京都の闇に魅せられて(新館)

山科「二の講」と大蛇伝説(後編) @ 京都妖怪探訪(336)





 どうも、こんにちは。
 シリーズ前回の続きで、京都・山科の小山地区に伝わる伝統行事「二の講」と、その由来となった「内海浪介景忠の大蛇退治伝説」についての話をします。



 藁で作られた大蛇が完成します。






 大蛇の前に祭壇が設けられ、次々とお供えものが出されていきます。






 中には、蛇の大好物といわれる卵も。






 ところで、全部で13個作られた「蛇の足」のうち、12個は蛇本体に取り付けられ、残り1個は別に置かれていました。





 この残り1個の足は、後で音羽川の水源地に持っていかれて祭られます。



 神主さんが来られて、神事が始まります。












 小山地区の皆さんも、礼拝されます。






 その間、見学に来た子供たちも、神事の様子を熱心にスケッチしていました。






 小山総合センターグランドでの神事が終わり。






 「山の神」である大蛇が、音羽川ほとりの地まで担がれて行きます。






 13個目の「蛇の足」だけ、音羽川の源流へと持っていかれます。






 町内巡行の様子です。
 












 音羽川ほとりの、大蛇を祀る地までやってきました。






 大蛇が2本の大木にかけた棒で吊されます。














 最後にもう一度神事が行われます。






 こうしてお祭りは今年も無事に終わりました。
 藁の大蛇は一年間吊され、来年の2月9日にまた新しい大蛇が祭られます。



 さて、ここで少し余談を。
 以下の話は、私の勝手な推測に過ぎないということをお断りして申し上げますが。

 700年ほど前の大蛇退治伝説の真相はどのようなものだったのか?
 倒されたという大蛇の正体とは、一体何者だったのか?
 今までの本シリーズを振り返ってみても、似たような行事や伝説がありました。
 シリーズ第120回の『奈良・橿原のシャカシャカ祭り』。
 第165回の『守山・住吉の火祭り』。
 第166回の『守山・勝部の火祭り』。
 「大蛇の霊を祭る」という伝統行事と、その由来となった大蛇退治の伝説。
 その祭りの中には、抗争や虐殺等、闇に葬られた黒歴史を匂わせるものもありました。









 奈良、滋賀、そして京都と、関西圏内にこうしたものが遺されている。これは一体、何を意味するのか?
 おそらく大蛇の正体とは、かつて奈良・滋賀・京都に渡る広い地域に住んでいた部族か氏族、あるいはこの地域で勢力を持っていた豪族などといった人々を象徴しているのではないか。彼らが蛇や龍神を神として崇めていたなどの理由で、後世の記録や伝承で「大蛇」とされたのではないか。
 大和の中央権力は、こうした人々を抗争の末に打ち負かし、火を放って虐殺、そしてその富と土地を自分のものとした。しかし、怨霊信仰から彼らの祟りを恐れ、農神として祭ることにした。

 そう言えば以前、妖怪絵師・伝導師の葛城トオル氏から、こんな話を聞いたことがありました。
 「蛇を崇めるのはオオナムチ、つまり大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭る、出雲系の人たちです」
 ここで私は、前編でも紹介しました「内海家文書」にある「(大蛇が倒された)その日一日、清水寺・音羽の滝の水が赤く染まった」というくだりを思い出しました。このくだりも、大蛇の正体を暗示しているように思えたのです。
 葛城氏からは、清水寺について次のような話も聞きました。
 「元々清水の地に祭られていたのは何か? 坂上田村麿呂の観音様? いえいえ、違います。あそこにはそれより古く、地主神社がありました。あそこの主祭神は大国主命(おおくにぬし)でしたね。つまり、大国主命を祭る地だったのです」
 山科・小山の大蛇が倒された時、「清水寺・音羽の滝が赤く染まった」というのは、音羽川と音羽の滝とがつながっているという理由からだけではなく、音羽の滝がある清水の神様を崇めていた出雲系の人々が皆殺しにされたことも暗示してるのではないか。
 なんか、そういう気がしてきたのですが。






 以上は全て、私個人の勝手に推測に過ぎず、それを裏付けるだけの確証も今のところ、無いのですが。
 ただ、本シリーズを続けて、各地の民話や伝承、妖怪や怨霊などの伝説にふれていきますと時々、公の記録に遺されたいわゆる「正史」には出てこないような、戦争、災害、権力抗争、虐殺などの「黒歴史」を匂わせるようなものに出くわすことがあります。
 正式な学問研究とは別に、こうしたものに思いを馳せ、想像力を巡らせるのも、私には全く無駄とも思えません。



 果たして、内海浪助景忠の退治した大蛇の正体とは何者だったのか?
 700年以上前の大蛇退治の真相は、いかなるものだったのか?
 それらは謎のままです。
 ただ、音羽川のほとりにある「山の神」と、その神様を祭る行事だけが、今でも受け継がれ続けています。






 それでは、今回はここまで。
 また、次回。





*二の講(「山科図書館だより」より)
http://www.kyotocitylib.jp/yamasina/1003Yama.htm



*小山「二の講」及び小山総合センターへの地図・アクセスはこちら




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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