あれは、昭和15~6年頃の事だったでしょうか。
(あまりにも古い事で、はっきりと憶えて居ません)
学校から帰ると、子供達が集まって戦争ごっこをしていましたねー。
そのほか、校庭で三角ベースの野球をしていました。
学校から帰ると、道路で電柱をベースにして、あれは三角じゃーないから、
あれは、なんと言っていたのか、忘れましたが、とにかくベースが一つで、行って帰ると言うのでしたね。
まあそんな事をして遊んでおりました。
その時に、言っていたことが、今おもえば、面白いものだったので、ちょっと書いてみましょう。
ピッチャー ぴっちゃー
キャッチャー きゃっち
ホームベース ほーむ
各ベース べーす
バット ばっと
ボール ぼーる
ストライク すとらいく(わんすと・つーすと)
ボール ぼーる(わんぼー・つーぼー)
セーフ せーふ
アウト あぶつ
デッドボール でんどぼーる
各アウト わんだん・つーだん
まあ、こうして見ると、案外まともなことを言ってたもんですねー。
その頃の、用具はというと。
ボールは、一番いいのが、配給で貰ったゴムまりでしたねー。(すぐパンクした)
そんなのが無い時は、母に頼んでボロきれを詰め込んだボールを作ってもらいました。
だから、大きさもいろいろなのがありましたよ。
そんなのを投げたら、たまに、プロのピッチャーでも投げられないような魔球がでましたねー。
バットに当たりはしないし、キャッチャーも捕球出来ず、うろうろしていましたよ。
バットは、家の裏の竹藪から、伐って来たばかりで、切り口から、水の垂れるような青竹や、
さっき迄、胡瓜藪の杭に使っていた、竹の棒などでした。
グローブ、 そんな気の利いたものはありませんでした。
まあ、いいところ軍手でしたねー。(もっとも、グローブが不要の球でしたから)
あとは、素手でやってました。
ああ、電話が鳴ってる。
「はあ?今からですか・・それは又忙しい事ですね、はいわかりました、それじゃー今からでかけます、私が行く迄待っていて下さい、それじゃー」
と言うような具合で、外出しますので、今日はこれで失礼します、またね。
正午の天気19.0℃