・・・ それにしてもその日から六十年が経った。何という須臾 ( しゅゆ )の間であろう。或る感覚が胸の中に湧き起って、自分が老爺であることも忘れて、母の温かい胸に顔を埋めて訴えたいような気持が切にする。~
・・・ 人生が認識からは何ものも得させず、遠いつかのまの感覚の喜びによって、あたかも夜の広野の一点の焚火 ( たきび ) の火明りが、万斛 ( ばんこく ) の闇を打ち砕くように、少なくとも火のあるあいだ、生きることの闇を崩壊させるということなのだ。何という須臾だろう。十六歳の ( 彼 )と、七十六歳の ( 彼 )との間には、何事も起こらなかったとしか感じられない。これはほんの一またぎで、石蹴り遊びをしている子供が小さな溝を跳び越すほどのつかのまだった。~
須臾 = 漢和辞典などにてお調べ下さい。






