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どうも、こんにちは。
このところ、オフが公私共に多忙になったこともあって、前回記事から10日ほど空き、しかももう8月になってしまいました。
リアルの祇園祭はもう終わっているのですが、今回も今年(2019年、令和元年)の祇園祭と、山鉾の記事にします。
今回は、「蟷螂山(とうろうやま)」を。
シリーズ前回、「放下鉾」のある新町通りから四条新町の交差点へ戻り、四条通りを西へ。
ここにはシリーズ第365回でも紹介した「郭巨山(かっきょやま)」が建っていますが、今回は省略。
四条西洞院(しじょう・にしのとういん)の交差点から、西洞院通りを北へ。
その手前のマンションにあった、蟷螂山の会所へ立ち寄ってみます。
見事な懸装品の数々も。
会所付近には、このような懸装品も。
ここで「蟷螂山(とうろうやま)」とはどんな山なのか。
以前紹介したシリーズ第190回のおさらいになりますが、簡単に解説を。
この山は「かまきりやま」とも呼ばれていて、からくり仕掛けで動くかまきり人形が乗っているという、非常に珍しく、また人気も高い山です。
この山は、「蟷螂の斧を以て降車のわだちをふせがんと欲す」という、自分の力をわきまえずに大敵に立ち向かうことで勇敢さを賞した中国の君子の故事にちなんで作られたそうです。
南北朝時代のこと。南朝側の武将として北朝軍と戦い戦死した、四条隆資(たかすけ)卿の武勇ぶりを蟷螂に見立て,永和2(1376)年,四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのが始まりだそうです。
長い歴史の中で、何度かの戦火などに遭い、巡行が中断された時期もありましたが昭和56(1981)年に巡行へ復帰しました。
山の下では「かまきりおみくじ」という、ミニかまきり細工を使ったおみくじが行われていましたが、行列が出来るほどの大人気です。
そして山の上には、かまきりの姿が。
この「蟷螂(とうろうやま)」に喩えられた武将・四条高資は、正平7年・文和元年(1352年)の男山の戦いで、南朝方の武将として、後村上天皇を守るために殿(しんがり、部隊の最後尾)を務めて戦死したと伝えられています。
そんな勇士を讃える為に創られたにふさわしく、威風堂々たる姿です。
また、以下も過去記事で紹介しましたが、蟷螂山の巡行の光景です。
【動画】2012年祇園祭・蟷螂山
子供たちの声援に応える姿が印象的です。
歴史の敗者となっても、多くの人々に慕われ、語り継がれてきた英霊の現在の姿が、そこにはありました。
さて、今年最後の祇園祭の記事になります。
今年は仕事などオフの他の用事が入り、後祭にも山鉾巡行にも行けなかったのが残念ではありますが。
また来年、ですね。
今回はここまで。
また次回。
*蟷螂山のHP
http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/toroyama.html
*『京都妖怪探訪』シリーズもよろしく。