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どうも、こんにちは。
シリーズ第672回の「三井寺・十八明神社」に続いて、子年にあたる今年(2020年、令和2年)に有名なネズミの妖怪「鉄鼠(てっそ)」を祀るもうひとつの社へ参拝することにします。
それが、現在も大津市坂本に遺る、その名も「鼠社(ねずみのやしろ)」です。
自らの悲願を阻んだ比叡山延暦寺に凄まじい怨念を抱きながら断食業をして死に、自ら魔道に落ちて、ネズミの妖怪「鉄鼠」となって、比叡山に深刻な被害をもたらし続けた、三井寺の元高僧・頼豪(らいごう)。
その怨念に恐れをなした延暦寺側は、日吉大社の東本宮前に「鼠の秀倉(ほくら)」という社を築いてその怨念を鎮めたと伝えられています。
その「鼠の秀倉」が、坂本・日吉大社付近に現在もひっそりと立つ「鼠社」だとされています。
今回は、その「鼠社」を訪れます。
まずは、いつもの通りアクセスから。
京阪電車・石山坂本線「坂本比叡山口」駅から。
駅前の道(県道316号線、比叡山道)を西へ少し歩くと、日吉大社の大鳥居が見えます。
大鳥居から日吉大社、比叡山へと続く道(県道316号線、比叡山道)を進んでいきます。
カフェ・喫茶のある辺りを右折(北へ)。
この道沿いには、旧竹林院という名所があります。
元は比叡山僧侶の隠居所だった場所で、庭のきれいな名所でもあるのですが、この時は閉まっていたようです。
旧竹林院入り口のほぼ斜め向かいの道沿いに、その社はひっそりと立っていました。
ここが日吉大社の末社のひとつともされる「鼠社(ねずみのやしろ)」です。
ここが、頼豪(らいごう)の怨霊に恐れをなした比叡山延暦寺が、それを鎮めようとして建てた「鼠の秀倉(ほくら)」であったと言われています。
鉄鼠とはどんな妖怪か。
頼豪という人物は、何故比叡山に怨念を抱いて自ら魔道に墜ちて妖怪・鉄鼠となったのか。
その詳細については、シリーズ第672回記事に書いてますので、興味ある方はそちらをご覧下さい。
礼拝した後、ちょっと失礼して観察・撮影を。
間違いないようです。
もっとも、この「鼠社=鼠の秀倉」説を否定するかのような、あるいはそれについて語りたがらない人も多いようです。
公式(?)には、「鉄鼠=頼豪」のことには触れずに、「ここに祀られているのは、ネズミを使いとする大国玉神である」とか、「子の方角を守護する神様である」とか、紹介されることも多いようです。
その真偽は・・・やはりプロの研究者でもない私には、確かめようもありません。
また、「比叡山延暦寺は、頼豪の鼠社に対抗する‘猫の宮’も建てた」という面白い説もあるようですが・・・こちらも私には見つけることが出来ませんでした。
しかし、「十八明神社」と同じく、周りの時の流れからも取り残されたかのようにひっそりと立っているさまを見ていると、やはり怨霊とか闇の存在はどこかもの悲しいものかもしれない、という思いを抱かずにはおられませんでした。
帰りはほっと一息、地元の名物・日吉そばを。
今回はここまで。
また次回。
*坂本・鼠社へのアクセス・周辺地図はこちらをご覧下さい。
*‘三井寺’園城寺のHP
http://hiyoshitaisha.jp/
*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/
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