■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森138号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森138号■1999.10発行

表紙 「みかも岩舟コスモスひき 」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

3pとしこの巻頭詩「とうがらし」
4p-7p JC
8p やんばる
9p 結婚 深田さん
10-11p NAZA「4」
12-19p ロマンチック街道
20-21p 協賛店・MAP
22p 現代国語
23p 書評「」・絵本紹介「」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「マック」

■■■■■■

【本文抜粋記事】

ロマンチック街道をゆく

■ロマンチック街道
 ドイツロマンチック街道にはドイツローマン派の詩人たちが住み、あるいはこの街道を訪れて作品を残しているという。日本ロマンチック街道も日本における最もドイツ的景観をもち、日本ロマンの歌人、詩人たちが住み、または訪れていて作品を残している。
 『ロマンチック』というのは本当にロマンチックだ。一番、日本人を酔わせる最もロマンチックな言葉は、やっぱりロマンチックなのだろう。と、わけのわからぬ言葉になってしまった。ロマンチックという響とは裏腹に、辞書を引いて日本語化すると=[空想的な]や、[夢想家]という言葉がでてくる。あの有名なK辞典でさえもこれほどボキャヒンなのだ。それは、日本人そのものがボキャヒンだということだろうか。相手(カタカナ文化圏)は二十数字しか文字をもっていないというのに………。
 それはともかく、これでは、あまりいい言葉のようには聞こえない。洋画などの会話で「あなたってロマンチックな人なのね」と訳すのと「空想家なのね!」と訳すのでは全く意味が違ってしまう。

14p
■どうでもいいことだけど、ちょっとこだわってみました。『ロマン』か『ローマン』か?
 浪漫(ろーまん)。このワープロでは、[ろまん]と入力しても、ロマンとしか変換されない。では[ろーまん]では? これも[ローマン]で、浪漫とは変換されない。いったいどう入力したら変換してくれるの。
 編者が高校生のときの国語の授業中に、浪漫主義というのをロマン主義と読んだら、回りからブーイング、『ローマン』だろうと回りから問い詰められた。先生はというと、無言………つまりどっちでもいいだろう、というのが彼の解答だったが、本当はどうなのだろうか。
 『ロマン』を無理やり日本語化したものが浪漫という漢字なのだろうが、『ローマン』というと、ローマ風の、ローマ人のという意味合いもあるのでは………いろいろあちこち手を尽くして調べてみたが、釈然とはしなかった。どうやら『ローマン』と『ろうまん』は違うものらしい。

 宇都宮のろまんちっく村もろうまんちっく村にしてほしいよな。
ああ、ひがみっぽくなってしまった。


■上田ローマン橋はどうして、『ローマン』なのか、よく分からない。大きなアーチがローマン=ローマ風に優雅なのかも知れない。
 結局ローマンかロマンかよく分かりませんでした。でもローマンが正しいのなら、ロマンスもローマンスと言ってほしいよな。こだわりの一言でした。ロマンのほうすっきりしているし、浪漫だと冗漫みたいで、まどろっこしい。

ロマンチック街道
プロローグ
 鹿沼町の293線を通ると、その景観とは無関係にロマンチック街道と書かれた緑色の案内標識が目についた。何度か通るたびに、(いったい何なのだろうという)その好奇心は増えた。そして今年、こならの森はロマンチック街道を走破する。

 小諸市より軽井沢を越え、群馬県(内の)を通り、栃木県の日光までを結ぶ全長230@の街道をロマンチック街道と称するという。 他に小径=ガゼット(というのだそうだ)があり総延長350キロと、ドイツと同じキロ数になっている。

■上田市
 名前は聞いていても、観光地としては捕らえていない感じもあったのではないだろうか。

■嬬恋村と言えば、キャベツです
 高原地帯に来たというのに、標示板の気温は27度もある。どこまでいっても、やはり同じ。1500メートルくらいまで上がらないと、『高原』らしさはないのかもしれない。

■野反湖
 本ルートからは外れているらしいのだが、野反湖を目指す。日程的に、『時間押し』の状態なのだが、先を急ぐ。今までの台地、山間部と違った山岳路が続く。急にハンドルの切り角度が激しくなる。『ゲーセン』もどきのルートにトライ。タイヤが泣く。少々あきあきしてきたころに、湖畔に到着する。

 第一印象には、激しいものがあった。全く期待していなかったから………。しかし、それはすぐに裏切られる結果になった。でも、よく遠くを見てみると、ダムサイトが。なんと、これダム湖だったの。歴史を振り返ってみると。元は、野反池といわれる沼が点在していた湿原地帯だったとか。そのまま、湿原地帯として保存すれば第2の尾瀬と言われただろうに、何とも残念。高度成長期の申し子と言えないこともない。
 ロマンチック街道はカナダのメープル街道とも姉妹となっているが、カナダ旅行で出会った(名前は忘れてしまったが)湖のようであって、感動もひとしおだ。はっきり言って、群馬にもこんな所があるのか(失礼)と思ってしまう。信州なら突然こうした湖が現れても何とも思わなかったのだろうが………。

■嬬恋村
 実は、昨年の絵本美術館巡りの企画で、このルートは通っていた。長野原一帯のこの地区は、新潟や長野方面への単なる通過点で、その他の観光地のことは今まで全く頭になかった。しかし、本当はこんな『通過点』のルート越しに、いくつかの素晴らしいルートが隠れていたのだ。

■若山牧水の足跡をたずねて
暮坂峠
 『峠』とう国字を作ってしまうあたり、山河の多い島国であると思いさせられる。そして、それがまたロマンへとつながるのだろう。 放浪の詩人(旅人)が粗雑な格好で旅をつづけ、実際にこの峠を越えたのかと思うだけで、ジンとくるものがある。若山牧水や暮坂峠で詠んだ『枯れ野の旅』といったことを知らなかったとしても………。

■牧水会館、(旧大岩学校)
 大正11年、草津から沢渡温泉まで行く途中の10月20日に若山牧水が立ち寄っている。校庭には歌碑がある。また、毎年10月20日には牧水まつりが暮坂峠を会場にして行われる。

同年11月15日には、老神温泉で詠んだ歌の歌碑もある。

■吾妻渓谷
 平行するその下のルートが吾妻渓谷沿いのルート。しかし、この地区にダム建設の予定があって、景観美やルートの変更も将来的にはありそうである。

■ロックハート城
 中之条町から高山村を通るが、今までのルートと違ってひなびた感じが、本家の街道に近いかもしれない。そんな中山道に突如現れるのが、ロックハート城だ。
 ヨーロッパから移築復元された古城のほかバンジージャンプや博物館などもそなえるテーマパーク。

■沼田市
 関口コオきり絵美術館(入館大人300円、子ども100円、月曜休館)や、香りと石のミュージアム『香石館』、花とみつばちとの会話花みつばち館などみどころ、立ちよりどころがたくさん。
 変わった所では、沼田・月夜野・水上のインターチェンジで聞けるミニ・FM『FM OZE=76・5MHz』の日本ロマンチック街道情報だ。平日12:45~13:00

 白沢村から利根村、片品村へのルートは尾瀬をはじめこれからの季節、奥利根や丸沼などのスキー場へ向かうルートとしておなじみ。普通の道とあまり変わらない、どこにでもある『街道』であるので、『ここがロマンチック街道?なの』と疑ってしまう人も多いかも。しかしながら途中には東洋のナイアガラと言われる吹き割りの滝があったり、椎坂峠には、児童文学者で望郷の詩人と言われる「おのちゅうこう(1908~1990・白沢村生まれ)」の歌碑もある。

■白沢村・幸田露伴の文学碑
 日光の湯本から金精峠を越えて行く道すがらに出会った女性とのエピソードを綴った、『対髑髏』の一節が刻まれた幸田露伴の文学碑もある。

■利根村『ふきわれ俳句大会』
 なんと、特選3句は句碑となって『詩のこみち』に建立されるという快挙の句会。新しい俳句の歴史とロマンを作れるかも………

■結論
 ロマンあふれる街道に違いない。まだ、未整理な部分もあり、本格的なドライブコースとはなっていない。これからの整備が待たれるが、ドイツという国は、あの速度無制限の高速道路『アウトバーン』や、ベンツ、ポルシェといった車を搬出するいわば『自動車先進国』。どこまで、それらをお手本にできるのか、未知数でもある。 リゾートなんとかとか、バブルなんとかという空想や夢想に終わってほしくはないものだ。


こならの森137号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森137号■1999.9発行

C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森10月号■

3pとしこの巻頭詩「いちじく」
4p-9p JC
10p ヤンバルお店紹介『ディズニー』
11p  結婚・誕生しました
12-16p たくみの里
17p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■見本誌今はなし■■■

【本文抜粋記事】

ドライブガイド

@たくみの里
 わら細工、おめんの、竹細工などのほか陶芸や藍染めなどの手づくり体験ができる施設が19も点在している。ここは、三国街道の須川宿があったところ。道の真ん中には往時をしのばせる用水路が通っている。くるみの家、マッチ絵の家など思わずのぞいてみたくなるところばかり。一日いても飽きない空間だ。月曜から金曜までは休館となる施設もある。各施設とも連接しているので短時間にハシゴして歩ける。洒落た喫茶コーナーで一休み。お食事処や茶屋、おみやげもの店も充実している。須川宿資料館や須川正教会などもお見逃しなく。全体を見て歩くのには5、6キロほどの工程。野仏めぐりと併せると一日ゆっくりと散策ができる。

@野仏めぐり
 モデルコース(9体)にそって歩くと1時間半くらいで回れる。スタンプノートを買って各野仏のスタンプを集めるのも楽しい。記念品ももらえるゾ。
 たくみの里から群馬サイクルスポーツセンターへの道すがらの柳沼で、ガイドブックにも載っておらず、案内板もない双体道祖神を見つけた。こうしたことも、旅の楽しみのひとつだ。

@群馬サイクルスポーツセンター
 太田市にある『ぐんまこどもの国』の施設の一部の規模を拡大したようなセンター。自転車の種類も多く、コースも広いが料金は高め。変わり自転車などのスポーツを中心にしたテーマパークとしては楽しめそう。家族で競争したり、いろいろな乗り物にチャレンジするのもいい。
 近くの大峰山山麓には、日本有数の浮島で有名な大峰沼がある。上毛高原まで下る道は、狭くて急な山道となっているが、少しいくとタイムトンネルから抜け出して来たかと思うほど、視界が広がる。と、同時に下界の雑多な風景が現れて少しの間は、いったいどこへ来たのだろうかと思われるほどだ。

@散策スタート
 たくみの里総合案内所から付近の散策にスタート。すぐ近くにある第1番目の野仏の双体道祖神は必見だ。その右手が石画の家だが、今日は休館日。その隣をよく見てみると、なんと交番である。付近の建物と調和しているので、一見したのでは交番とはとても思えない造り。その早紀は下り坂となっている。途中まで下って引き返し、本街道へもどる。総合案内所の中に入って、案内マップをもらう。おみやけものがいっぱいある。近くには洒落たつくりの福寿茶屋がある。
 水路のあるメインストリートをゆくと道の両隣に手作り体験工房が並んでいる。右手には昔ながらの水車があった。故障中なのか回っていなかったのは残念。
 急須の家、くるみの家とまわり、マッチ絵の家へ。中に入ると、本当に小さなマッチ絵がたくさん飾ってある。喫茶も併設されているので一息つくのもよい。
 工房までの木々に囲まれたアプローチも、雰囲気があってなかなかいい。さらに木織の家、和紙の家と、藍染めの家と回る。どれも手作りの雰囲気が暖かく伝わってくる。ここまで急ぎ足に散策しても30分ほどしか、かからない。ちょうど榛名山などにある観光土手馬車がのどかに通りかかった。


こならの森136号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森136号■1999.8発行

表紙 「高速夜景」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

3pとしこの巻頭詩「とうもろこし」
4p-9p JCトーク・松永安優美さん
10pヤンバルお店紹介『 いおり』
11p 茂呂居さん夫妻 誕生しました
12-16p 伊香保
18-19p インタビュー/影澤
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「催眠」
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

ドライブガイド
伊香保

[ぐるっと散策、榛名山・伊香保温泉石段街]

 赤城山、榛名山というのは日光の男体山よりも近くにあり、身近な存在であると思われてきたので、今回のちょっと旅の企画に選んでみました。しかし、佐野から桐生までは国道50号が整備されてきたので早く行けますが、問題は『その先』です。先月号で紹介したように近年、テーマーパークや記念館、アート館、公園が軒並み、赤城や榛名山を囲むようにできたこともあって、渋滞が激しくなっています。
 また佐野市から向かうには、高速道路の利用もできず、かえって今では(高速道路を使って行く)男体山より時間がかかっているようです。
 しかし榛名、伊香保だけではなく周辺の観光スポットをいくつか回ると絶好の日帰りコースとなります。下手をすると一日では回り切れないほど。トリックアート館、ガラス美術館なども道すがらにあり利用しやすいコースかも知れません。

●上毛三山(妙義山・榛名山・赤城山)
 上毛三山のひとつ榛名山は榛名富士と榛名湖の回りを外輪山がめぐる二重式火山。大正初期までは、蒸気の噴き出す、スチームバス状の湯治場があり、旅館も4つほどあって、たいそうにぎわっていたという。また、多くの風穴があり中は冷蔵庫のような涼しさ。

●沼の原から木道のある散策道
(関東ふれあいの道)をゆく
 時間があれば榛名湖付近から温泉街までのハイキングをおすすめする。
 もう盛りを過ぎてしまっていたがニッコウキスゲの花が群落している。その先には榛名富士がそびえ立つ。梅雨明け後にもかかわらず、穏やかな気候汗もあまりかかず、ゆったりと回りの景色を楽しめる絶好の遊歩道となっている。また、このルートは関東ふれあいの道ともなっている。標高も最高で1200メートルと初心者向。《歩行時間3時間10分》

[昔なつかしい、独特な雰囲気]

●伊香保温泉・石段街
 長さ300メートル、360段。温泉街の中央にある石段には、与謝野晶子の詩が刻まれている。 一歩足を踏みだすと、どこか違った世界に迷い込んだような雰囲気が漂ってくる。昔なつかしい商店があったり、手作りのガラスショップなど雰囲気づくりに余念がない。温泉客のほかに付近を散策する観光客の姿も見かける。

●伊香保温泉
 温泉という言葉はなんとなくゆったりとくつろぐ場所というイメージだが、この街はまさしくその言葉のとおりである。
 温泉そのものは、2000年前に榛名山の二ッ岳が爆発したことにより湧出したといわれる。温泉街は400年前に作られた。江戸時代には三国街道の裏往還として賑わい、関所も置かれた。露天風呂も多くある。
《硫酸塩泉・温度45~66度、源泉6カ所》

●伊香保露天風呂●
 伊香保町伊香保甲湯元581-1
湯船の横に小さな脱衣所があるだけの素朴なもの。入浴料400円。

●文人たちの心のふるさと
 群馬の三大温泉。永井荷風、徳富蘆花などの文人たちが訪れ作品を残している。
・徳富蘆花
 明治の文豪。代表作の「不如帰(ホトトギス)」は伊香保で執筆され、その舞台となった伊香保温泉の名を全国に広めた。記念館は蘆花終焉の家で遺品などが展示されている。蘆花公園には、胸像、詩碑などがある。
・竹久夢二
 美人画で一世を風靡した画家。大正8年より伊香保を訪れ、数多くの作品をのこした。記念館にはその作品群が展示されている。

●万葉歌碑
 万葉集東歌の中に伊香保を詠んだ歌が九首あり、その歌碑が町内に点在する。また、水沢観音の裏手には、万葉植物130種を植えた植物園もある。


●竹久夢二伊香保記念館


 梅雨明けから本当に猛暑の連続。雨も降らず、夕立もない。編集室の西側には大きな窓があるので、西日のきつさはすごいが、榎の大木があるために多少はしのぎやすい。梅雨のときには、うっとうしく思えた木々だったが、今では清涼感いっぱいで見ているだけで暑さも和らぐようだ。
 夕刻、辺りの色が消え、葉っぱの輪郭の先に空が見える。そして日中とは違ったシルエットが展開する。
 樹木なんてあってあたり前、『自然』なんかじゃない。十代のころは、そんな考えがあたり前だったが、今はまた違った感覚で自然の変化を楽しめるようになった。暑いときも寒いときもまたいい。
 田舎で生まれて田舎で育って、今また田舎暮らしをしている。
 若いころは、都会暮らしにあこがれた。すべてがあった、あるいはすべてがあるだろうと思えたので、そこに向かったのだが、時代はもう都会ではない。
 よくあるたとえに、『北関東の田舎出身の〇〇氏は、………』というのがある。どういう人だろうと、想像を踏まえて次を読み進んでいくと、必ず『いなかっぺ』。最大に形容できても『東京ぼんた』のイメージだ。
 昔、四国へ行ったときに、地元の人から「ここは僻地だろ」といわれたことを思い出す。その後、四国にはたくさんの『橋』が架けられているが、それは反動であったのだろうか。
 広辞苑によると『僻地』とは自分の住む土地の謙譲語であるという。田舎生まれの私はその時、こう答えていた。「日本に僻地なんてありませんよ」