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京都の闇に魅せられて(新館)

元祇園梛神社の節分 @ 京都妖怪探訪(333)





 どうも、こんにちは。
 シリーズ前回から半月以上経ってしまいました。最近オフが、特に仕事の方が多忙になりまして。
 それでも、ぼちぼち再開したいと思います。
 

 今回は2月に入りましたので、京都の節分の様子を、しかも霊場の節分の様子をお届けしたいと思います。
 今回は、「元祇園梛(なぎ)神社」の節分を。
 「元祇園梛神社」。
 現在では、京都・四条通り沿いの小さな神社に過ぎませんが、実は非常に由緒と歴史のある神社なのです。




 まずはアクセスから。
 京都市営バス「壬生寺道」停留所






 四条坊城の交差点の南西角に立つ神社が「祇園梛神社」です。






 ここにはかつて、祇園祭りで有名な八坂神社の主祭神・牛頭天王(=スザノオ神)が、現在の八坂神社へ行く前に祀られていた場所です。
 平安時代初期、平安京に疫病が流行っていた頃のこと。
 貞観11年(869年)、疫病退散のために播磨国広峰から牛頭天王(=スザノオ神)を東山(現在の八坂神社)に勧請されることになりましたが、その途中でここで牛頭天王を乗せた神輿が降ろされ、休まされたそうです。
 当時この辺りは梛(なぎ)の木の森だったそうです。
 
 なお、入り口の石柱には「隼(はやぶさ)神社」とも刻まれています。
 式内社として「隼神社」もあります。



 普段は静かな境内ですが、節分ではこの通り。

  




 境内の狛犬。








 なかなかいい面構えです。



 本殿へ参拝します。






 向かって左が「梛神社」です。





 主祭神は、牛頭天王。
 他に、イザナミ神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ。稲荷神社の神様)、誉田別尊(ほむたわけのみこと。応神天皇)が祀られています。

 後に祇園社(現在の八坂神社)が創建されて牛頭天王が移って行く時には、この地域の住民たちが、花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏しながら神輿を見送ったそうで、それが祇園会(現在の祇園祭)の起源にもなっているそうです。



 向かって右にあるのが「隼神社」。





 タケミカヅチ神と経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。
 朝廷で定められた官幣大社だった、つまりそれだけ格式の高い神社だったようです。
 元々は別の場所にあったそうですが、現在では梛神社の「式内社」として遺されています。



 梛神社を出た後は、狭い坊城通りを南へ下って、壬生寺へと向かいます。






 それでは、今回はここまで。
 この続き、次回は壬生寺の節分の様子をお届けします。





*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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コメント一覧

小路@管理人
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>酔っぱの猫さん

 いつもコメントありがとうございます。
 梛の木については私より詳しいですね(笑)。
 というより、梛にそんな歴史があったとは、私もまだまだ勉強不足です。

 祇園社との関係はわかりませんが、梛の葉にも、そんな利用法を思いつく人間の発想力は面白いですね。
酔っぱの猫
なかなか面白いお宮ですね。
壬生と言ったら新撰組に壬生菜が有名ですが、祇園祭の元祖ですか。
神社名になっている梛も面白い木でその昔は葉をお守りにしたとか、葉脈が縦に通っているので横に千切り難い- 良縁が切れない様にと女性がお守りにしたとか。
祇園社と何か関係があるのかな?
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