以前、高校受験で数学17点を取って危うく落ちそうになった話を二回書いた。
中一から中二の間に士別に転校して何故か東高に落ちた大場君(当然仮名)の話、
大場君は真面目で勉強できる事を結構鼻にかけるタイプで塾の特進だか超特進だかに通ってて当時学年300人中で常に一桁に入ってた。
俺は少し生意気で好きではなかったが、真面目だったので教員からは好印象ったようで一年の三学期の
通知表をもらった時に「やったバリバリAランクだ。」と叫んだのを覚えているので内心点は
Aランクだったのだろう。ついでに書くと高校受験で落ちるのはほとんど内申点をギリギリで受けた場合で
余裕がある場合は(当時は)滅多に落ちない、本当に言われてる通り単純に内心と受験を合算しているだけか怪しい(旭川西高校の受験の謎というか女子優遇の謎)
当時は現在と違い、相対評価と言って5段階で「評定5」が7%、「評定4」が24%、「評定3」が38%、「評定2」が24%、「評定1」が7%と決まってた。
現在の絶対評価よりも内心でAランクを取るのは凄く難しかった(というかほとんどいなかった)、余談だが相対評価だと体育で野球部にしか5を付けないとか、女子にしか5を付けない音楽教員とか訳の分からんバカ教員がいて凄い不公平だった、自分は勉強が出来たので総じて印象がよくなり別に絵が上手いわけでもないのに美術で5だったり、体育も普通よりもちょっと運動神経が良いくらいなのに5になってた、教員というのは好き嫌いで点を付けるもんだと知った。普通に東高に行くだろうと誰もが思ってた本人もそう思ってだろ、
で、中一の終わりに士別に転校した。その後も塾のテスト(俺は塾に行ってなかったけど)で旭川に来てたので士別で不良になったとか
いじめられたとか言うのは無かったのだと思う。
高校の合格発表の時に俺はギリギリ受かった、合格発表は人生で1番ドキドキした。歓喜に沸き入学式まで楽しくてしょうがなかった、大場君は当然受かってると思ったが東高の入学式に大場君はいなかった。
中学時代に成績トップクラスで内申書も良かった大場君は何故か落ちていた、時期的にインフルエンザの流行る時期だし、自分も数学で17点と普段ぼ半分どころか1/3というとんでもない点を取ったから本番がたまたま悪かったのか?更に当時は学区外から受ける場合は2%とか5%ルールというのがあって普通に受かった上にこの定員の中での競争で受かる必要があって学区外から受ける場合はランクを一つ落として受けるのが普通だった。
たまたま点も悪かったし、学区外受験ルールで敗れたのだろう。
高校は旭川市内の私立には行かないで二次募集で士別高校に行った。
でも大場君なら大学受験は最低でも北大くらいには行っただろうと思ったのだが当時は今よりもずっと
難しかったのだが室蘭工大に行った、旭川東から北大に現役で行った大半の生徒よりも彼は中学時代は
勉強が出来たし頭も良かったのだが彼的には物足りない学歴となった。
がしかしその後の就職では旧財閥系のS建設に入ったようで道内の某所で高速道路を建設していると聞いた。
旭川東から北大からS建設というルートも全然ありなので彼は就職で本来自分が乗るはずだったルートに戻れたのだった。
この事例から思うことは受験は環境が大切という事、大場君なら東高に入っていたら北大くらいは余裕で受かったでしょうけども士別高校からだと周りのレベルが高くはないからどうしても楽してしまう、これは大きい。
もう一つは本人に実力があれば少々受験で失敗したり、レベルの低い大学に入っても自分がいるはずの場所に行けるという事、多少経由地点が変わるだけで。