女性問題専門家で組織する機関が設けられました。各締約国は、四年毎に自国の条約進捗状況についてのレポートを提出し、この委員会の審議をうけることになっており、その中で問題点について指摘をうけることになります。いま、日本は第二次レポートを準備中です。
 森山さんが、官房長官のままだったらご自分の問題にご自分で答えなければならないようなことになったのかもしれません。森山さんは、参議院議員選挙での自民党凋落と与野党の逆転、女性の躍進をバックに官房長官に任命されました。テレビで拝見していてもテキパキものごとを処理なさる名官房長官だったと思いますが、次の衆議院議員選挙で自民党が安定多数を取ると、人気取りのお役目は終わったとばかりに、サッサと引っ込められてしまいました。大変残念なことでした。まだまだ政界での女性の場は不安定といわなければなりません。

(中略)

■治者盗みをなす
 佐野市は、田中正造の生地ですね。今年は正造翁生誕一五〇年、「天の監督を仰がざれば凡人堕落、国民監督を怠れば治者盗みをなす」という正造の言葉をテレフォンカードにした市民団体があるとの記事を読みました。私たち一人ひとりが、自立の精神をもって、堕落せぬように自己管理し、政府や地方自治体のやることをきちんとチェックする│そこに民主主義の原点があると思います。
 「しなやかに個性、のびやかに女(ひと)と男(ひと)」というのは、今年の婦人週間のテーマです。男女平等とは、性による垣根を外し、個性による選択で人生を拓いていくことだと思います。そうした文脈で、「いま、女性に求めるもの」―それは、しっかりした自己の確立、自立の精神に他なりません。

 御静聴ありがとうございました。



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