駒子の備忘録

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宝塚歌劇月組『鳳凰伝/CRYSTAL TAKARAZUKA』

2017年12月10日 | 観劇記/タイトルは行
 梅田芸術劇場、2017年11月17日15時半(初日)。
 市川文化会館、12月9日14時。

 戦に敗れ滅びてしまった国の皇子カラフ(珠城りょう)は放浪の身となり、小姓ゼリム(蓮つかさ)を伴い諸国を彷徨っていた。生き別れてしまった父王(箙かおる)が北京にいると噂に聞いたふたりは中国を目指す。その途中で、カラフは賊に襲われていたコラサン国のアデルマ姫(麗泉里)を救う。アデルマはカラフの勇敢さに惹かれるが、カラフは素性を隠しかたくなにアデルマを拒んで去っていく。北京の街は異様な熱気に包まれていた。皇帝の一人娘トゥーランドット(愛希れいか)はその類稀なる美貌に惹かれて求婚してくる異国の王子たち三つの謎を出し、解けない者の首を容赦なく刎ね、それが民の娯楽となっているのだった…
 脚本・演出/木村信司、作曲・編曲/甲斐正人。18世紀ヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴッツィによる寓話劇であり、プッチーニの遺作オペラとなった『トゥーランドット』をベースにしたグランド・ロマンス。2002年に宙組で初演、2003年に博多座公演もあった作品の再演。

 初演の感想はこちら
 感心しなかった記憶があるので、全国追い掛け回して見まくるような予定は立てず、まずは初日のチケットだけ押さえました。その後、ご縁あって市川のチケットも手に入れました。『クリタカ』は観たくなるだろうなと思っていたので複数回観られることになって喜んでいたのですが、梅田初日直後は激怒でもう観たくなくて、チケットを手放そうかと考えたくらいでした。
 オペラどおりだから、というよりは初演ほぼまんまであいかわらずキャラやストーリーに整合性がなく、いかに寓話やおとぎ話や絵巻物みたいなものだとしてももうちょっとなんとかできただろうと思えましたし、ヒロインがずーっとずーっと主人公を拒んでいるのにずいずい押してくる主人公がセクハ男にしか見えず、なんでこんな暴力的な話を宝塚歌劇で観なくちゃならんのだ、ましてや大好きなたまちゃびで…と私は怒り心頭だったのです。
 間をおいて市川で観ると、生徒の努力でひとつの作品としてすごくまとまり煮詰まり、粗が目立たなくなっていたのでそこには感心し、セクハラパートについても少し冷静に考察できました。なので今は複数回観てよかったなと思っています。私は別箱公演は一度しか観ないことがほとんどなので、今まで一度の観劇でごく狭い視野の感想としてあれこれ酷評してきたことも多々あったなそれはすまんかったかもしれんな、とも思いました。
 でもひとつの演目を一度しか観ない観客なんてごまんといるしなんならその方が多勢だろうし、そのただ一度の観劇で理解させ感動させ楽しませまた来たいと思わせる義務があるのは劇団の方なんだから、やはりより一層の精進を求めますし、リピーターやファンが勝手に補完し再訪するのを期待するような作りは許せません。というか自作に補完や修正が必要だと気づいてすらないようなところが不安なんだよ! もっときちんとした仕事をしてください。
 以下、初日直後に怒りのあまりに書きつけた下書きを修正して、お送りいたします(^^;)。あいかわらず口が悪いところも多々ありますので、号泣大感動した大傑作だと思ってる、という方はご遠慮いただいた方がいいかもしれません。
 しかし『邪馬台国』『NEMO』『ハンナ』『ベルリン』そして『鳳凰伝』という流れはホントしんどい…逆に今年の良作は『グラホ』『王妃』『幕末』『阿弖流為』そして『神々』?(『ひかり路』も、かな。『はいからさん』は私はあまり買っていないので) 勝率五割ってひどくないですかね? てか元のオペラはともかくとして、普通は外部でこのレベルに脚本が破綻しているものを観ることはまずないわけですよ。しかもゼロから作ってるんじゃなくて翻案すればいいだけのはずなんだから、キムシン本気で仕事して? 座付き役者としてマジで困るよ、ひどすぎるよ。
 豪華なセット(モダンでなかなか素敵でした!)やお衣装、スターの美しさや歌唱を楽しむので大丈夫です、という方ももちろんいらっしゃるのでしょう。でも普通は、たとえスターを観ることに主眼がある宝塚歌劇でも、お芝居となればキャラとストーリーを追うでしょう? なのに「この人、突然何を言い出すの? てかこの人そもそも何したいの? さっき言ったことと今やってることがつながってなくない?」とか「この話どこに向かってんの? 何がどうなったらオチがつくの?」とか思われちゃったら、ダメに決まってるじゃないですか。ましてオチたのに「え? なんで??」ってぽかーんとなる人多数、って完全にダメだろう!!!
 この物語は、整合性を持たせ、より感動的に仕立て上げることが可能です。愛とか生きることとか、いいことをいっぱい謳ってもいるのに、それをやらない意味がわからない。ファンに「こんな支離滅裂な台詞を言わされて、中の人がかわいそう…」とか思わせないでくれ本当に。座付き作家の仕事として下の下すぎる。『不滅の棘』はそこまでアレレな作品じゃなかった記憶なのでまだ見限らず期待しますが、ここ死活問題なんでホントよろしくお願いいたしますね???

 冒頭の、タン(紫門ゆりや)とトン(千海華蘭)が幕を押し上げる小芝居は可愛くてよかったです。そしてゼリムの板付きから始まる本編も素敵。奥に背中を向けてたたずんでいる主人公が立ち上がって振り返って…というのも素敵。
 ただここの台詞が詩的すぎて意味不明瞭で早くもつらい。簡単に状況説明と人となりを提示できればいいんだよ、早くも観客を眠くさせてどーする。
 主人公の名前はカラフ、ティムール王の息子で王子、だが戦争に敗れ国はなくなり、今は放浪の身…だけでまずは十分なんですよ。
 さらにそこに、私なら、復讐と復興を望むゼリムに対して、身軽で嬉しい、みたいなことを言っちゃう王子なんだから、たとえばそういう国とか身分とかの肩の荷が下ろせてただの青年になれて嬉しい、新しい人生や出会いがあるはずだ…と夢見て一曲歌っちゃうような青年像を提示してもいいし、逆に何もかも虚しい、この先希望も夢もない、何を目指してどこで生きていけばいいんだろう…とアンニュイに一曲歌う青年像を提示してもいい。とにかくキャラを立ててください。主役なんだからここで一曲歌うのはデフォで、かつキャラクターをきちんと立て、物語の進む方向性を示すのは作劇の鉄板です。ここで観客に、なるほど今の彼はこうだけど、この先に何か運命の出会いがあるのね、それはもちろん恋よね美女よねヒロインよねそれを見せてくれる物語なのよねワクテカ!ってさせなきゃ掴みは失敗なのです。
 そしてここで何やら重要らしい、カラフの父が夢で受けた啓示のことも語られるのですが、ここ、もっと強調しておきましょうよ。カラフが真の愛を得るとき世界は平和になる、とされている、とかなんとか、そういうことなんでしょ? だから彼は愛を探しているんだし、簡単には恋に落ちるつもりはなくて、アデルマと出会ったときも特に啓示が訪れなかったからスルーしたんでしょ? そう演出してくださいよ。そしてトゥーランドットと出会ったときにはファンファーレが鳴るとかなんとか、啓示の演出をしてくださいよ。今ただのひとめ惚れのアタマ悪い男になってますよ?
 今、アデルマに対しても、盗賊に襲われている姫君を助けて、恩返しをしたいので国へどうぞと請われて、名もなき者ですからと固辞するのはいいとして、「あれは俺の女ではない」って何様なんだっつーの引くわ、ってなっちゃってるじゃん。観客が引くような台詞を仮にもトップスターに言わせるとか、座付き役者の風上にも置けません。阿呆かキムシン。たとえ「彼女は私の運命の相手ではない」というようなことを強い言葉で言わせたいのであっても、この台詞は違う。猛省してくれ。

 北京で父と再会すると、奴隷の娘が献身的に父の世話をしていた…のはいいんだけれど、この奴隷って誰の? どこの? と私には素でわかりませんでした。ティムール国の奴隷の身分だったということなのでしょうか、でも国はなくなったんならもう自由民では? また、当時の奴隷が王族の前で顔を上げたり姿を盗み見したりすることは罪とされていた、のはわかるし、でも凱旋に光り輝いていたであろう王子カラフの姿を一目見たくて横顔を見ちゃった、というのもわかる。でもそれで惚れちゃって悔いて今こうしているのか、罪を犯したことを恥じて罰に甘んじるつもりで今こうしているのか、私にはよくわかりませんでした。このふたつは違うものだし、重要じゃない? てかいろいろ言葉が足りないんだよキムシン…台詞で説明したくないならなくてもわかるように演出してくださいよ。
 あと結局このタマル(海乃美月)が「ご主人様」って呼んでるのってティムール王ではなくカラフのことなの? 彼女は単に身分が奴隷ってだけではなくて王宮で働いていた、カラフ付きの奴隷だったの? カラフが彼女の存在も知らなくても不思議はないけれど、これまたけっこう重要なポイントではないですか? 初演では私は確かタマルは王を愛しているのかとすら思ったものでしたよ…?
 あとこの父王、結局なんなの? ボケてて労わるべき老人ってことなの? 国を再興しろと息子を駆り立てる悪い王ってことなの? この人は今何をどうしたい人なの??? 全然見えないんですけど…「ママ―!」のギャグ(?)もよくわからない…

 ここで現れる盗賊バラク(月城かなと)はオペラにはいないキャラクターだと思うんですけれど、そして彼もまたかつてはラサの王子だったが…というところからカラフとの不思議な友情が始まるのもいいんだけれど、いかにもトートツで付け足し感満載なんだよね…シメもなんか無駄死に感ハンパないし。カラフの名を知るために襲われ、カラフのために死んだ…ということがわかりづらいし、カラフが彼の死を知るくだりもないので感動的にもなっていないのが残念です。
 で、やっとヒロインが登場し、カラフは一目惚れして「あれは俺の女だ!」とか言って三つの謎解きに挑戦しちゃうんだけど、本当にただ美貌に惹かれただけの一目惚れだと本当にただの馬鹿みたいでしょ? たとえば、みんなが彼女を美しい、だが怖いとしか言っていないが、冷酷な彼女の横顔に彼女自身も苦悩している様子が俺には見えた、彼女を救いたい、彼女の本心を知りたい、だから俺が謎を解く!とかさ、何かカラフが特別な理由をつけましょうよ。でなきゃトゥーランドットにとっても特別な存在にならないでしょ? ペルシャ王子とどこが違うの?ってなっちゃうでしょ。今、ただの色ポケか、下手したら、王女の婿になってこの国の跡継ぎになれればそれが俺の国、ここがティムール!って言い出しそうな外道な男にしか見えません。ホントやめてくれ。
 そう、トゥーランドットは、そういう外道な異国の男たちから祖国を守りたくてこんなことをしているのです。自分が男だったら世継ぎになれた、でも女だから婿を取るしかない。美貌に惹かれて馬鹿ばかりやってくる、そんな男たちにこの国はやらない。だから謎をかけ、解けなければ殺す。かつて異国の男に襲われ殺された先祖のローウ・リン姫の復讐と鎮魂のために、そして祖国の幸せと繁栄のために、つらくてもあえてやっているのです。
 なのに皇帝(輝月ゆうま)はわかってくれない。なら止めろよ。意味不明なんですけど。この残虐行為を娘に間接的に強いてるのは父の皇帝なのに、スルーするなよ。女性観客は父と娘問題にも繊細ですよ?
 そういう細かいことはわからないけれど、なんらかの事情があること、トゥーランドット自身は本当に残虐で冷酷な女なんかではないことを、三つの謎を解きながらカラフは感じるのでしょうね。だから三つの謎を解いて勝利が確定し、なのにトゥーランドットが嫌だと騒いだときに、泣きの一問を出してあげる。このころからカラフは本当にトゥーランドットを真に愛しく思うようになっていたのです。というかそう描くべきなのです。でないとゲームが決着したのにルールに反してヤダヤダ言ってるワガママ女と、なのにそれを聞いてやるヘタレ男になっちゃうじゃん。それじゃペルシャ王子始め死んでいった者たちが浮かばれないっつーの。てか掟ってなんなんだって話になっちゃうだろっつーの。
 でも、カラフのそんな優しさや温情、愛はトゥーランドットには伝わらない。彼女はカラフの名を知ろうと必死になる。そして怯えて見る夢の場面ですが…ここ、いります?
 首を刎ねられた王子たちが亡者となって夢に現れてトゥーランドットを苦しめる、のはわかります。祖国のために心を鬼にしてやっていることとはいえ、トゥーランドットは内心では怯え苦しみ申し訳なかったと思っているに決まっているからです。でも、亡者たちを追い払ってくれる勇者と官能的に絡み合い、しかしそれがカラフの姿となって…ってのはなんかちょっと、私は気に障りました、フェミニズム的に。
 どんな女でも、たとえ処女でも、男に訪れられ抱かれ救われたいと思っているのだ…ともし男の作者が言いたいのであれば、確かにそういうこともあるかもしれないがその場合ここでトゥーランドットが夢見る勇者の正体は父である、としか女の私には言えませんよね。彼女は父のためにやっているのであり、男と言えば父しか知らないのですから。あとはカラフだろうと異国の王子たちだろうとすべて排除すべき敵、なんだからさ。仮勇者が面を取ったら父の顔があるだろうと思っていたのにカラフだったから、「違う!」って抗議と恐怖の悲鳴を上げたんじゃん。だってこの時点までにトゥーランドットはカラフのことを全然意識していませんもん、そんなふうに描かれていませんもん。
 事前に、カラフのことを今までの王子たちとは違う、とトゥーランドットが意識し、ちょっとでも心が揺れ動いている描写があるなら、内心すでにカラフに惹かれていて、彼に解放してもらうことを夢見ていたのですよ、それを突きつけられて動揺して悲鳴を上げたんですよ、それはもはや恋のときめきと同義ですよ…とすることができたと思います。でも今は無理。だからすごく不愉快。人が拒否しているのにその意思を尊重せず、ぐいぐい来るのは暴力です。現実にごまんとあるそんな例を、私は宝塚歌劇出までわざわざ見たくはありません。のちにカラフがトゥーランドットにするキスも私にはほとんどレイプに思えました。心がちょっとでもあるのなら、ノーと言っていても押してもいいこともあるでしょう。でも今そう演出されていません。だからダメなのです。
 処女が性夢を見ることはもちろんあるでしょう、しかしそれは男が欲しいということではない。少なくともおまえじゃない。女はみんな犯されて解放されることを夢見ているのだ…みたいないかにも頭の悪い男が作りそうな場面に私には見えて、せっかくのたまちゃびラブシーンでも私は不愉快でたまりませんでした。色っぽさを楽しむことなんかできませんでした。でもそれじゃダメでしょ? ちゃんとしてよキムシン…(ToT)

 自らの絶叫で夢から覚めたトゥーランドットは、問いの答えであるカラフの名前を是が非でも知ろうとし、嫉妬に狂ったアデルマの口車に乗ってバラクを捕らえようとし、ティムール王とタマルを捕らえ拷問にかける。先述しましたが、ここのバラクの死が無駄死にに見えないよう、カッコいい見せ場として成立するよう、もっとちゃんとやってくださいよ…(ToT)
 カラフの名を知るタマルはカラフを愛していて、けれど今やカラフがトゥーランドットを愛していることも知っていて、そしてトゥーランドットがただ残虐な女ではないことも感じているタマルは、拷問がティムール王に及ばないように、また自分が痛さつらさについ口を割っちゃったりしないように、自らを刺して口を閉ざす。身を挺して愛を示す。人は愛のために死ねるのです。
 ここでさすがにカラフが悔いるくだりがあってもいいかもね。トゥーランドットへの愛のためとはいえ、あまりに犠牲が大きすぎる、と…その引く様子がトゥーランドットの心をさらにざわめかせる、という演出もあるのではないかしらん。そして自分への罰のつもりで、あえて自分からトゥーランドットに名を明かすカラフ…となればゾクゾクすると思うんですけれど!?
 答えは知った、勝つのは私だ!となって、初めてとまどうトゥーランドット。この男は何故、名を告げれば自分が殺されることになるとわかっていて自分に名を明かしたのか? タマルが自死してまで伝えたかったものはなんなのか? 自分は本当にこの男の首を刎ねたいのだろうか? 自分のズルを見逃し、今また答えを明かすというズルで自分を救ってくれようとしているこの男を? 今や死を覚悟し、父と最後の抱擁を済ませて凛々しく立つ、この爽やかな男を?
 …というような描写をしてから、いよいよラスト、トゥーランドットは「彼の名は愛!」と答える。驚くカラフの手を取り、謝罪し愛と未来を誓い歌うトゥーランドット、ともに幸せな国を築いていこうと歌うふたり…で、感動的に幕。と、できるはずじゃん!
 だから、あの男に名前がわかった私の勝ちだひゃっほーい!みたいな台詞をトゥーランドットに言わせるのはやめてくださいよ。そんなこと言ってるのに「♪あーいー」とか歌うから観客はぽかーんとなって混乱するんじゃん。
 ああもったいない、もったいなさすぎるよ…
 ちなみに付け足しのように変更されたカラフの「仕えるなどと言うな」みたいな台詞は現代的でもフェミニズム的でもなんでもないと私は思いますよ。むしろ人は愛に仕えるものなのだ、くらいにしてほしかったですよ…
 ああ、ああ、もったいない…上手くやれば感動的な名作になるのに、今はただポカーンな迷作です。珠城さんは作品に恵まれてきたと思っていましたが、『長崎しぐれ坂』に続いてまたナゾ再演に当たったということになりますね…残念です。
 あたりまですが生徒はみんな大熱演で、筋を通そうと大健闘していましたし、それぞれ躍進していたと思いました。だからこそ、悔しいです。


 ショー・ファンタジーは作・演出/中村暁。2014年に月組で上演されたものの再演版。
 『PUCK』とセットで何度も楽しく観たショーだったので、懐かしく、なじみもあり、変化にも大満足でした。
 主題歌の「♪Yesの印」かまさおと全然違う!とか、まさおが前を閉めて着ていたお衣装が珠城さんだと閉まらないんですねわかりますとか、オープニングの男役のお衣装がただの白の飾り燕尾と上品に変更されちゃったけどあれはインパクトがありすぎたからなーとか、ここで手拍子ここでアダージョだから手拍子はお休みとか全部覚えてるわー、とか楽しい楽しい!
 ミスター・シンデレラはれいこちゃん、貧乏人が似合わなくて愛らしい…! 毎回ご当地アドリブをがんばっていたようですね。マーリンはゆりちゃん、ノーブルかつ魔法で若く見せている年寄りっぽさがたまらん(褒めてます)。組んでる時ちゃんがわかばのキラキラさと違うのも大きいかと。
 そして最の高のドール・オペラ、珠城さんホフマン先生ホント強そう…!(笑)そしてちゃぴオランピアが本当に本当に絶品!! でもこのあと珠城ホフマンは力づくでからんコッペリウスに解除法を聞き出してオランピアを人間に戻してハッピーエンドに持ち込むんですよねわかります。
 クリスタルズはゆりちゃん、からんゃん、まゆぽん、れんこん! 新しく選曲されたK-POPはなんかあまりメロディアスでもダンサブルでもなくて今ひとつだったけど、四人がちゃんとカッコつけてくれていたので満足です。
 スパニッシュの中詰めも色気ムンムンでよかった、ロケットのハイレグのセクシーさもたまらん。そしてぴちょんくん…じゃなくてしずくの名場面、冒頭のソロはれいこでこれもよかった。珠城さんの鬘ではセンターパーツのものが好きだったなー。てかここのちゃぴも超絶カワイイ!
 そしてフィナーレとっぱしに珠城さんのソロが残っていてとってもとっても嬉しかったです。これは今後DSやサヨナラショーで歌うべき名曲。からの、そのメロディで踊る娘役ちゃん群舞が本当に素晴らしい。からの黒燕尾、本公演でも珠城さんしか見ていませんでしたがそこが舞台のセンターでなかったことは知っています、でも今はまごうことなきセンター…!
 そして新しくなったデュエダンがまたいい! ピンクのドレスのちゃびが清楚で今なお初々しく楚々としているのが素晴らしいし、お団子ではなく短いポニーテールなのもキュートで素晴らしい。せっかくの全ツなのでリフトはあった方が良かったのではと思うけれど、とにかくお互いに呼吸を読んで常に視線を合わせて空気を動かして幸せそうに踊っているのが何より素晴らしいです。芝居、ロケット、パレードより何より、デュエダンにこそ宝塚歌劇の神髄というものはあるのではなかろうか…!
 エトワールは本公演と同じく海ちゃん。れいこは羽背負ってもよかったのでは?と思いましかだ残念ながらお預け。全体に音楽が録音映えすることもあり、大きなセットや装置がなくても群舞で見せるショーなので全ツで十分楽しめる、コンパクトで上質なショーでした。

 珠城さんの包容力、真ん中力、健やかさと明るいオーラは健在かつますます磨かれて輝き、全国にファンをたくさん増やしたことでしょう。タカスペと次の本公演も楽しみです!



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