谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

旧古河庭園へ行きました その2

2009年06月06日 11時34分16秒 | Weblog
 6月6日(土)我が八千代は雨、今日は、パソコン専科です。
 我が散歩道のアケビ、春先に蔓が切られ心配しておりましたがけなげにも4箇所で実がなっていました。しかし、一昨日ウオーキング途中見るとアケビ(下の写真)の蔓が切られ枯れていました。馬鹿たれが・・・
 昨日、朝のウオーキングを終わり歩数計を見ると丁度1万歩でした。

 さて本題です。
 5月25日(月)パソコンクラブ仲間と旧古河庭園へ行きました。
 西洋庭園から写した洋館です。
 まずは、この洋館を見学しました。見学は、往復はがきによる事前の申込みが必要です。(見学料525円)
 家族が住む部屋は畳み敷きです。それでも外側から見るとドアは洋式です。その内側は、和式になっております。ガイドさんの説明によれば「家族3人、使用人60人」だったそうです。(残念ながら洋館内は、撮影禁止でした。)


 日本庭園です。心字池を中心に枯滝、大滝を配しています。大きな雪見灯篭が周囲の緑に映えています。


 枯滝です。
 ガイド書には
 「水を使わない山水の景観を表現する「枯山水」の道具立ての一つが枯れ滝。心字池の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石などで造られています。」とありました。


 大滝です。
 ガイド書には
 「10数mの高所から落ちる滝。園内のもっとも勾配の急な所をさらに削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山の渓谷の趣をだしています。
 曲折した流れから始まり、数段の小滝となり最後は深い淵に落ちるという凝った造りです。
」と説明されています。
 写真に写っているところは、3m位の高さだったと思います。


 日本庭園の中心は、「心」の字に似せて造った心字池です。


 茶室です。お茶席利用者以外は中へ入れません。


 洋館を芝生方向から写しました。
 洋館は、地上2階、地下1階となっています。
 関東大震災の時には、約2千人の避難者を収容し、虎之助夫妻が引き払った大正15年7月以降は貴賓のための別邸、太平洋戦争末期には九州九師団の将校宿舎、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されたそうです。
 


 自宅を出る時は曇空で傘の用意をしましたが、お蔭様で良い天気になりました。
 女性陣は日傘として利用していました。
 ガイド書のとおり 
  ~豪壮でおしゃれな建物、和洋の庭、大正の息吹に触れる心地よい空間~
 でした。 
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