あるドキュメンタリー番組を録画していた。
子どものドキュメンタリー番組だった。
今日時間があったので、見ることが出来た。
とても濃い番組だった。
途中、涙もいっぱいでてきた。
番組をみて自分の子どもの事を振り返った。
個性的な我が家の子ども。
小さかった時の事を思い出す。
思いっきり小さかった頃、私は子どもが個性的な事をなかなか受け入れられないでいた。
気功が良いと聞けば連れて行き、
サプリが聞くと聞けば試していた。
自分に余裕がなく、自分のストレスにも行き詰まり先が見えなかった。
色々勉強もした。
パソコンもいっぱい見た。
本もいっぱい読んだ。
人と違う事を望み、人と違う視点をもつ子ども。
当時、どうやって過ごす事が一番良いかが見えなかった。
講演会にもいっぱいいった。
なかなか周りの人にも理解してもらえずしんどかった。
友達の子どもは一般的でお友達家族とでかけても
誤る事が多くだんだん疎遠になっていった。
そんな中、ある日、ある講演会に行った。
人と違う子どもをなんとか矯正してみんなと同じように過ごせるのはどうしたら良いかという感じの話だった。
聞いていて思った。
なんだかまるで個性的に生まれ、人と同じことがなかなかできない、価値観のちがう子どもが「ダメ」と言われている気がした。
出来が悪い、治さなければいけない!
つまり欠陥というふうにとらえられている!ように聞こえた。
なんだかつらくなり悲しくなり家に帰った。
でもその時思った。
じゃあ私は何故今まで、必死で講演会にいっていたの?
何故、気功を試したり、サプリメントを飲ませていたの?
はっとした。
自分も我が子が、みんなと同じようになってほしいと願ってたんだ。
個性的であるよりも、私の価値観のなかで納得する子どもになってほしいとねがっていたんだ!
と。
今思えば、その日をきっかけに私の価値観は大きく方向転換していったように思う。
あれから何年も何年もたって今思うこと。
個性的であるからと言って何をしても良いわけではない。
だから「人に迷惑をかけること」に関してはよくないと思う。
でも個性的である事に関しては、むしろ素晴らしいと思うようになった。
人と違う価値観で世界が見れるなんてすばらしい。
持っている個性をいっぱい輝かしてほしいと思う。
私は自分が何のために生きているのか、今一つわからないけれど
子ども達が この世の中で「自分らしく」いられるように
影ながら支えられる人でありたい。
一つのテレビ番組をみて
改めて考えさせられた。
今日は深く濃い一日だった。