先日行った太宰治「走れメロス」の勉強会についてご報告いたします。
勉強会では「走れメロス」の研究論文を1人1本ずつ担当し、要約、語句の解釈、批評を行い発表しました。
目的としては、時代による論じられ方の違いや様々な研究方法を改めて学び直すことで文学研究の流れや方法に対する理解を深め、意識を高めていくというものです。
私が担当したのは、濱森太郎の「「走れメロス」の着想について―秘匿された物語の論理―」(「太宰治研究6」1999・6)です。
昨年の勉強会では客観的な批評が出来なかったので今回はそうならないように努めたつもりでしたが、作品世界の原典の社会的背景をその作品を読む際にどれだけ導入すべきかという根本の問題に目を向けられていませんでした。読んでいるうちに論に引き込まれて根本を疑うことを失念しがちですが、その部分こそ考えるべきだったと反省です。
作品外から何を持ち込むのかによっては作品の可能性や豊かさを狭めてしまうものだと再確認できました。
自分自身の文学研究に対する立場や姿勢を見直せ、いい勉強になりました!
勉強会に参加くださった皆様おつかれ様でした。後期からも頑張りましょう!
朝夕涼しくなって来ましたが体調を崩さないようご自愛ください。
では、失礼します。
2年 今井
勉強会では「走れメロス」の研究論文を1人1本ずつ担当し、要約、語句の解釈、批評を行い発表しました。
目的としては、時代による論じられ方の違いや様々な研究方法を改めて学び直すことで文学研究の流れや方法に対する理解を深め、意識を高めていくというものです。
私が担当したのは、濱森太郎の「「走れメロス」の着想について―秘匿された物語の論理―」(「太宰治研究6」1999・6)です。
昨年の勉強会では客観的な批評が出来なかったので今回はそうならないように努めたつもりでしたが、作品世界の原典の社会的背景をその作品を読む際にどれだけ導入すべきかという根本の問題に目を向けられていませんでした。読んでいるうちに論に引き込まれて根本を疑うことを失念しがちですが、その部分こそ考えるべきだったと反省です。
作品外から何を持ち込むのかによっては作品の可能性や豊かさを狭めてしまうものだと再確認できました。
自分自身の文学研究に対する立場や姿勢を見直せ、いい勉強になりました!
勉強会に参加くださった皆様おつかれ様でした。後期からも頑張りましょう!
朝夕涼しくなって来ましたが体調を崩さないようご自愛ください。
では、失礼します。
2年 今井