京都の闇に魅せられて(新館)

法成寺跡と藤原道長呪殺未遂伝説 @ 京都妖怪探訪(589)





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 どうも、こんにちは。
 『霊場魔所の紅葉』シリーズを一旦休んで。
 今回は、有名な事件・伝説の舞台となったスポットをひとつ紹介します。
 そこは現在、小さな石碑が残るのみですが、かつては藤原氏の、平安時代の大権力者・藤原道長の権勢を誇示するかのように、広大な敷地と壮麗な伽藍を誇った大寺院が建っていたという。
 そして、藤原道長の暗殺未遂、しかも呪殺未遂事件があった場所で、さらにそれを伝説的陰陽師・安倍晴明によって阻止されたという事件があったと伝えられる場所でもあります。
 『霊場魔所の紅葉』シリーズで、荒神口から寺町通りの霊場紅葉を巡る途上に寄ったに過ぎないのですが、こんな事件・伝説の舞台となった場所は、本シリーズで是非とも取り上げなければなりません。

 シリーズ前回、護浄院から、荒神口通りをそのまま西へと歩きます。





 なおシリーズ前回の繰り返しになりますが、 最寄りの交通機関は京都市営バス「荒神口」停留所です。






 荒神口通りを西へ行きますと、南北両側共に京都府立鴨沂(おうき)高等学校の敷地が広がっています。
 そこを進んでいくと、北側グラウンド沿いの一角に小さな石碑が見えてきます。





 「従是東北 法成寺跡」と書かれた石碑があります。





 「源氏物語ゆかりの地」として紹介されているようです。
 ここにはかつて、日本史上、平安京史上名高い、藤原氏の権勢最盛期を築いたという権力者・藤原道長が建てさせたという法成寺という寺院があった。
 藤原氏と、道長の権勢を誇示するかの如く、広大な敷地と壮麗無比な伽藍を誇っていたということがわかります。


 さて、ここではもうひとつ。
 藤原道長と、安倍晴明と、そしてその宿敵・ライバルとして名高い道摩法師にまつわるひとつの事件・伝説も伝わっているのです。
 「宇治拾遺物語」にある説話『一〇(一八三)御堂関白の御犬晴明等奇特の事』等で伝えられている、以下の様な話です。

 御堂関白となった藤原道長は、自身が発願して創らせた法成寺へ毎日参拝していました。
 ある日、いつものように法成寺へ参拝に行くと、いつも連れている道長の愛犬が、門を通ろうとする道長の行く手に立ちはだかり、吠えて道長の行く手を阻もうとします。
 道長が「何でも無いだろう」と思って車から降りて通ろうとすると、愛犬は道長の衣服の裾に噛みついて、門を通るのを阻もうとします。
 「これは、何かあるのだろうか?」
 不審に思った道長は、すぐに安倍晴明を呼び、「これはどういうことか」と尋ねました。
 晴明が占いをしたら、「門に入る道に道長を呪うものが埋められていて、犬はその危険を知らせようとしたのだ」という結果が出ました。
 そして晴明が占いで示した場所を掘ってみると、土器を二つ合わせ、黄色の紙で十字に縛った形の呪具が出てきました。
「私の他にこんな術を知っている者は居ないはずですが。こんな術を使うのは、あの道摩法師(蘆屋道満)の仕業かもしれません。問いただしてみましょう」
 そう言った晴明が、鳥の形に折り結んだ紙を術で白鷺に変えて空に放ちます。その白鷺の行方を追っていきますと、都の外れ六条付近にあった蘆屋道満の家に辿り着きました。
 すぐに道摩法師は捕らえられ、尋問されると「堀川左大臣・藤原顕光の命令やった」と自白させられました。
 道長は「道満は流罪にすべきではあるが、この者の責任ではない」「今後このようなことをしてはいかん」と言いつけ、道摩法師を故郷の播磨へと追放します。
 黒幕の藤原顕光は後に、道長との出世争いに敗れて無念の最期を遂げて怨霊化し、「悪霊左府」と言われるようになります。
 一方、道長を救った愛犬はさらに可愛がられることになったと伝えられています。





 以上が、法成寺を舞台にした「藤原道長呪殺未遂事件」のあらましです。
 が、この話、少々疑問に思えるところもあります。
 まず、史実では安倍晴明本人は寛弘2年(1005年)に亡くなっており、法成寺の建立が始まったのはそれから更に後の寛仁4年(1020年)だとされていますから、この話に晴明が登場するのはおかしいということになります。
 この呪殺未遂事件を解決したのは実は、安倍晴明の子孫か後継者にあたる陰陽師だとする説もあるそうですが……。
 また、要人暗殺といういつの時代、どの国・社会でも極めて重い刑になるような重犯罪のはずですが、その実行者に対して「責任はないから故郷へ追放するだけ」とは随分と軽いというかおかしな刑罰だと思うのですが。
 以下は私の推測ですが……。
 当時は呪術や怨霊などが本気で信じられ、恐れられていたのですから、強力な術者である道摩法師の力は大権力者の藤原道長にとっても本当に恐ろしいものだった。下手に厳罰にして、強力な呪術で報復してきたり、或いは処刑して怨霊になって来られたら……。その恐怖があったからこそ、「故郷へ追放」という普通では考えられないような軽い罰にしただけという。
 ただ、藤原氏は政敵やライバルを失脚させる為に、「相手に呪殺もしくは呪殺未遂の罪を被せる」という手法も用いてきたことを考えれば……。もし本当にそうだったら何故、この事件における道摩法師のケースみたいに「責任ないから故郷に追放するだけ」とはならなかったのか?
 つまり……藤原氏から呪殺の疑いをかけられ潰された人たちは実は、本当は呪殺の術など使ってはいなかった。その人たちにそんな力があるとは、本当は藤原氏自身も思ってはいなかったのではないか。結局は、ただの言いがかりでしかなかったのではないか?
 何と言いますか、いろいろと疑問点や突っ込み所がありそうな事件ですが……。

 ただ、その真相はどうであれ。
 かつては強大無比な藤原氏の権勢も現在は無く、その権勢の象徴だった広大かつ壮麗な寺院も今はもう存在せず、小さな石碑が遺るのみです。
 諸行無常、栄枯盛衰といったものを感じずにはいられません。


 荒神口通りをさらに西へ進み、寺町通りと交わる場所で終わります。





 そこからさらに寺町通りを北へ。
 次の霊場に向かいます。


 今回はここまで。
 また次回。




*法成寺跡の周辺地図・アクセスについてはこちらを参照。




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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