ちょっと被写体が小さくて、
ピンぼけで見にくい映像ですが、
屋外トイレの電灯にいるツバメです。
一週間ほど前にやってきて、
去年使用した家を、リフォームしていました。
もう、すでに巣ごもりを始めている模様です。
いつもの年よりも、
早い巣ごもりのようです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
先日、地域の小学校の始業式で、
新しく着任した校長先生が、
子どもたちに、一つの詩を宿題に出しました。
校長宿題ということで、
そらで覚えたら、校長室でその成果を披露する約束付きです。
その詩を、ちょっとご紹介。
みんなでまこう !幸せの種
トマトが食べたかったら トマトの種をまく
カボチャが食べたかったら カボチャの種をまく
誰でも知っているあたりまえのこと
幸せになりたかったら 幸せの種をまくことだ
それなのに
幸せの種をまくことを忘れ
幸せの花ばかりおっている人がいる
社会のせいにして 他人のせいにして
不幸の種をまいている
幸せになりたかったら 幸せの種をまく
みんなでまこう! 幸せの種
ピンぼけで見にくい映像ですが、
屋外トイレの電灯にいるツバメです。
一週間ほど前にやってきて、
去年使用した家を、リフォームしていました。
もう、すでに巣ごもりを始めている模様です。
いつもの年よりも、
早い巣ごもりのようです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
先日、地域の小学校の始業式で、
新しく着任した校長先生が、
子どもたちに、一つの詩を宿題に出しました。
校長宿題ということで、
そらで覚えたら、校長室でその成果を披露する約束付きです。
その詩を、ちょっとご紹介。
みんなでまこう !幸せの種
トマトが食べたかったら トマトの種をまく
カボチャが食べたかったら カボチャの種をまく
誰でも知っているあたりまえのこと
幸せになりたかったら 幸せの種をまくことだ
それなのに
幸せの種をまくことを忘れ
幸せの花ばかりおっている人がいる
社会のせいにして 他人のせいにして
不幸の種をまいている
幸せになりたかったら 幸せの種をまく
みんなでまこう! 幸せの種
思わず、口元が緩みました。
よろしくお伝えください。
ま、いっか。
着任後初めてのご挨拶をさせていただきました。
モップを持って、お顔はとても楽しく、
とてもすがすがしく、感じられました。
子どもや保護者、地域の人が、
「行きたくて行きたくてたまらない学校」
にしていくことを、経営目標に掲げられているようです。
・・・また、楽しみが増えそうです。
ごめんよ!
・・・夜のブログの書き込み作業は、
アップロードした後に「作業画面」さえ表示されれば、
OKみたいやね。
UPされてないと思って何度もポチッとな!を繰り返すと、とんでもないことになってたりしますねえ。
-SYD(Supporting Your Dreams)-(財)修養団で
数年前に提唱された「幸せの種まき運動」
『米の種をまけば 米の実がみのり
麦の種をまけば 麦の実がみのる
誰でも知っていること 当り前のこと
それなのに
幸せの種をまくことを忘れて
幸せの花を折っている人がいる
それではいつになっても
幸せの花の咲くことはない
幸せの花を摘むより 幸せの種をまく
みんなでまこう “幸せの種”』
を、覚えやすいようにと翻案されたのでしょう。
良いことだと思います。
子どもたちが自分の頭で考え自分の言葉で語り、
どんな種をまき育てるのか、何が実るのか。
楽しみでありますね。
SYDについてはこちら
http://www8.cao.go.jp/youth2/dantai/dantaitbl/b11syd.html
作り出す人。
まとめる人。
広める人。
いろいろな人がいて、
一つの思いからいろいろな思いがつながってゆく。
人と人がつながる。
まちとまちがつながる。
歴史がつながる。
文化がつながる。
つながってゆくこと。
それは新しい何かを生みだすきっかけになるのかもしれません。
ありがとうございます。
涙が流れてきます。
つながって、人の営みですね。
英文・和文とも2002/03/09の中日新聞に掲載されたものです。
・・・・・・・・・
「悩める人々への銘」
大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと
神に求めたのに謙遜を学ぶように弱さを授かった
偉大なことができるようにと健康を求めたのに
よりよきことをするようにと病気を賜った
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして力と成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために人生を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた私はもっとも豊かに祝福されたのだ
(英文) A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
I asked God for strength that I might achieve
I was made weak that I might learn humbly to obey...
I asked for health that I might do greater things
I was given infirmity that I might do better things...
I asked for riches that I might be happy
I was given poverty that I might be wise...
I asked for power that I might have the praise of men
I was given weakness that I might feel the need of God...
I asked for all things that I might enjoy life
I was given life that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for―but everything I had
hoped for
Almost despite myself my unspoken prayers were answered.
I am among all men most richly blessed!
AUTHOR UNKNOWN(作者不明)
・・・・・・・・・
●この詩文はニューヨーク大学付属のリハビリセンター壁面に掲げられています。
AUTHOR UNKNOWN(作者不明)となっていますが、1860年代南北戦争時の南軍の兵士が書いたものではないかと言われています。
1950年代、アメリカの有能な弁護士として成功したスティーブンソンは、52年と56年の大統領選に民主党候補として出馬して、二度ともアイゼンハワーに敗北しました。
その失意のとき、スティーブンソンは田舎の教会でこの詩を見つけ、無名の兵士が残したこの珠玉の言葉によって思慮深い人間に立ち直ったと伝えられています。
スティーブンソンがクリスマスカードにこの詩を記してから広く知られるようになったようです。
討論と弁説に熟達したことで知られたスティーブンソンは1965年ケネディ政権下の国連大使として次のような演説を残しています。
『われわれはみな、旅のみちづれ、 小さな宇宙船の乗客
いまにも壊れそうなこの船に、十分な配慮と愛情を注ごう』
スティーブンソンは「宇宙船地球号」という概念を初めて示した人でもあります。
●この詩が新聞で紹介されたあと、さらにもうひとつのつながりが、日本の長野県・高森町の商工会の人々によって始められ、広がっています。
(2004/11/13中日新聞「言葉は力である」より抜粋)
・・・長野県・高森町では、この言葉を銘板にして形に残そうという運動が始まった。ここは干し柿で有名な「市田柿」の産地である。
商工会が、農家から柿の木の廃材を提供してもらい、板にする。レーザーで文字を刻み、墨を染み込ませる。ほとんどが無償の手作業だ。この秋「悩める人々への銘」と題した重厚で品格にみちた銘板が次々にできあがった。
これを一枚四千円で売り、すべての収益金を世界の恵まれない子供たちに渡す。発売まもなく、愛知、長野、岐阜などから注文が殺到。限定二百枚がすでに三百枚近く、生産が追いつかないほどという・・・
典拠:
http://www.chunichi.co.jp/00/desk/20041113/col_____desk____000.shtml
失意の人に差し伸べる手を持っているかどうかが、その人の器であると、私は思います。名もない市井の中に、その器の人が多くいます。
すばらしく感動する情報を提供して下さり、
感謝申し上げます。
>名もない市井の中に、その器の人が多くいます。
その通りだと強く思います。
上記の銘文は、後ほどブログにUPさせていただきたいと思います。
友達にも紹介したく思いますが、よろしいでしょうか?