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京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(83):粟田神社(その3)





 前々回前回の続きで、粟田神宮をとりあげます。

 当初は訪れる予定などなかった、別の目的地へ向かう途中で見つけて寄り道した場所なのですが……そういう場所の記事で3回もひっぱれるとは。
 本当に、私の計画性の無さというか、行き当たりばったりな性格を反映しています(笑)。
 っと、まあ。
 しょうもないことはそれくらいにして、本題にいきます。

 そんな行きあったりばったりな私が、後で調べたところ、主祭神はスサノオと大己貴(オオナムチ)神、その妻・クシナダ姫ですが、その実は他にもいろいろな神様が祀られているそうです。
 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ。稲荷社に祀られている神様)。
 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。
 猿田彦神。
 加茂神。
 日吉神。
 手力男神(たぢからおのかみ)。
 本シリーズで何回かとりあげたこともある崇徳上皇
 この他にも、実に錚々たるメンバーが多数祀られています。
 まるで「日本の神様のデパート」みたいな、なんとも凄い神社です(笑)。


 本堂の横や裏にも、いくつもの摂末社があります。
 しかもそれぞれに、前回でとりあげました北向稲荷のように、面白い由緒や伝説があるのです。
 今回はそれらの摂末社を紹介します。

 そのひとつ、朝日天満宮と多賀社。






 多賀社は、有名な多賀大社の分社です。 
 朝日天満宮は、朝日新聞を祀った神社ではありません(笑)。
 祀られているのは、あの菅原道真です。京都市内だけでも、菅原道真を祀った神社は数多くありますが、こうした摂末社も含めると、ものすごい数になるでしょうね。
 いかに、天神(菅原道真)信仰とその影響力が広まっていたか、を示しています。


 次に大神宮。
 





 この大神宮は元々、かの伊勢神宮の分社であり、青蓮院の坊官であった鳥居小路(とりいこうじ)家の旧宅地の鎮護神だったそうです。
 鳥居小路家の人々は、伊勢神宮の神様に嫌われていたようで、鳥居小路家の者が伊勢参りに行こうとしても、途中で病気になったり、災難にあったりして、どうしても参拝することができなかったそうです。つまり、伊勢神宮の神様に拒絶され続けてきたのです。
 何故鳥居小路家の人々が、それほどまでに伊勢神宮の神様から嫌われたかといいますと、鳥居小路家の先祖である高階師尚(たかしなのもろなお)という人物と、その父親と考えられていた在原業平に、その原因があったそうです。
 平安時代にプレイボーイとして有名だった人物・在原業平と、斎宮・恬子内親王の密通によって生まれた子供が、高階師尚だったという噂が古くからありました。
 斎宮(斎王)とは、皇族の未婚女性の中から選ばれるという、天皇の代わりに神に仕える女性のことです。そういう女性とやっちゃった……つまり純血を汚した上に、子供まで作ってしまったわけです。
 それで伊勢神宮の神様から完全に嫌われ、拒絶されたため、伊勢神宮の分社を宅地内に設けて参詣するようになったそうです。
 その後、明治になってから粟田神社の境内に移されたそうです。


 有名な出世恵美須神社。






 あの源義経が幼少時、奥州へと下った際に「源氏再興」を祈願したという社です。
 明治の廃仏毀釈の際に、摂社として粟田神社の境内に移されたそうです。
 この恵美須(えびす)像は、比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄の作と伝えられているというものです。
 今でも出世や家運、商売などの神様として崇められています。


 聖天社……の再建予定地です。






 江戸時代までには聖天尊を祀ったお堂があったそうですが、これも明治の廃仏毀釈の際に潰されたそうです。
 明治の廃仏毀釈が残した傷跡の大きさに、改めて嘆息せざるをえません。
 ところで聖典尊とは、元はヒンドゥー教の神様の一人ガネーシャであり、密教の護法神(ごほうしん)の一人・歓喜天(かんぎてん)のことです。


 本堂、摂末社をひととおり見てから、少し休憩。
 境内から京都市内の景色を眺めてみます。






 中央のやや右側に見える赤い鳥居は、平安神宮の大鳥居です。
 雲と雪によって少し見えにくいかもしれませんが、北山の山々が連なっています。


 そして境内から出て、元来た参道を降りようとします。






 が、実は。
 この参道の坂の下、鳥居の横にももうひとつ摂末社があったのです。

 それが、鍛冶神社です。






 この鍛冶神社の写真だけ雪が被っていませんが、実を言うと当日はこの神社を見落としておりました。
 後日、再訪して鍛冶神社を探して撮り直したのです。
 参道の鳥居から入ってすぐ、狛犬のある場所をすぐ左に入ると、そこに駐車場があります。その駐車場敷地の奥に、鍛冶神社がありました。
 前回でも少し触れました、稲荷と共に名刀・小狐丸を造った粟田口の名刀匠・三条小鍛治宗近や、製鉄・鍛冶の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を祀ってあります。
 「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、つまり片目の神様であったわけです。天候を司る神とされる一目連とも同一視されます。
 この一目連は、元は片目の潰れた龍神ともされているそうです。
 そういえば、水木しげる先生の妖怪本にも出ていたような……。


 神道だけではなく、密教の、外来の神様まで。さらには、一部で妖怪扱いされている龍神や怨霊神まで祀ってあるとは。
 何とも懐が深いというか、凄いというか……。まさしく「神様のデパート」というか「神様の総合商社」みたいなところです。
 昔は三条通の粟田神社入り口付近を通勤路にしていた時期もありましたが、今まで全く気にも止めず通り過ぎていただけでしたが……。
 それがこんなに凄い、こんなにも面白い、こんなにも懐の深い場所だったとは、驚きでした。
 
 
 いやはや、ここの存在を知らず、全くの行き当たりばったりで寄り道したら、こんな発見をしたとは。
 私の計画性の無さや、行き当たりばったりでいい加減な性格も、たまには役に立つのでしょうか?(笑)



 それでは、今回はここまで。
 また次回!




粟田神社のHP



*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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