京都の闇に魅せられて(新館)

子年に妖怪「鉄鼠」を拝む @ 京都妖怪探訪(672)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 今年(2020年、令和2年)は正月3日間は出勤したので、初詣らしい初詣もしていませんでした。
 ようやく仕事休みになった5日と6日、「正月三日はもうとっくに過ぎたけど、それでもどこかにお参りしようかな」とか考えていたら、ふと今年が子年だったことを思い出し、そして思いつきました。
 『京都妖怪探訪』を続けてきたものとして、ねずみを、それもねずみの妖怪を祀る魔所へと参拝へ行くのはどうか、と。
 そこで、京都・滋賀で有名な妖怪「鉄鼠(てっそ)」を祀る社へ参拝することにしました。

 なお、妖怪鉄鼠を祀っているとされる社は、2つあります。
 ひとつは、有名な‘三井寺’こと園城寺境内の一角にひっそりと立つ‘ねずみの宮’こと「十八明神社」。
 もうひとつは、大津市・坂本の日吉大社近くに、やはり小さくひっそりと立つ「鼠社」です。
 今回はそのうち前者、三井寺の「十八明神社」を訪れます。

 京阪電車・石山坂本線「三井寺」駅から琵琶湖疎水沿いの道をあるきます。









 途中に立つ、三尾(みお)神社にも参拝していきます。









 ここは、シリーズ第89回の岡崎神社みたいに、ウサギを神様の使いとしているようです。












 ウサギを神様の使いとしているということは、岡崎神社のように子宝祈願、子孫繁栄を願ってのとことでしょうか。
 この三尾神社も面白そうですが、今回の第一目的ではありませんので、また別の機会に詳しく調べるとして、少しだけ参拝して先へと進みます。


 三尾神社境内の隣に、ひっそりと立っているような「総門」。






 今回はここから入ります。
 「総門」という割には、「大門」とも呼ばれる「仁王門」からすればこちらはずいぶんと小さく見えてしまいますが。
 しかしながら、ここで受付をしていた寺のスタッフの方のお話によれば、古くはこちらから入って「仁王門」の方へと進む方が、正式な参拝順路だったそうです。
 今回はそれに従って、こちらから総門へと抜けます。


 さて、今回の第一目的は「十八明神社」への参拝ですが、途中の道にもいろいろ面白いものがありますので、それらにも注目しながら進んでいきます。


 総門から入ってすぐに見えてくるのが、薬師如来を祀る「水観寺(すいがんじ)」です。












 薬師如来といえば。
 だいぶ以前、京都・六波羅蜜寺を訪れた時にですが、六波羅蜜寺・宝物館の受付をしている方から、「正月三日に薬師如来さんを参拝すると、千回参拝したのと同じ功徳を得られる」というお話を聞いたことがあります。
 私は「ホンマかいな?」とか思ったのですが、それ以来、毎年の正月三箇日には薬師如来に参拝するようにしております。
 今年は正月3日を過ぎてしまいましたが・・・それでも参拝をしていきます。


 水観寺を過ぎたら、長い階段のある坂道を上ります。








 そしてここにはかつて、「一騎当千の僧兵」とも呼ばれた「浄妙坊」が居たと伝えられています。
 この超人的な僧兵については、かの『平家物語』での宇治川合戦の場面での活躍が有名で、シリーズ第411回でも紹介した、祇園祭の「浄妙山」のモチーフになった有名でもあります。
 つまり、これは一種の「英霊」では・・・。
 すみません。人気ゲーム・アニメ『Fate』シリーズにハマって以来、「英霊」というキーワードに、ついワクワクしてしまいますので・・・。
 次に、進みましょう。


 山の上に立つ「観音堂」と「鐘楼」。








 ここにも何度も訪れシリーズ第10回などで紹介してきましたかな。


 ここへの参拝を済ませ、そこからいよいよ今回の第一目的である、‘ねずみの宮’こと「十八明神社」を訪れます。








 ここが妖怪「鉄鼠(てっそ)」を、「鉄鼠」に成り果てた三井寺の高僧・頼豪(らいごう)」を祀る、‘ねずみの宮’「十八明神社」です。
 妖怪好きやオカルトマニアにはご存じの方も多いかもしれませんが、ここで「鉄鼠(てっそ)」という妖怪について、復習も兼ねて簡単に解説しましょう。
 まず姿ですが、以下のような鼠と人間とが合わさったような姿で知られているようです。





 これは、こちらの過去記事の時に訪れた、鳥取県境港市の「水木しげるロード」に立っていた、あの水木しげる先生が描いた「鉄鼠」の像です。
 「鉄鼠」は水木しげる先生が描かれた、あるいはその元となった妖怪絵師・鳥山石燕などによって描かれたこの姿で知られています。
 元は人間で、しかも「阿闍梨(あじゃり)」という位を持つ「頼豪(らいごう)」という三井寺の高僧だったと伝えられています。
 優れた霊験で知られ、1074年(承保元年)白河天皇の皇子誕生を祈願し、見事に皇子を誕生させたことで、天皇から褒美を約束されます。
 頼豪は自ら所属する三井寺の戒壇院の設立を望みます。
 さて、「戒壇院とは何か?」「それは何を意味するのか?」ですが。
 当時は(鑑真和尚が奈良・東大寺に戒壇院と戒壇院の制度を確立して以来)、僧の資格は国(国分寺)によって管理されており、正式な資格を得て僧になるには、その戒壇院で受戒することが必須でした。
 この戒壇院を持っていたのは、東大寺などの国分寺の他は、桓武天皇・最澄以来朝廷や皇室との関係が深かった比叡山延暦寺くらいでした。
 つまり三井寺が自前で戒壇院を持つということは、正式な僧侶の資格を授けるだけの権利を持つことであり、また国分寺や比叡山延暦寺と同等までにランクが上がるということでもあるのです。
 しかしこれに、当時三井寺と対立関係にあった延暦寺が猛反対。
 その為、頼豪と三井寺の悲願はかないませんでした。
 それを激しく恨んだ頼豪は、自ら魔道に落ちて、皇室や延暦寺を呪う護摩・断食行を行い、最後は悪鬼のような姿になり果てて死んだ、とされています。
 その後、頼豪の祈祷によって誕生したという皇子はわずか4歳で亡くなり。頼豪の怨霊は石の身体と鉄の牙を持つ無数の鼠となって、経典や仏像、堂塔を食い荒らすなどの被害を延暦寺にもたらした、とされています。
 その頼豪の霊を祀っているというのが、ここ「十八明神社」です。
 現在でも比叡山の方向を向いている、とも言われています。





 ここを初めて訪れた時、この「十八明神社」だけは周辺の人手や賑わいも、また時の移り変わりからも取り残されたかのように、寂しく、荒れ果てていたように思います。
 現在では、きれいに掃除・整理されていますが、それでも参拝者の姿もほとんど見られず、ここだけ時が止まったかのような寂しさ、哀しさを感じずにはいられませんでした。
 自ら魔道に落ちた頼豪の霊は、現在は安らかに眠っているのだろうか。
 怨霊というものは、どこか哀しさを感じさせます。






 今回はここまで。
 また次回。





*‘三井寺’園城寺へのアクセス・周辺地図はこちらをご覧下さい。




*‘三井寺’園城寺のHP
http://www.shiga-miidera.or.jp/index.htm




*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/




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