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【定林寺址館】忠清南道視察旅行⑧2018/4/23

2018年05月02日 | 忠清南道 視察旅行
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今では石塔と石仏が残っているだけですが、その昔 定林寺は、

6世紀の中頃に建てられ、百済が滅亡する時まで栄えていたお寺だったそうです。



定林寺の石塔の建設当時の様子がジオラマで残してありました。

実際に現場を見たわけではありませんが、脳裏に浮かぶようです。



目で見ると、頭にその光景がすすすーっと入ってきますね~

65%縮小模型になっているそうですよ。

日本のお寺でも鴟尾 (しび) を見掛けることはありますが、

これがこうして伝わって日本までやって来たかと思うと感動します。



最後にレプリカでしたが、とても立派な碁盤が展示してありましたよ。

義慈王の碁盤だそうです。



百済の仏像は、思ったより小振りで、なんともいえない微笑みをたたえる仏像が多いそうで、

いろんな博物館で出会う仏像を思い浮かべてみても納得です。



中廊下を通って 「定林寺址館」 に入ります。



当時のお寺の配置を再現して、両側にこの池を作ったそうです。



百済仏教の中心だった 「定林寺」 の全景の想像図が12分の1に縮小してありますが、

とても大きく、室内にあるその存在には圧倒されます。



その昔、こんな形で 「定林寺」 が建っていたんだなぁ~と気持ちだけ泗沘時代の百済へ…



このジオラマでも中心にそびえ立つ 「定林寺址 五層石塔」 は、



今でも存在する歴史をすべて知っている石塔。

この塔を残して、百済の都は唐・新羅に徹底的に破壊されました。

一度分解してしまうと、再建できないくらいの素晴らしく考えられた構造になっているそうですよ。



その石塔に彫られた文字があります。

こちらがその拓本。  焼打ちにあった時に刻まれた文字は、明らかに1300年を超えて残っていました。

「おれが百済をほろぼした」という意味の文章を唐の大将軍である蘇定方がこの石塔に刻み込んだから…



定林寺址から発掘された瓦などの出土品の展示もありました。



見れば見るほど、話を聞けば聞くほど、益々興味が湧く百済時代です。

なによりも当時にあった石塔・石仏がそのまま残っていることに感動しますよね。

【부여 정림사지 (扶余定林寺址)】
충청남도 부여군 부여읍 동남리 254 (忠清南道 扶余郡 扶余邑 東南里 254)
営業時間 : 9:00~18:00(3~10月)、9:00~17:00(11~2月) ※入場は閉園1時間前まで
休日 : 年中無休
交通 : 扶余市外バスターミナルから徒歩15分 (タクシーにて約3分)
ホームページ : こちら

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