京都の闇に魅せられて(新館)

永観堂禅林寺の紅葉と見返り阿弥陀=惟喬親王伝説・後編 @ 京都妖怪探訪(662)





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 どうも、こんにちは。
 シリーズ前回に引き続いて、京都屈指の紅葉名所のひとつ、永観堂禅林寺の紅葉風景を巡ります。
 さらにその紅葉風景の背後には、怨霊と化した悲運の皇太子・惟喬親王(これたかしんのう)の存在が。そして現在の永観堂を創りあげ、古刹の名の由来ともなった永観律師と本尊「見返り阿弥陀(?惟喬親王の怨霊)」との意外な関係もあったのです。


 まずはシリーズ前回の続きから。
 本堂から放生池、極楽橋へ。











 ここで、シリーズ前回のおさらい……というか繰り返しになりますが、「見返り阿弥陀」と、その元となった人物・惟喬親王について、もう一度。

 永保2年(1082)、阿弥陀像が歩き出し、永観律師を先導し、振り返って「永観おそし」と言ったという伝説が遺されています。
 それで振り返ったポーズのままになっているそうです。
 この「見返り阿弥陀」像は実は、惟喬親王(これたかしんのう)という平安時代の皇族に似せて創られた、とする説があります。
 惟喬親王は、才能や人望に恵まれながら、当時の権力者・藤原氏の都合の為、皇位を継承できずに無念の死を遂げたとされる人物で、シリーズ第328回(惟喬神社)や、第521回から第523回まで(南禅院・無関普門禅師の妖怪退治伝説)で触れていますように、怨霊と化したとも伝えられる人物でもあります。
 そして永観律師と惟喬親王との間にも、意外な関係があったとも伝えられるのですが・・・。
 などと、前回はこんなもったいぶった言い方で終わってしまいましたが。
 結論から言えば、永観律師は惟喬親王の子孫、惟喬親王と同じ紀氏の一族なのです。
 日本では古来より「先祖の霊は子孫によって供養されるべき」と考えられてきたようです。
 その辺のことをもう少し詳しく語りながら、さらに永観堂の紅葉風景を巡ることにしましょう。


 放生池、画仙堂、弁天社へ。














 ここで惟喬親王とはどういう人物だったのか、をもう少し詳しく。
 惟喬親王は文徳天皇の第一皇子で、弟には第四皇子・惟仁親王(後の清和天皇)が居ました。
 優秀で人望もあり、父の文徳天皇も皇位を惟喬親王に継承させるつもりだったようですが、当時の権力者・藤原氏(藤原良房)の力で皇位に就けなかったそうです。
 惟喬親王の母は紀氏の出身であるのに対し、惟仁親王の母は藤原良房の娘・明子。
 紀氏と言えば、藤原氏との権力闘争に敗れて衰退していった一族のひとつ。
 背景には藤原氏と紀氏との確執や闘争があったようですが、結局惟喬親王は天皇にはなれずに無念の死を遂げたと考えられたようです。
 一部には暗殺されたのではないか、とする説もあるようですが、真相は定かではありません。
 その一方、惟喬親王の犠牲の上に皇位に就いた惟喬親王は、源氏の祖ともなった清和天皇になりました。
 貞観5年(863年)、のちに永観堂と呼ばれる禅林寺が、清和天皇の勅命で創建されます。








 ここで、そもそも永観律師とはどんな人だったかについても。
 元々は源国経(みなもとのくにつね)という文章生の子ですが、のち石清水八幡宮別当・元命の養子となります。
 石清水八幡宮のトップは代々紀氏が世襲していたそうで、永観律師も直接的な血のつながりは無いものの、紀氏の一人となるわけです。
 石清水八幡宮も元々は、禅林寺と同じく清和天皇の勅願(※ただし当時の清和天皇は10~13歳だったので、その母方祖父にあたる藤原良房の意思であったと考えられます)で創建されています。
 先述のように、古来よりわが国では「御霊(怨霊)はその子孫に祀らせる」という考えがありましたので、禅林寺と石清水八幡宮の創建には「惟喬親王の怨霊を祀る」という意図もあったのかもしれません。
 本シリーズを始めて、いろいろと調べているうちに気付いたのですが、京都の神社仏閣の中には、御霊(怨霊)を祀るという意図で創建されたものが結構あります。特に、藤原氏はその権勢獲得の為に多くの政敵やライバルを潰してきて、その怨霊を相当恐れていたようですので、藤原氏の時代に建てられた神社仏閣の中にはそういうのも少なくないようです。
 有名な神社仏閣の中にも意外とそういうのがあったりして、まさか‘紅葉名所’永観堂もその中のひとつだったとは。
 本シリーズを始めて以来、京都の神社仏閣に対する見方が少し変わりましたね。









 山の中腹に多宝塔が見えます。
 今回はそちらにも上ってみることにします。









 少し曇っていたのが残念ですが、ちょうど日が沈む頃に、永観堂境内で最も見晴らしのいい場所で京都の街の夕景を眺めることが出来ました。








 今回はここまで。
 また次回。




*永観堂禅林寺へのアクセス・周辺地図はこちらをご覧下さい。




*永観堂禅林寺のHP
http://www.eikando.or.jp/index.html




*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/




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