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ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

スクロヴァチェフスキ & 読響の名演奏

2009-10-01 15:03:12 | 読響
昨日(30日)、サントリーホールでの読売日本交響楽団第485回定期演奏会に行ってきた。指揮は常任指揮者にして、もうすぐ(明後日=10月3日)86歳になろうとしているスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ。

【演目】
モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」
  ~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第11番「1905年」
《19時00分開演、21時10分終演》

読響の演奏会というのは他のオケの演奏会に比べると、客席がちょっと異質な感じがする。N響や日本フィルは観客に後期高齢者が多く、都響や新日本フィルは女性や若者も多く華やかだ。それに対して、読響は演目にブルックナーやマーラーが多いからかもしれないが、男性の比率が他のオケに比べて高いように思える。また、先日の日記にも書いたが、まったく拍手をしないという頑固なクラオタも多いと思う。さて、今回は・・・。

1曲目。誰もが知っている荘厳にして華麗なモーツァアルトの名曲だ。しかし、スクロヴァチェフスキは探求心に富んだ演奏を行う。フルート(倉田優)とオーボエ(辻功)の軽やかな旋律を誇張することなく、さりげなく聴衆に聴かせていく。また、ヴァイオリン(コンマス:藤原浜雄)も一音一音を、ヴァリエーション豊かに奏でてあげていく。傍目に聴くとなんかサラッとしていて物足りない音色に聴こえなくもないが、スクロヴァチェフスキの指揮は細部まで探求しているようで、その意欲に感服してしまった。ただ、ヴィオラのボリューム感が今ひとつで、時に弦のバランスが崩れていたのが残念だった。

2曲目。あまり聴くことができない曲だが、ショスタコーヴィッチの大作である。副題の通りロシア革命の発端ともなった1905年の「血の日曜日事件」を描いた標題音楽である。ただ、その標題音楽にしても、音楽でここまで描写するのかと思うぐらい詳細なもので、それは「交響劇」ともいっていいぐらいドラマチックであった。

第1楽章「宮殿前広場」。冬のサンクトペテルブルグの重たい雲が覆いかぶさるかのように、弦と小太鼓が不気味な宮殿前広場を描いていく。そして、時に軍隊のトランペットが警告のような音色をかかげ、フルートとホルンが民衆の鬱屈した心情を代弁していく。

第2楽章「1月9日」。弦のアップダウンのある旋律が民衆の蜂起を表わしていく。そして、その心情を革命歌「帽子をぬごう」によって宮殿に向けられていくが、打楽器と管楽器の乱打により、民衆の蜂起は悲惨な結末を迎えていく。この当たりの音楽描写は本当に宮殿前にいるかのような錯覚に陥った。

第3楽章「永遠の記憶」。鎮魂歌というか葬送行進曲で、全編を通して民衆の悲しみに打ちひしがれている姿を描く。ただ、そのなかでヴィオラが革命歌「こんにちは、自由よ」を奏でながら、民衆の新たなる決意を表わしていく。この抒情感は見事である。

第4楽章「警鐘」。1月9日(血の日曜日)に対する怒りと、皇帝および宮殿へ対する民衆の不撓不屈の精神が描いている。途中で有名な「ワルシャワ労働歌」がまるでデジタル分解のように旋律のなかに組み込まれていて、民衆の強い意志を感じさせてくれる。そして、イングリッシュホルンによって、この曲のテーマにもなっている「帽子をぬごう」が流れ、最後に交響曲第5番のような弦による不協和音の旋律が響きわたり、鐘の乱打が鳴り響き大団円となる。

1時間5分にもおよぶ緊張感に満ちた大曲をスクロヴァチェフスキと読響はノンストップで演奏。そして、スクロヴァチェフスキは音楽劇を描くとともに、ショスタコーヴィッチの葛藤をも描いているようでならなかった。それはまるで原作ショスタコーヴィチ・監督スクロヴァチェフスキの映画を観ているかのようでもあった。もちろんそれを演じた読響のメンバーの演技も素晴らしく、鳥肌がたつ思いの演奏であった。この素晴らしい演奏を聴けたことは感慨にたえない。間違いなく今年の名演奏の一つに上げられるだろう。ブラボー!


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