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Precious Memories 古松盦 プレシャスメモリーズ

心に染み入る地酒・美酒の醍醐味、越後快酔の夕べを楽しむ~。

なまんだぶつ ~ 、なまんだぶつ ~    南無阿弥陀仏

2022年11月16日 | 日記
故親鸞聖人御物語之趣、 所留耳底聊駐之  唯圓



親鸞は、父母の孝養 ( きょうよう ) のためとて、一返にても念佛もうしたること、いまだたふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ全にてもさふらうばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ、多ゞ自力をすて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、陣痛方便をもて、まづ有縁を度するべきなりと、云々。













亡き父母を慕うて追福を思うのは、子孫の至情である。けれどもすでに死生への境を異にしている。そこには凡夫自力の及ぶことのできないものがあるのである。さらに翻って思うに 「 一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」 とある。それこそ仏教の人間感として忘れべからざることである。されば念佛者は、急ぎ佛となって、まづ縁ある者を済うべきである。念佛はそのために与えられたものであって、父母の追善のために用いられるべきものでない。そうすることは他力の法を自力の善となすものとなるからである。これは念佛の徳を限定するものはない。かえって死生の境を超えて、無限に開け往ゆく道を思い知らしめるものなり~









一鍬下ろして、なまんだぶつ ~ 、なまんだぶつ ~  と、一鍬打って、なまんだぶつ ~ 、なまんだぶつ ~  と、口に出しても心で念じても、多少は落ち着きをとり戻す・・・

















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