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京都の闇に魅せられて(新館)

祇園祭「長刀鉾」 @ 京都妖怪探訪(499)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 7月の京都では、有名な「祇園祭」が行われます。
 祇園祭といえば、一般には7月17日と24日の「山鉾巡行」が有名ですが、本シリーズでは、その山鉾についても、今までに何度か取り上げてきました。
 今回は、それら祇園祭の山鉾の中でも最も有名な「長刀鉾(なぎなたほこ)」を訪れました。


 まずはいつもの通りアクセスから。
 京都市のほぼど真ん中、四条烏丸(しじょうからすま)の交差点。





 これは四条烏丸交差点付近に建つ「函谷鉾(かんこほこ)」です。
 ここには京都市の中心部だけあって、京都市営バス「四条烏丸」停留所京都市営地下鉄「四条」駅阪急電車「烏丸」駅などの交通手段があります。


 四条烏丸の交差点から四条通りを少し東へ行くと、「長刀鉾」が建っています。





 もちろん、祇園祭で「長刀鉾」が建てられているのは、毎年7月14日から17日の山鉾巡行までの間だけですが。
 なお、この辺りの地域は、その名も「長刀鉾町」というそうです。

 「長刀鉾」。
 33基ある祇園祭の山鉾の中で特別な存在のようです。
 「くじとらず」とも言われ、山鉾巡行では、33基ある山鉾のうち必ず「前祭」の最初に巡行する山鉾です。
 生稚児(いきちご)、つまり人形ではない本物の稚児が、二人の禿(かむろ)を従えて乗るという唯一の山鉾でもあります。
 山鉾巡行の最初に、この鉾に乗った稚児が、四条麩屋町にかけられた(神域との境界を示すという)注連縄(しめなわ)を切るという、「注連縄切り」も有名です。
 一番上の鉾頭(ほこがしら)に、平安時代の名工・三条小鍛治宗近の作だという長刀を抱えているので、「長刀鉾」だそうです。

 以下は、2011年の山鉾巡行の時の記事からですが、長刀鉾の鉾頭にある長刀です。





 この長刀には、以下の様ないくつもの伝説が遺されています。

・三条小鍛治宗近が娘の病気平癒のために八坂神社に奉納した。
・一時期、和泉小次郎親衡(ちかひら)という源氏の武将が手に入れたが、次々と怪現象が起こり、恐れをなした親衡は長刀を返納した。
・大永2年(1522年)、神託により長刀鉾町でこの長刀を飾ったところ、流行していた疫病は治まった。
・その後返納しようとしたら、長刀は重くなって動かなくなり、それ以来町内で祀るようになった。

 また、長刀の製作者とされる平安時代の名工・三条小鍛治宗近も、不思議な伝説が遺されている人物です(※第84回「相槌稲荷」を参照)。



 ところで。
 「祇園祭」の山鉾巡行の意味とは何か?
 何の為にするのか?
 そもそも「祇園祭」とは何か?
 何故、わざわざ本シリーズでとりあげるのか?
 過去記事(第43回第191回第291回など)の繰り返しになるかもしれませんが、ここで少しおさらいを。
 元々祇園祭は、「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」と呼ばれていました。
 御霊会(ごりょうえ)というのは、「御霊」という言葉からもおわかりかもしれませんが、いわゆる怨霊など祀り、鎮魂し、その祟りを防ぐための宗教的な儀礼なのです。
 平安時代などに広まった、怨霊信仰。
 天変地異や疫病の流行などの災厄は、怨霊や悪霊、疫神やもののけなどの仕業と考えられ、それらを鎮めるための儀礼が行われるようになりました。
 平安時代の貞観11(869)年、当時流行した疫病を鎮める祈願を込めて、66本の矛を立て、神輿3基を送り、疫神・牛頭天王(=スサノオ)を祀り御霊会を行ったのがその起源だとされています。
 室町時代に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになりました。
 その後、応仁の乱や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在まで千年以上も続けられています。
 つまり、現在では京都の夏の風物詩となっている一大イベントも、元は怨霊や疫神を鎮めるため(ご機嫌をとっておとなしくしてもらうため)の宗教的儀礼であったわけです。
 祇園祭で最も重要なのは、17日の「神幸祭」と24日の「還幸祭」で行われる神輿の巡行です。
 「山鉾巡行」とは、神様が乗るという神輿を巡行させる前に、町中の災厄や穢れなどあらゆる悪いものを山鉾によって集めるというものです。
 病を払う力があるという長刀を掲げた「長刀鉾」がその先頭を行き、町中の災厄や疫病、穢れなどを払っていくわけです。

 以下は、17日(前祭)に「長刀鉾」が巡行する様子です。






 なお、長刀鉾の拝観もできます。
 長刀鉾で売られている商品(お守り、ちまき、朱印帳など)を買うと、会所の2階にあげてもらい、さらに「長刀鉾」の上に乗せてもらえます。
 
 会所の2階、山鉾を飾るものや稚児が使う着物等の宝物が展示されています。
 
 
















 こちらは昨年新調されたという見送り、『旭日鳳凰』。








 かつてこの付近に生活していたという伊藤若冲の生誕300年を記念して、同名の作品をモチーフに創られた見送りです。
 奇しくも今年は酉年。
 鮮烈な色使いもあって、かなり人目をひくものと思われます。


 そして、2階の一角に一本の長刀が。





 三条小鍛治宗近の創った長刀は、室町時代に三条長吉の長刀に交換され、さらに江戸時代に和泉守来金道の長刀に交換されたそうです。
 これは、かつて実際に使用されていたという和泉守来金道の作品です。
 現在では、長刀鉾の鉾頭に使用されているのはレプリカだそうです。実際の長刀を使用するには、重すぎてバランスをとるのが難しい等の問題があるそうなので。
 では、三条小鍛治宗近が創ったという伝説の長刀の実物は現在どこにあるかというと……神宝として町内か、あるいはどこかに秘蔵されていて、一般では観ることができなくなっているそうです。


 せっかくの機会ですので、長刀鉾の中にも上がらせていただきました。















 どういうわけか昔から現在に至るまで「女人禁制」となっているため、女性はこの鉾には上がれません。
 私は男性ですので、上がらせてもらえました。
 その中の様子を写真にてお届けしたいと思います。


















 今回はここまで。
 また次回。





*八坂神社のアクセス・周辺地図はこちら




*祇園祭のHP
http://www.gionmatsuri.jp/




*八坂神社のHP
http://www.yasaka-jinja.or.jp/




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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