今回も、祇園宵山に行った時の記事です。
今回は、祇園祭の山鉾のひとつ、「保昌山(ほうしょうやま)」を中心にとりあげます。
まずは、数ある山鉾の中で、何故わざわざ「保昌山」をとりあげるか。
「保昌」というのは、平井保昌(ひらいやすまさ)こと、藤原保昌(ふじわら の やすまさ、958‐1036年)のことです。
平安時代に武勇で名をはせた人物の一人で、あの源頼光に仕えた武人でもあります。
大江山の酒呑童子伝説では、源頼光と頼光配下の四天王とともに鬼退治を成し遂げた英雄としても知られています。
『京都妖怪探訪』などというシリーズを書いている妖怪ヲタクとしては、是非とも見ていきたい山鉾のひとつです。
面白いことに、保昌を祀ったこの山鉾は「花ぬすびと山」とも呼ばれていたそうです。
何故ならこの山鉾で祀られている保昌像は、夜中に御所・紫宸殿の庭に忍び入り、紅梅の枝を折って逃げた時の姿の像だからです。
様々な男性遍歴でも有名な平安時代の女流歌人・和泉式部に恋した平井保昌は、彼女に頼まれてそんなことをしたそうです。
しかもその時、警護の兵に矢を射られて、ざんばら頭の状態で逃げた、と伝えられています。
伝説にも名を残した勇者にしては、何ともセコいというか、格好の悪い話ではないか、という気もします。
これはまるで、好きな女の子にプレゼントしようとして、夜中に校庭の花や枝をかっぱらい、宿直の先生や用務員さんに追いかけられる中学生か高校生。そんなイメージを私は連想してしまいました。
英雄といえども、ほれた弱みには勝てなかったのか?
そう考えれば、ほほえましくもあり、ある種の親しみをも感じさせます。
実を言いますと、これも私が「保昌山」を訪れ、わざわざ記事にした理由でもあります(笑)。
まずは、前回の続きから。
たくさんの人々で賑わう、四条通の歩行者天国。
中央の遠くに見えるのは、有名な「長刀鉾(なぎなたほこ)」です。
長刀鉾の近くによってみます。
それにしても、辺りにはたくさんの人が。
四条通りから東洞院通りに入り、そこから南に下っていきます。
その途中、近代的なビルの下にある小さな社。
これは「悪王子社」といって、八坂神社の摂社のひとつです。
より正確にいえば、悪王子社があった場所です。
なお、この東洞院通りには、「輪入道」とか「片輪車」とかいう妖怪が現れたという伝説もあります。
東洞院通りをさらに南下していきますと、見えてきました。
「保昌山」です。
ただ、この山鉾がある位置は、他の山鉾の場所から遠く離れているため、ちょっと損をしているような漢字もします。
が、それでも多くの人が訪れていました。
保昌山の横にある町屋の光景です。
町屋の下の階には、多くの人たちが訪れています。
この山鉾は、縁結びの神様としても有名なようです。
保昌の必死の恋は見事に成就したようで、彼は憧れの和泉式部を妻にしたことから、そうなっているのでしょう。
そのためか、若い男女の姿もよく見られます。
写真中央下あたりのカップルが立っているあたりには、縁結びの絵馬がたくさんかけられていました。
もっとも和泉式部は、派手な恋愛遍歴でも知られる女性でもあり、保昌さん、結婚してからも振り回されたり、苦労させられたりしたんじゃないかなあ、という気もするのですが‥‥。
まあ、それは気にするだけ野暮ってもんですか(笑)。
ところで、写真上の街や2階部分には、おそらく(梅の枝をかっぱらって逃げる姿の)保昌像が祀られていたものと思われますが、残念ながら下からではよく見えないのが残念。
ここは、「役行者山」みたいに、御神体を一般に公開していないようです。
他にも、いろいろと見て回りたい山鉾もあったのですが、時間がなくて回れず残念。
また、翌日の「山鉾巡行」には仕事の都合で参加できず。
また来年のチャンスを待つことに。
では、今回はここまで。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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