京都の闇に魅せられて(新館)

千本通りの桜と醍醐天皇地獄落ち伝説 @ 京都妖怪探訪(617)





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 どうも、こんにちは。
 今年(2019年、平成31年)の『霊場魔所の桜』シリーズの第5弾。
 シリーズ外記事を含めたら、今年8本目の桜の記事かな?
 京都市内のほぼ真ん中を南北に縦断する大通りのひとつ、千本通り。
 その通りの桜を眺めながら、その地名の由来にまつわる伝説を紹介していきたいと思います。


 アクセス場所はたくさんありますが、今回は千本通りに面したこの場所から。





 ここには、JR山陰線「二条」駅京都市営地下鉄「二条」、それと京都市営バス「二条駅前」停留所「二条駅西口」停留所があり、交通アクセスが割と便利な場所です。
 日本人は自分の生活空間の中にも桜をとりいれてきましたが、この場所にも見事な桜の木が立っています。








 この通り沿いには、これまで本シリーズでも紹介した場所を含めて、いくつもの霊場魔所や妖怪伝承地などがあります。
 何故ならば。
 ここはかつて平安京で最も重要と考えられていた施設・内裏の場所を軸に、平安京を南北に横断する大通り、朱雀大路が、つまり平安京のメインストリートがあった場所だからです。
 その為か、この通りとその近辺には多くの伝説、伝承も遺されているようです。
 ざっとあげられるものだけでも、以下のような伝説・伝承地があります。

 鬼が棲んでいたという朱雀門の跡(シリーズ第312回)。
 豊臣秀頼ゆかりの出世稲荷神社(第313回)。
 おかめの伝説が遺る現存最古の木造建築・‘千本釈迦堂’大報恩寺第177回第605回など)。
 猫の恩返し伝説が遺る‘猫寺’称念寺(第394回)。
 嫉妬に狂った女の歯形が刻まれたという伝承のある歯形地蔵(第395回)。
 妖怪土蜘蛛の伝説が遺る上品蓮台寺(第396回第485回など)。
 そして、地獄の判官も務めたという伝説を持つ小野篁(おのの・たかむら)が地獄の閻魔王を祀ったという‘千本ゑんま堂’引接寺(第40回第607回など)。
 そして千本通り、かつての朱雀大路を南へと下った先には、平安京の南の出入り口であった羅城門跡と矢取地蔵も(第147回)。
 伴善男の怨霊伝説が遺り、現在は平安神宮に移設されている応天門も(第448回)。


 さて、ここから千本通りをずっと北へと移動。
 今出川通りと交わる、千本今出川の交差点の光景です。








 この交差点にはこのように立派な桜の木が植えられています。
 ところで、ここで「千本通り」という通りの名の由来について。
 何故、この通りは「千本通り」と呼ばれるのか。
 諸説あるようですが、ひとつには「この地には千本の卒塔婆(おそらくは板塔婆)が立ち並んでいた」とする説があるそうです。
 平安京の、内裏の北の外側には、かつて平安京の葬送地のひとつ、「蓮台野」が広がっていました。
 当時は、現在のよう近代的な数学も普及しておらず、特別な知識や教養もあるわけではない大半の人々にとって、「千」や「百」という数字は厳密な数量を表すというよりも「とにかく数え切れないほど多い」という状態を表現するものだったと思われます。
 平安京時代は風葬が行われていたことも考えますと、現在の千本通りの北の方には、多くの死体が転がり、無数の卒塔婆が立っているという、想像するとちょっと恐ろしいような光景が広がっていたのではないか。
 そんな気もしてきます。


 ここで、千本通り周辺の霊場魔所のひとつ、‘千本釈迦堂’大報恩寺、今年(2019年、平成31年)の桜の光景を。











 この霊場についてはシリーズ第177回第605回で。
 ここの桜の光景は第342回第482回等で紹介したことがあります。
 この時、門前の桜は満開でしたが、名物の「阿亀(おかめ)桜」はまだこれから、という感じでしたね。
 ところでここで、千本釈迦堂の話をしたのには、「千本通り周辺にあるから」という他に、もうひとつ理由があります。
 ここの境内には、「北野経王堂・願成就寺」があるからです。





 かつては北野天満宮の社殿前にあったこの建物、現在は縮小復元されてこの古刹の境内にひっそりと建っていますが。
 さて、北野天満宮といえば祭神・菅原道真です。
 千本通りの名の由来には、菅原道真の怨霊伝説にもまつわる説話も、ひとつの説として伝わっているのです。
 以下は、『日蔵夢記』や国宝『北野天神縁起絵巻』などで伝えられたという話の概要です。
 平安時代中期の密教僧・修験者の日蔵という人が居ました。この人には「吉野山で修行中に鬼と遭遇した」とか「雷神など異形の部下を引き連れた菅原道真に出会った」などの不思議な伝説・伝承がいくつもあるそうですが、その中のひとつに「あの世で菅原道真と醍醐天皇に出会った」という話が伝えられています。
 天慶4(941)年、修行中に急死した日蔵上人は、あの世を訪れ、強い恨みを持つ道真の霊と、地獄に落ちて苦しむ醍醐天皇とに出会います。
 「菅原道真を陥れた罪、父(宇多天皇に背いた罪で地獄に落とされた)」ということでした。
 醍醐天皇は善政を行ったとの評価もされているようですが、菅原道真や彼を信仰する人々にとっては「良き理解者だった父・宇多天皇と違って、政敵・藤原時平のデマ・中傷を真に受けて、道真を陥れる側に回った許しがたき人物」となります。だから、そういう話も伝えられたのでしょう。
 醍醐天皇は「私が苦しんでいるのは生前に菅原道真を陥れた罪によるものだから、現世に戻ったら、千本の卒塔婆を立て、読経して、道真を供養してやってくれ」と、日蔵上人に命じました。
 生き返って現世に戻った日蔵上人は、醍醐天皇の言われた通りに、蓮台野の千本の卒塔婆を立てて供養を行いました。
 このちょっと怖いような話が、「千本通り」の名の由来とされる説のひとつとして伝わっています。


 現在はお馴染みとなった地名の背後には、このような話もあると思えば。
 また、賑やかな街の光景の裏側には、怨霊や、呪われて地獄に落ちた天皇の存在がある(かもしれない)と思えば……。
 この光景もちょっと違って見えるかも。






 今回はここまで。
 また次回。




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ(新)
https://kyotoyokai.jp/



*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ(旧)
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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