どうも、こんにちは。
シリーズ前回から半月以上経ってしまいました。最近オフが、特に仕事の方が多忙になりまして。
それでも、ぼちぼち再開したいと思います。
今回は2月に入りましたので、京都の節分の様子を、しかも霊場の節分の様子をお届けしたいと思います。
今回は、「元祇園梛(なぎ)神社」の節分を。
「元祇園梛神社」。
現在では、京都・四条通り沿いの小さな神社に過ぎませんが、実は非常に由緒と歴史のある神社なのです。
まずはアクセスから。
京都市営バスの「壬生寺道」停留所。
四条坊城の交差点の南西角に立つ神社が「祇園梛神社」です。
ここにはかつて、祇園祭りで有名な八坂神社の主祭神・牛頭天王(=スザノオ神)が、現在の八坂神社へ行く前に祀られていた場所です。
平安時代初期、平安京に疫病が流行っていた頃のこと。
貞観11年(869年)、疫病退散のために播磨国広峰から牛頭天王(=スザノオ神)を東山(現在の八坂神社)に勧請されることになりましたが、その途中でここで牛頭天王を乗せた神輿が降ろされ、休まされたそうです。
当時この辺りは梛(なぎ)の木の森だったそうです。
なお、入り口の石柱には「隼(はやぶさ)神社」とも刻まれています。
式内社として「隼神社」もあります。
普段は静かな境内ですが、節分ではこの通り。
境内の狛犬。
なかなかいい面構えです。
本殿へ参拝します。
向かって左が「梛神社」です。
主祭神は、牛頭天王。
他に、イザナミ神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ。稲荷神社の神様)、誉田別尊(ほむたわけのみこと。応神天皇)が祀られています。
後に祇園社(現在の八坂神社)が創建されて牛頭天王が移って行く時には、この地域の住民たちが、花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏しながら神輿を見送ったそうで、それが祇園会(現在の祇園祭)の起源にもなっているそうです。
向かって右にあるのが「隼神社」。
タケミカヅチ神と経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。
朝廷で定められた官幣大社だった、つまりそれだけ格式の高い神社だったようです。
元々は別の場所にあったそうですが、現在では梛神社の「式内社」として遺されています。
梛神社を出た後は、狭い坊城通りを南へ下って、壬生寺へと向かいます。
それでは、今回はここまで。
この続き、次回は壬生寺の節分の様子をお届けします。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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