今日の日記は昨日の続きで 「お金」 について書くつもりでしたが、ちょっと違う話になります。
*
NSPリーダーの天野 滋 氏が急逝されたとTVニュースで知った。時間の経過につれてスポーツ新聞やネットニュースでもずいぶん取り上げられていて、潜在的には有名な人だったんだなあ、と改めて思う。
40代以上の方ならばそれ以下の年代より認知度はあるであろうNSP。70~80年代に活躍したフォークソンググループである。
知らない人は全く知らないが、すこーし知っている人は「ああ、あの曲の歌手ね」という感じであろうか。数年前に再結成して、僕もコンサートに行きたいなぁと思っていた矢先であった。
コーヂの音楽史の中では、邦楽ジャンルで一番たくさん、そして長期間にわたって聴いたアーティストである。中学から高校、就職しても聴いていた。実は今年の3月頃にも、ちょっと懐かしくなって数本のテープを引っぱり出して車の中で聞いていた。
聴き始めたきっかけは中学2年の春のことである。
かねてから欲しかったアコースティクギターを手に入れ、始めるにあたって友人から勧められた課題曲は、NSPの「八十八夜」であった。きっと僕と同じような人も多いだろう。
友「アルペジオの基本だて」
コ「そんな曲、知らんがや」
友「ほんならテープ貸したるで、聴いてみやあ」
てな感じで借りた1本のアルバムテープ。
そのアルバムに入っていた数曲とそれに連なる詩は、僕にとってアイドル系やポップスなどとは違う、なんつーかこう、じんわりと心に浸みてくるような新鮮さと、まだウラ若きハァハァな中学生なのにどこか懐かしい田舎の風景を感じさせるものだった。加えてコードが少なくてコピーもしやすい(^^; ←これも重要事項
というワケで、僕は次々にアルバムを集めてますますNSPにハマッていった。1曲ギターコピーできれば次の曲。弾けばまたその曲を好きになるという繰り返し。その当時、NSPは既に100曲以上あったので、全曲収録の楽譜の値段は高いし(中学生だったからなぁ)コピーするのもタイヘンであった。
コンサートにも3回行った。
その活動予定を早く知る為に、とうとうNSPが所属するヤマハのファンクラブにも入ってしまったほどだ。当時はネット環境なんて当然無くて、コンサート開催情報はいつ上がるか分からない新聞の小さなチケット販売広告か、早めにスケジュールが分かるヤマハ会報誌だけだったのだ。とにかくもう、その頃の僕は寝ても覚めてもNSPとギターだけだった。
同学年の男子生徒はあり余る若さを「キョンキョン」や「ミポリン」などのアイドルにぶつけて熱狂する中、ひたすら男性ユニットのNSPの曲をギターでコピーするだけの日々を送っていたのである。
「勉強する時間があるなら左手指先をミディアムゲージ(注)で鍛えるんだ!」
(注:弦の種類。ヘビーゲージはあまりの痛さに挫折した。ネックにも負担がかかっていた)
と自分に言い聞かせて弾きまくり、その没頭ブリはモンモンする若者、というカンジでとてもクラそうではあるが、今の僕が考えてもそれは決して悪いことではなく、そのヤル気に
「いいよ、いいんじゃないの~。熱中ケッコウ。没頭ケッコウ。タイヘン微笑ましいではないか」
と、我ながら思う。
恥かしついでに加えて書こう。自分で言うのもなんだが、タイヘン多感な時期にNSPの曲と詩に触れていたと思う。然るにその時代を思えばNSPの曲を思い出し、また逆にNSPを聴けばその頃を思い出してしまう。昔の気持ちに戻れるスイッチみたいなものかも知れない。
それ故に天野氏の急逝は、自分が過ごした中学・高校時代の想いや気持ちに対して、強制的にピリオドを打たれたように感じて、一抹の寂しさを感じる。
美空ひばりが亡くなった時、『昭和が終わった』 と度々聞かれたが、その時は正直 「あっそ」くらいにしか思わなかった。今はなんとなく分かるような気がする。
僕の昭和が終わったのかな、と。
*
TVでNSPを見たのは高校生の時に2回だけである。今は無き番組であるCXの「夜のヒットスタジオ」と、第何回目なのか忘れたが「ポプコン本選会」のゲストとして放送されたもの。NSPがテレビに出るということはほとんどなかったので、出演と聞いた日にゃ、
「よしきたまかせろこれはもう見逃すものか!」
という勢いで見たものである。
NSPに興味が沸いた方はググッていただければオフィシャルサイトや有名どころのサイトがヒットするのでそちらをご覧いただきたい。
NSPリーダーの天野 滋 氏が急逝されたとTVニュースで知った。時間の経過につれてスポーツ新聞やネットニュースでもずいぶん取り上げられていて、潜在的には有名な人だったんだなあ、と改めて思う。
40代以上の方ならばそれ以下の年代より認知度はあるであろうNSP。70~80年代に活躍したフォークソンググループである。
知らない人は全く知らないが、すこーし知っている人は「ああ、あの曲の歌手ね」という感じであろうか。数年前に再結成して、僕もコンサートに行きたいなぁと思っていた矢先であった。
コーヂの音楽史の中では、邦楽ジャンルで一番たくさん、そして長期間にわたって聴いたアーティストである。中学から高校、就職しても聴いていた。実は今年の3月頃にも、ちょっと懐かしくなって数本のテープを引っぱり出して車の中で聞いていた。
聴き始めたきっかけは中学2年の春のことである。
かねてから欲しかったアコースティクギターを手に入れ、始めるにあたって友人から勧められた課題曲は、NSPの「八十八夜」であった。きっと僕と同じような人も多いだろう。
友「アルペジオの基本だて」
コ「そんな曲、知らんがや」
友「ほんならテープ貸したるで、聴いてみやあ」
てな感じで借りた1本のアルバムテープ。
そのアルバムに入っていた数曲とそれに連なる詩は、僕にとってアイドル系やポップスなどとは違う、なんつーかこう、じんわりと心に浸みてくるような新鮮さと、まだウラ若きハァハァな中学生なのにどこか懐かしい田舎の風景を感じさせるものだった。加えてコードが少なくてコピーもしやすい(^^; ←これも重要事項
というワケで、僕は次々にアルバムを集めてますますNSPにハマッていった。1曲ギターコピーできれば次の曲。弾けばまたその曲を好きになるという繰り返し。その当時、NSPは既に100曲以上あったので、全曲収録の楽譜の値段は高いし(中学生だったからなぁ)コピーするのもタイヘンであった。
コンサートにも3回行った。
その活動予定を早く知る為に、とうとうNSPが所属するヤマハのファンクラブにも入ってしまったほどだ。当時はネット環境なんて当然無くて、コンサート開催情報はいつ上がるか分からない新聞の小さなチケット販売広告か、早めにスケジュールが分かるヤマハ会報誌だけだったのだ。とにかくもう、その頃の僕は寝ても覚めてもNSPとギターだけだった。
同学年の男子生徒はあり余る若さを「キョンキョン」や「ミポリン」などのアイドルにぶつけて熱狂する中、ひたすら男性ユニットのNSPの曲をギターでコピーするだけの日々を送っていたのである。
「勉強する時間があるなら左手指先をミディアムゲージ(注)で鍛えるんだ!」
(注:弦の種類。ヘビーゲージはあまりの痛さに挫折した。ネックにも負担がかかっていた)
と自分に言い聞かせて弾きまくり、その没頭ブリはモンモンする若者、というカンジでとてもクラそうではあるが、今の僕が考えてもそれは決して悪いことではなく、そのヤル気に
「いいよ、いいんじゃないの~。熱中ケッコウ。没頭ケッコウ。タイヘン微笑ましいではないか」
と、我ながら思う。
恥かしついでに加えて書こう。自分で言うのもなんだが、タイヘン多感な時期にNSPの曲と詩に触れていたと思う。然るにその時代を思えばNSPの曲を思い出し、また逆にNSPを聴けばその頃を思い出してしまう。昔の気持ちに戻れるスイッチみたいなものかも知れない。
それ故に天野氏の急逝は、自分が過ごした中学・高校時代の想いや気持ちに対して、強制的にピリオドを打たれたように感じて、一抹の寂しさを感じる。
美空ひばりが亡くなった時、『昭和が終わった』 と度々聞かれたが、その時は正直 「あっそ」くらいにしか思わなかった。今はなんとなく分かるような気がする。
僕の昭和が終わったのかな、と。
TVでNSPを見たのは高校生の時に2回だけである。今は無き番組であるCXの「夜のヒットスタジオ」と、第何回目なのか忘れたが「ポプコン本選会」のゲストとして放送されたもの。NSPがテレビに出るということはほとんどなかったので、出演と聞いた日にゃ、
「よしきたまかせろこれはもう見逃すものか!」
という勢いで見たものである。
NSPに興味が沸いた方はググッていただければオフィシャルサイトや有名どころのサイトがヒットするのでそちらをご覧いただきたい。