それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

「根拠」「わけ」を疑う

2018-06-06 12:07:51 | 教育

 (バラ園にて)

 小学校では、体操服の下に肌着を着ることを禁止している校則があるそうで、保護者間に不評の場合があるとの報道があった。
  肌着着用不可の根拠は、「肌着を着たまま汗をかくと体が冷えるため」なのだという。「汗臭くなるから」という理由を挙げる場合もあるというが、根拠として妥当といえるか。そもそも体の冷えや汗の臭い防止にまで気を遣う「きまり」(校則)が必要か。過剰な親切心ではなく、執拗なプライバシーの侵害であり、気持ちが悪い。かつて、女子児童、生徒の下着の色やスカートの丈、シューズの色、形状まで規制する校則があり、話題になった。その後どういうことになったのか知らないが、生き残っている可能性もある。髪の色、形状に関する規則は生き続け、赤毛や縮れ毛で遺伝性のものは、それが生まれつきのものであることの証明を要し、髪を染めた、ミニスカートの教員がチェックするというような滑稽な事態を生み出すこともある。しばしば教育研究のために小学校を訪問したが、髪を金髪に染めた教員を見ることもあった。規制を受ける児童や保護者の目にはどううつっていたのだろうか。
 かつて、関係する大学の附属中学校教員による作文指導の一貫として意見文を書かせるという活動があり、制帽着用の規定は不要、不適切ではないかという生徒による反発が明らかになった。学校側による校則設定の根拠は、「本校の生徒としての誇りの象徴」であり、「頭部の保護、安全確保」など、いかにもとってつけた事柄を持ち出したが、生徒を納得させるに足るものではなかった。
  規制には、すべて根拠があるはずである。初めから根拠、理由のない規制、規則はつくらないであろう。問題は、その根拠に合理性があるかどうかである。10年以上も前に、四方八方見通しのきく田んぼの中の交差点で、一時停止違反の切符を切られたことがある.確かに停止線はある。止まらないことは規則違反であることは分かるが、四方八方、数百メートルも見通しがきく田んぼの中の交差点で「止まれ」という規則の根拠は、今だに分からない。パトカーの二人組のうちの若い警官は、切符を切る先輩の行為を恥じているようで、運転席でうつむいたままであった。規則通りの行為を、後輩に見せつけることの不合理、いかがわしさを感じていたのであろう。善良な市民の私は反則金を支払ったが、その後、警官による交通違反、そのもみ消し等の不祥事報道に接すると頭に血が上る。
  九州の大きな都市に住んでいたとき、市の中心部にある県庁の近くで火災が発生した.消防隊が、県庁の防火用栓を利用しようとしたところ、警備の人間が、「上司の許可をとらねばならない」と使用を阻止したことが話題になり批判された。警備員の行動には「根拠」がある。しかし、その言動は、妥当とは言えない。緊急の場合の柔軟な対応が欠落しているのである。おそらく、事後に上司から叱責されたであろうが、その意味が分からずに不満だったに違いない.「校則」は、これに似たような性格を持つものが多いのである。 
 根拠の妥当性を問題にせず、規則を押しつけることは、児童、生徒の自ら思考、判断し、行動する能力を奪うことになる.最近話題のアメフトの優れた指導者は、闇雲に命令するのでなく、選手たちに考えるきっかけを与えるのだという。昔、サッカーチームの監督がサッカー上達の鍵は、選手たちの話し合い技術である、つまり言語技術であると言って話題になったが、これは無意味でお節介な校則の対極にある「正論」である。(ただ、「正論」と言われるものには、多くの場合いかがわしさもつきまとうので警戒したい。「正」という言葉そのものが検討無用の根拠のように聞こえるからである。「正」と言われるものも、その正否を自らの頭で判断しよう。)


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