過去、我がヨメについてはコーヂの誕生日ネタに際していろいろ書いてきた。
「ねぇ聞いて聞いてもうホントにヨメったらコーヂに対してこんなにひどいんだからまったくモー」
的、愚痴りネタとして毎年この時期に。
だがその実、本当はそれ以外の日常の中でも愚痴ネタはゴロゴロと転がっている。
もっともっともっともっともっともっともっともっとヨメに対して書きたい(いや、愚痴りたいといった方がいいか)ことが、世界金融恐慌による不景気の為に解雇されて失業してしまった気の毒な人たち程もあるのだ。これでもかっと言わんばかりにあり余っていたりするのである。
だが。
それをコトあるゴトに心の思うままに書いて書いて書きまくるとどうなる?
コーヂのヨメに対する100パーセント愚痴伝説を全世界に向けて発信、となれば心の叫びの文章なので、その内容及び描写はほぼ欠席裁判の様相となろう。きっと言いたい放題なテキストになってしまうハズだ。
となれば場合によっては
「ちょっとー! それは言いすぎじゃなーい?」
と感じたりしちゃったりする人が出るかもしれない。
でもってコーヂヨメ・擁護派なんてのもできたりなんかしちゃって、被害者であるコーヂが
「チッ、コーヂこまけぇヤツだぜ」
「ケッ、コーヂ人としてどうなのオマエよォ」
「ムフッ、コーヂケツの穴ちっさーッ」
と逆に非難されてしまったりしちゃうかもしれない。想像するだに・・・ううう、こ、こわいよぅ。ネットでの誹謗中傷。
それだけではない。
これはもう男として、否、人間としての器の小ささがハッキリクッキリとバレてしまう。イカンではないか。マズイではないか。
だからこそ、そうならないようにと今まではそのチッポケな器の小ささを露呈しないようにしないようにと細心の注意を払って余程のコト意外は極力書かないようにしてきた。
また書いたとしても
「なははは、ヨソの家の夫婦がモメるのはおもしれーなー」
的に見えるようにしてきたツモリである。
うーむ。でも考えてみれば確かにコーヂはこまけぇ。うん、こまけぇな。
人としても他人に対して文句を言えるほども立派な人ではない。
だが、ケツの穴は断じて小さくはない。
できることならセントレアのスカイデッキから夕陽に向かって大声で叫びたいくらいだ。
「オレはGなんだー!」 と。
まあそれはそれとして話を戻そう。
ナニを急にこんなこと書き出したんだよってぇーと、今年はヨメの発言・行動を逐一記録してみようと思ったのだ。つっても既に1月も終わりに近いのだけれど。
先にも書いたが、これは今まで何度もやろうと思っては、「書けばコーヂの小器がバレる」のダブルバインド効果により、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでキッチリカッチリガチャコンと封印してきた。
さらに言うなれば、我がヨメの恥部は夫コーヂの恥とも言えようし。
しかし、だ。
過去を振り返ってよーくよく考えてみた時。
コーヂにしてみれば
「期待するから裏切られる」
のである。
こんなはずじゃなかった。なぜなんだ。と、コーヂの理想(幻影)のヨメに現実のヨメの姿を重ね、その相違差が激しいから愚痴が出る。
もともと期待しなければいいのである。それがそのままの我がヨメの真実の姿。
受け入れなさい。
受け入れるのです。
パアアアアアアアアアア(上空から天の御光)。
さらばこの苦悩から解き放たれようというもの。
そーさ、ナニが恥かしいことがあるものか。
我、生を受けて43年。
コーヂが人類と認識する生物の中にあって 他に類を見ない稀代のうっかりさん と呼んで久しい我がヨメを、ここいらで紹介するのも悪いことではないように思えてきたのである。
それに現代では
「ドジっ娘」(Wikipedia先生の解説)
というオタクジャンルも確立している。
まあ 43歳のオバサン ではドシっ娘萌えの方に対してご満足はいただけないと思うが、そこんとこはちょっと眼を閉じてもらって、できるだけ脚色一切なしのノンフィクションで記録していこうと思っている。
まあつまりはメモ程度の カスネタ 扱いなんだけどね。
つい数行上で「期待しちゃダメ」と書いたことだし、そこらへんに転がしといてって感じで。
ふーん、コーヂは毎日こういう間違い会話・なんなんだろー行動の中で同居しているのね、くらいで見てもらえればいいと思うのでありますよ。
2009/01/17>我がヨメについて>その2 へ
「ねぇ聞いて聞いてもうホントにヨメったらコーヂに対してこんなにひどいんだからまったくモー」
的、愚痴りネタとして毎年この時期に。
だがその実、本当はそれ以外の日常の中でも愚痴ネタはゴロゴロと転がっている。
もっともっともっともっともっともっともっともっとヨメに対して書きたい(いや、愚痴りたいといった方がいいか)ことが、世界金融恐慌による不景気の為に解雇されて失業してしまった気の毒な人たち程もあるのだ。これでもかっと言わんばかりにあり余っていたりするのである。
だが。
それをコトあるゴトに心の思うままに書いて書いて書きまくるとどうなる?
コーヂのヨメに対する100パーセント愚痴伝説を全世界に向けて発信、となれば心の叫びの文章なので、その内容及び描写はほぼ欠席裁判の様相となろう。きっと言いたい放題なテキストになってしまうハズだ。
となれば場合によっては
「ちょっとー! それは言いすぎじゃなーい?」
と感じたりしちゃったりする人が出るかもしれない。
でもってコーヂヨメ・擁護派なんてのもできたりなんかしちゃって、被害者であるコーヂが
「チッ、コーヂこまけぇヤツだぜ」
「ケッ、コーヂ人としてどうなのオマエよォ」
「ムフッ、コーヂケツの穴ちっさーッ」
と逆に非難されてしまったりしちゃうかもしれない。想像するだに・・・ううう、こ、こわいよぅ。ネットでの誹謗中傷。
それだけではない。
これはもう男として、否、人間としての器の小ささがハッキリクッキリとバレてしまう。イカンではないか。マズイではないか。
だからこそ、そうならないようにと今まではそのチッポケな器の小ささを露呈しないようにしないようにと細心の注意を払って余程のコト意外は極力書かないようにしてきた。
また書いたとしても
「なははは、ヨソの家の夫婦がモメるのはおもしれーなー」
的に見えるようにしてきたツモリである。
うーむ。でも考えてみれば確かにコーヂはこまけぇ。うん、こまけぇな。
人としても他人に対して文句を言えるほども立派な人ではない。
だが、ケツの穴は断じて小さくはない。
できることならセントレアのスカイデッキから夕陽に向かって大声で叫びたいくらいだ。
「オレはGなんだー!」 と。
まあそれはそれとして話を戻そう。
ナニを急にこんなこと書き出したんだよってぇーと、今年はヨメの発言・行動を逐一記録してみようと思ったのだ。つっても既に1月も終わりに近いのだけれど。
先にも書いたが、これは今まで何度もやろうと思っては、「書けばコーヂの小器がバレる」のダブルバインド効果により、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでキッチリカッチリガチャコンと封印してきた。
さらに言うなれば、我がヨメの恥部は夫コーヂの恥とも言えようし。
しかし、だ。
過去を振り返ってよーくよく考えてみた時。
コーヂにしてみれば
「期待するから裏切られる」
のである。
こんなはずじゃなかった。なぜなんだ。と、コーヂの理想(幻影)のヨメに現実のヨメの姿を重ね、その相違差が激しいから愚痴が出る。
もともと期待しなければいいのである。それがそのままの我がヨメの真実の姿。
受け入れなさい。
受け入れるのです。
パアアアアアアアアアア(上空から天の御光)。
さらばこの苦悩から解き放たれようというもの。
そーさ、ナニが恥かしいことがあるものか。
我、生を受けて43年。
コーヂが人類と認識する生物の中にあって 他に類を見ない稀代のうっかりさん と呼んで久しい我がヨメを、ここいらで紹介するのも悪いことではないように思えてきたのである。
それに現代では
「ドジっ娘」(Wikipedia先生の解説)
というオタクジャンルも確立している。
まあ 43歳のオバサン ではドシっ娘萌えの方に対してご満足はいただけないと思うが、そこんとこはちょっと眼を閉じてもらって、できるだけ脚色一切なしのノンフィクションで記録していこうと思っている。
まあつまりはメモ程度の カスネタ 扱いなんだけどね。
つい数行上で「期待しちゃダメ」と書いたことだし、そこらへんに転がしといてって感じで。
ふーん、コーヂは毎日こういう間違い会話・なんなんだろー行動の中で同居しているのね、くらいで見てもらえればいいと思うのでありますよ。
2009/01/17>我がヨメについて>その2 へ