1号が得意なのは「絵」。
小さい頃から今でも、描き始めたら止まらない子供である。これは父母どちらに似たのかよくわからない。ってオレ、ホントに父親なんだろうなぁ。ドキドキ。
字も書けない頃の1号は・・・。
落書きばかりのお絵かきノートはあっという間に埋まり、最初の4~5冊頃は「記念にとっとこ♪」なんて親心を出していた僕ら夫婦であった。しかし10冊、20冊、30冊と溜まっていくにつれ
「来週の廃品回収に出すから縛っといてね、お父さん」
とヨメから言われ
「南極昭和基地より冷たいヤツだ」
と思っていた僕自身でさえ、その余りあるらくがきの量に、美しき親心はどこか遠いトコロへ行ってしまい、グイグイと縛り上げた。また、ノートの消費のスピードが速すぎてもったいないので、新聞広告のウラも全て活用させてもらった。
近頃描く絵は保育園の頃とタッチが変わり(あたりまえだが)、マンガチックになりつつも立体的で、小さく+細かく+しかし紙面いっぱいに描くものが多い。まるで一時期流行った「ウォーリーを探せ」的風味である。
1号は小学校にあがる前にヨメの絵レベルを抜いた。
ヨメは小学・中学の時、ナニかの絵画展で賞をもらっていたので、内心、絵には自信があったようだ。
しかし保育園児の1号と僕との3人でチラシの裏に魚の絵を書いた時、ヨメが描いた魚はなんと表現していいか分からず
「これ、地球海洋生命体か?」
と僕が言い、当然1号も判別不可だった。
それでは、と義母に見せたのだが、やっぱり誰の目から見ても3種の魚の中で一番酷かった。
つーかもうそれは魚のソレではなく、無限に広がる大宇宙的範疇で思考すべきものだった。
ヨメは大いに凹んで、それ以降今に至るまで「絵で勝負」を避けている。まあ、そういう僕も小学1年になった1号には抜かれてしまったのだが。
というワケで昨夜もナニやらちまちま書いていた1号である。
小さい頃から今でも、描き始めたら止まらない子供である。これは父母どちらに似たのかよくわからない。ってオレ、ホントに父親なんだろうなぁ。ドキドキ。
字も書けない頃の1号は・・・。
落書きばかりのお絵かきノートはあっという間に埋まり、最初の4~5冊頃は「記念にとっとこ♪」なんて親心を出していた僕ら夫婦であった。しかし10冊、20冊、30冊と溜まっていくにつれ
「来週の廃品回収に出すから縛っといてね、お父さん」
とヨメから言われ
「南極昭和基地より冷たいヤツだ」
と思っていた僕自身でさえ、その余りあるらくがきの量に、美しき親心はどこか遠いトコロへ行ってしまい、グイグイと縛り上げた。また、ノートの消費のスピードが速すぎてもったいないので、新聞広告のウラも全て活用させてもらった。
近頃描く絵は保育園の頃とタッチが変わり(あたりまえだが)、マンガチックになりつつも立体的で、小さく+細かく+しかし紙面いっぱいに描くものが多い。まるで一時期流行った「ウォーリーを探せ」的風味である。
1号は小学校にあがる前にヨメの絵レベルを抜いた。
ヨメは小学・中学の時、ナニかの絵画展で賞をもらっていたので、内心、絵には自信があったようだ。
しかし保育園児の1号と僕との3人でチラシの裏に魚の絵を書いた時、ヨメが描いた魚はなんと表現していいか分からず
「これ、地球海洋生命体か?」
と僕が言い、当然1号も判別不可だった。
それでは、と義母に見せたのだが、やっぱり誰の目から見ても3種の魚の中で一番酷かった。
つーかもうそれは魚のソレではなく、無限に広がる大宇宙的範疇で思考すべきものだった。
ヨメは大いに凹んで、それ以降今に至るまで「絵で勝負」を避けている。まあ、そういう僕も小学1年になった1号には抜かれてしまったのだが。
というワケで昨夜もナニやらちまちま書いていた1号である。
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