京都の闇に魅せられて(新館)

千本えんま堂大念仏狂言『土蜘蛛』 @ 京都妖怪探訪(485)





(記事中の写真はクリックで拡大します)


 どうも、こんにちは。
 毎年、5月連休に“千本えんま堂”こと京都・引接寺では、「千本えんま堂大念仏狂言」という狂言が上演されます。
 この寺を開山した定覚上人が「えんま王の御心によって起された奇跡を伝えるため」に、つまり布教と、京の葬送地に葬られた人々の供養のために始めたものです。
 前回に引き続いて今回も、「千本えんま堂大念仏狂言」演目のひとつを紹介します。
 今回紹介するのは『土蜘蛛』。
 特によく演じられるという人気作品で、しかも本シリーズにとりあげるにふさわしい、有名な妖怪伝説をモチーフにした演目です。


 大江山の酒呑童子との戦いなど、数多くの鬼・妖怪退治でも有名な英雄・源頼光
 その頼光がある時、病に伏せってしまいます。






 そこへ2人の家来、渡辺綱平井保昌が見舞いにやってきます。








 この2人も、主君・頼光と共に「酒呑童子討伐」などの数々の戦いをくぐり抜けてきた英雄です。
 渡辺綱は、頼光の家来の中でも特に武勇に優れた「四天王」と言われる四人の一人であり、自身も一条戻橋や羅生門での鬼退治(※シリーズ第2回第147回を参照)などの活躍をしています。
 平井保昌は、祇園祭の「保昌山」のエピソードみたいに、後に妻となる和泉式部の為に内裏の紅梅の枝を盗んで警備兵に追いかけられるという、思わず笑ってしまうような面もある人物です(※シリーズ第46回を参照)



 話を戻します。
 綱と保昌の二人は、主君・頼光の館で歓待を受けます。









 その夜、一人の怪しい老僧が現れ、頼光の枕元に忍び寄ります。






 この怪僧こそは、妖怪・土蜘蛛の化身であり、頼光の病気もこの呪いが原因だったのです。
 土蜘蛛は頼光に糸を飛ばして絡め取り、襲いかかってきます。












 頼光は必死で応戦。
 土蜘蛛には逃げられますが、そこへ頼光宅に泊まっていた綱と保昌が駆けつけてきます。






 病で身動きできない頼光に変わって、綱と保昌が逃げた土蜘蛛を追跡します。






 土蜘蛛を見つけ、妖怪と英雄二人との戦いになります。

















 糸を吐き出して攻撃してくる土蜘蛛に、綱と保昌は苦戦を強いられます。
 激しい殺陣に、糸まで使った演出で、派手な戦闘シーンが繰り広げられます。
 なお、ここで使われる蜘蛛の糸を一部でも持ち帰ると、災難除け、盗難除けのお守りになるとも言われています。

 またも土蜘蛛に逃げられた綱と保昌は、さらに土蜘蛛を追跡。






 土蜘蛛を見つけて再戦となります。









 二人はようやく土蜘蛛を討ち取り、物語は幕を閉じます。








 ところで、奇しくも(というべきか?)ここ千本えんま堂の近くには。
 バス停ひとつ分離れた、千本通りを少し北へ歩いた場所には。
 この土蜘蛛伝説の舞台となった上品蓮台寺の「土蜘蛛塚」があるのです(※シリーズ第396回第478で紹介しました)。
 おそらくこの演目の作者は、すぐ近くにあった有名な妖怪伝説をモチーフにしたのでしょうが。
 何か非常に強い因縁みたいなものを、私は感じますね。






 なお、土蜘蛛の正体とは。
 その正体とは「まつろわぬ民」とよばれた人々だと考えられています。
 つまり古代社会において、天皇や天皇を中心とする大和政権に恭順しなかった豪族や土着民に対する蔑称が「土蜘蛛」だったそうです。『古事記』『日本書紀』や各地の風土記にもその言葉が用いられています。
 つまり土蜘蛛というのは、特定の豪族や民族のみを指す言葉ではないのですが、その中でも有名なのが、奈良県の大和葛城山に居たとされる人々です。神武東征の際、土蜘蛛といわれる土着勢力と戦ったとされる記述や、さらに大量虐殺が行われたことをにおわせるような記述もあるそうです。
本シリーズを続けて、長年妖怪マニアとかをやって、妖怪の歴史をかじっていますと。時の権力によって、「鬼」「妖怪」あるいは「悪魔」として闇に葬られた歴史的敗者こそが、「妖怪」の正体だった。こういうケースにはよく出くわします。
 この蜘蛛塚の伝説から創られた能『土蜘蛛』の中でも、頼光側の武者に対峙した土蜘蛛が「お前は知らないだろうが、我は古より、葛城山にて年を経た、土蜘蛛の精魂である」と名乗る場面があります。
勿論この演目の中でも、土蜘蛛が「自分は葛城の者だ」と告げる台詞があったような。
 一方、土蜘蛛と戦う源頼光ら源氏の武者は、中央権力の先兵として武力で制圧する側の人たちです。
 つまりここ「蜘蛛塚」に伝わる土蜘蛛伝説にも、背景には古代からの中央権力と「まつろわぬ民」との戦いの歴史があったわけです。







 そしてこの伝説の真相とは?
 元々は中央権力によって「鬼」「妖怪」として貶められた哀しき人々だったはずですが、この妖怪退治伝説では、何とも不気味で恐ろしげな怪物として描かれています。
 その背景には一体、いかなる事実があったのか。
 まつろわぬ民の末裔か、その関係者が、中央権力の先兵的存在である源頼光を暗殺しようとしたのか。
 「頼光が熱病にうなされた」という記述から、呪殺か毒殺が企てられたのか? あるいは、何か病原体になるものを植え付けられた、今でいう細菌テロのようなことが行われたのか?
 いろいろと想像を巡らすことができますが、今の私にはその真偽を確かめる術もありません。






 今回はここまで。
 また次回も、「えんま堂念仏狂言」の演目をとりあげます。





*千本ゑんま堂へのアクセス・周辺地図はこちら




*えんま堂狂言保存会のHP
http://www.geocities.jp/e_kyogen/




*千本ゑんま堂のHP
http://yenmado.blogspot.jp/




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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