前回の続きで、三井寺の桜と不思議スポットをめぐります。
写真は去年のものですが。
桜だけでなく、不思議な伝説の遺るスポットも紹介してきます。
まずは門から境内に入ります。
有名な三井寺の鐘楼「三井の晩鐘」です。
近江八景のひとつとしても有名です。
この晩鐘がすぐそばにある、本尊・弥勒菩薩が安置されている国宝・金堂です。
現在の金堂は、あの北政所……つまり、豊臣秀吉の正室・ねねさんによって再建されたものだそうです。
その金堂の周辺にも桜が咲き誇っています。
さて、桜だけでなく、不思議な伝説の遺るスポットも紹介してきます。
まずは、金堂のすぐそばの「閼伽井(あかい)堂」。
シリーズ第8回でもとりあげましたが、ここで改めて。
このお堂の中には霊泉があり、今でも水が沸き続けています。
中からは、「ごぼっ、ごぼっ」という音が響いてきます。
この中の霊泉は、「天智・天武・持統天皇の産湯に使われた」と伝えられています。
また古記には、この泉に龍神が住んでいたという話も伝わっているそうです。
ちなみに、この霊泉こそが「三井(御井)の寺」という名前の由来になったそうです。
その上部にある左甚五郎が彫ったという、不敵な面構えの竜も忘れてはなりません。
この竜は、左甚五郎という伝説的な彫刻職人が彫ったものだと伝えられています。
この竜、昔は夜毎に動き出し、琵琶湖周辺で悪事を繰り返したなどという伝説があります。
製作者の左甚五郎が、竜の左目にのみを打ち込んで、その悪事を封じたといわれています。
次はこのお堂。
このお堂の中には、(当時の三井寺と対立関係にあった比叡山の僧でもあった)あの弁慶が略奪し、引きずったという伝説の鐘、「弁慶の引き摺り鐘」です。
「弁慶に略奪されて泣き出した」とか、「変事の前兆として、不可思議な現象が起きた」などの、「霊鐘」というにふさわしい様々な伝説がいくつもあります。
この鐘については、シリーズ第9回でとりあげています。
そこからさらに進みます。
三井寺の不思議な伝説が残る場所のひとつ、村雲橋にたどり着きました。
三井寺の中興の祖・智証大師がこの橋を渡ろうとした時、ふと西の空を眺めて、(大師が唐留学の際に学んだ)長安・青竜寺が焼けていることを感知しました。
大師はすぐに真言を唱え、橋の上から水をまくと、橋の下から雲が湧き起り、西に飛び去り、清竜寺の火事を消したと伝えられています。
後に青竜寺から礼状が届き、それ以来、この橋を「ムラカリタツクモの橋」→「村雲橋」と呼ぶようになったと、伝えられています。
この場所も「第8回:三井寺の霊泉と左甚五郎の竜」や「第9回:弁慶の引き摺り鐘」などと共に、以前訪れた時に取り上げたかったのです。
しかしながらその時は、村雲橋が修復工事中だったので思うような写真が撮れなかったため「残念だが次の機会にしよう」と思って諦めていたのです。
それが今回、ようやくここをとりあげることができました。
さて、そこそこの長さになりましたので、今回はここまでとします。
また次回!
三井寺のホームページ
http://www.shiga-miidera.or.jp/
三井寺の周辺地図はこちらをご覧ください。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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