こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

ナマステ

2010年07月01日 | 仏教
Buddham Sharanam SOBE

 ブッダーン サラナーン ガッチャーミ

 ダンマーン サラナーン ガッチャーミ

 サンガーン サラナーン ガッチャーミ


おさない頃、わけも分からずに唄ってました(笑

ダンマパダ(法句経)の中<296,297,298>に、
・・・昼も夜も常に仏を念じている。
・・・昼も夜も常に法を念じている。
・・・昼も夜も常にサンガを念じている。
とあって、
同じく、<190,191>には、
仏と法とサンガに帰依する人は、正しい智慧をもって四つの尊い真理を見る。
すなわち、1.苦しみと、2.苦しみの成り立ちと、3.苦しみの超克と、4.苦しみの終滅、
におもむく八つの正しい道を見る。

とあります。

これが日本にやってくると、「三宝帰依=三帰」。すなわち、
「帰依仏・帰依法・帰依僧」となります。
「帰依」は、おまかせします、とか、ゆだねます、したがいます、深く敬います、とか、感謝します、とか、そんな意味を持って使われます。
でも、実際手を合わせて静かな気持ちでお唱えする時の心は、
より純粋無垢な、とても素直な感覚ですよね。
で、何に帰依するのかというと、
「仏」・・・悟りを開かれた尊い覚者と、
「法」・・・そのみ教えと、
「僧」・・・仏道を歩む人々の集いに、
帰依します。

よく、「南無阿弥陀仏」とか「南無釈迦牟尼仏」「南無大師遍照金剛」など、
「南無」を付けて拝みますが、この南無も帰依と同じ意味合いです。
お芝居などで、「なむさんっ!!」って叫ぶのありますよね。
今ある危機的状態から逃れようと必死になったときに発する言葉。
これ、正式には「南無三宝」ですわね。
あ、それと、インドの人々のご挨拶、「ナマステ」ですね。
この「ナマス」(酢和えではありません)が、中国で南無と表記されました。
インドの人々の挨拶は、お互いに敬い合う挨拶なんですね。
「ナマステ」=「南無あなた」です。

聖徳太子の十七条の憲法の冒頭は有名です。
「一に曰く、和をもって尊しとなし、さからう事なきを宗とせよ。」(さからう=抗争)
「二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧となり。」
・・・
いいですねえ、将来憲法改正のおりには、
必ず十七条憲法の精神を注入するべきです。
日本最初の憲法ですしね、
世界ひろしといえども、これほどすぐれた憲法はないでしょう。
と、思いますが・・・。

読経の冒頭に必ずこの「三宝帰依」の文があります。
これは言ってみれば、仏教徒の信仰告白です。
三宝に帰依することを心から誓い、声に出してお唱えする。
その事が実は、生きるための正しい智慧を授かる、ことにつながるわけです。

さて、その正しい智慧とは具体的に何なのか?
近い日に確認してみることにしましょう。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 礼拝 | トップ | 四諦八正道と医科学 »

コメントを投稿

仏教」カテゴリの最新記事