近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

太宰治「千代女」

2012-12-07 11:38:26 | Weblog

12月3日の例会は太宰治の「千代女」の研究発表(一週目)でした。
発表者は3年の根本さんと2年の神部さんで、司会は私・山下が担当しました。

今回の発表は「私(和子)」が小説を書くのに苦心していることに注目したものでした。

寄せられた意見には、語りについて、岩見先生への手紙の内容について、和子が小説を書く意味についてなどがありました。
語りについては、千代女の語りは一人称独白体であり、また過去を回想する形式をとっているので、「現在の私」の混乱や私情が入ったものであり、それをふまえて分析していかなければならないといった形になりました。この作品は太宰文学の特徴の一つである女語りが用いられており、その有効性についても深く追求していくべきだというお話もありました。
岩見先生への手紙の内容については、「なぜ、これまでさんざん自虐的な態度に徹していた和子が、天才少女をお忘れなく、という自分の才能を強烈にアピールする手紙を書くのか」といった疑問が持ち上がりました。この疑問に対し、「周囲からもてはやされなくなった和子はそうしてしまうまで追い詰められているから」などといった和子の必死な様子をくみ取った意見が出されました。
そして終盤は「和子は何のために小説を書きたいのか」という部分を重点的に捉える流れになりました。ここで「自分に期待を寄せている母のために書きたいのではないか」「綴り書によって崩壊した平和な環境と良い子だった「私」を取り戻すべく、そしてそれ以外の方法がわからないために小説を書くことにすがろうとしているのではないだろうか」という分析が進められました。

岡崎先生からは、和子の他者の評価への不信から和子の文才に対しての並々ならぬ自信、誰かに評価されたい願望が読み取れる、それは岩見先生への手紙からも同様だということや、和子が女性としての生き方を否定している部分からも見えてくるものがあるというお話を伺いました。
またご参加くださった石井先輩から、千代女のエピソードと俳句について、そこからくる和子の「私は千代女ではありません」という語りがどういう意味を成すのかを考えることと、先行論の流れを汲んだレジュメ作りをすべきだというご指摘をいただきました。


次週も引き続き「千代女」の研究発表を行います。

以上になります。ありがとうございました。
2年 山下