昨日、名古屋駅近くのホテルの会議室でエホバの証人から信者の救出に尽力されているウィリアム・ウッド牧師のお話を聞くことができました。
カルト信者の心の不安に寄り添ってきた先生の貴重な体験と、なぜ人はカルトに魅せられるのかというお話を聞くことができました。
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講演後、私がインターネットで統一教会問題に関わり始めたころ、メールですこし交流したことのある京都のご住職と少しお話ができました。<o:p></o:p>
若いころ恋人が統一教会に入信し、牧師さんによって彼女は救出されたのですが、クリスチャンになられ、僧侶とクリスチャンでは恋は成就するはずもありません。<o:p></o:p>
もし彼女が統一教会に入信していなかったら・・・・・。
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カルトは様々な形で人の絆を断ち切らせます。
家族の絆・・友人との絆・・・恋人との絆・・・<o:p></o:p>
しかし、本人は絆を断ち切ってまでも、そこには自分の求めたものがあると信じ、本物の愛があると信じているのです。
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ウッド先生は、カルト教義のまちがいを指摘しても救出することはできないと言われました。<o:p></o:p>
同感です。<o:p></o:p>
でも私は統一教会の原理講論を最後まで読みました。<o:p></o:p>
読んだということが大切だと私の体験から感じています。<o:p></o:p>
親が自分にも理解できない難しい教義を読んで、自分のことを理解しようとしている。<o:p></o:p>
それだけで、十分だと思います。<o:p></o:p>
言葉で、いくら愛している、心配しているといっても通じるものではありません。
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説得の時、それを知った私の娘はこういいました。<o:p></o:p>
「原理講論は大切な本だから捨てないでね」<o:p></o:p>
私はすぐさま「もちろん、この本で結ばれていると思っているからね・・・」<o:p></o:p>
そんな昔のことを思い出しながら会場を出て帰宅しようと思いましたが、ふと娘が昔正体を隠して勧誘活動をしていた駅前の通りに行ってみました。
手の平に納まるくらいのアンケート用紙をもって、通行人に目配りして立っている女性たちがいました。珍しく男性もいました。
寒風が吹きあげる中で、手をこすりながら立っていた娘の姿と重なりました。<o:p></o:p>
あの時と同様、気づかれないように、彼らの前を通り過ぎました。<o:p></o:p>
私の娘は、父親が目の前を通り過ぎても気づきませんでした。<o:p></o:p>
大都会の群衆の中に見ていたのは、黒髪の質素な服装の女性・・・それしか見えていなかったのでしょう。
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宗教的勧誘活動ならば、すべての人が対象であるはず。<o:p></o:p>
なぜ、自分がそんな目しか持ち合わせなくなってしまったのか。<o:p></o:p>
もし、信者の方が読んで見えるならば、よく考えて欲しい。<o:p></o:p>
そして、本当の自分と向き合ってほしい。<o:p></o:p>
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ご相談は<o:p></o:p>
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統一協会被害者家族の会 <o:p></o:p>
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電話:03-3350-5808
(水・金曜 13:00~16:00)変更があるかもしれませんのでHPでご確認ください。
http://www12.ocn.ne.jp/~kazoku/tk-denwasodan.htm
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神田 明 (個人ボランティア)<o:p></o:p>
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携帯 090 2140 5808
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相談日 毎日(日曜、祭日も受け付けていただけます)<o:p></o:p>
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時 間 19時30分~20時30分
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私(kokoro)へのご相談?はブログのコメントにメールアドレスを記入して投稿してください。<o:p></o:p>
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非公開表示ですのでご安心ください。<o:p></o:p>
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反対に、これを ? 言う人に対して反感を持ちます。
そして心を閉ざしてしまいます。
信者になってしまった人には家族の苦悩する姿など見えてはいません。
信者になってしまった人にとって血肉を分けた家族というのは≪ただの里親なんです≫、
衣食住を賄ってくれる≪便利なお助け小屋≫なんです。
毎月、教団から要求される献金するための『¥』を簡単に引き出せる≪便利なATM≫なんです。
信者になってしまった人にとって本当の親は教祖であり、本当の兄弟姉妹は同じ信仰を持つ信者同士だけ何です。
そんな信者を現世に連れ戻すには魂の触れ合いともいえるような本物の心の触れ合いだけ。
それ以外のものは信者の心には何も響きません。
私の体験からでした。
モモンさんのお父様がいかにモモンさんに思いを伝えたのか。モモンさんのお父様からお聞きしたかったですね。きっとすてきなお父様だったと思います。
テレビドラマとか映画では家族の愛情を役者がうまく表現し、感動を伝えます。
ところが現実には家族はそんなうまい役者にはなれません。
むしろカルト側の方が、愛情を伝えるツールをよく知っています。
私もそうですが、家族はその点では不器用です。
でもそのたどたどしい不器用さに中に、本当の家族の愛情を感じられるものがあると信じています。
カルトに魅惑されながらも、過去の家族の思い出の断片を消すことはできません。この断片に再び家族の愛情をとりもどさせることができるのは、家族にしかできないことだと感じています。
モモンさんと体験と私の体験の共有が、今も苦しんでおられる多くのご家族に少しでも励みとなってくれることを祈っています。
父は私を『子育てする』というより、私という ≪人間の魂を育てる≫ という接し方で育てました。
其処には実の伴わない心地よい良いだけの愛の言葉など存在しませんでした。
厳しく鍛え上げる言葉しかありませんでした。
だけど、その厳しさの中にこそ本物の愛がありました。
歳月が流れるほどに魂を育てる愛の心が込められていました。
『常に弱者を労わる心を忘れるな』という博愛精神を私の魂に刻み込んでくれていました。
統一協会と父を比較してみた私の感想は、
『女誑し』と ≪人生の辛酸をなめてきた誠実男≫でしょうか。
女誑しは饒舌に女性が喜ぶ言葉を並べ立て、女性の身も心も夢の中へといざない、女性から金品を巻き上げ、奪うものがなくなり、飽きるとポイ捨てにし、
前々から目を付けていた次の女性に言葉巧みに近づき、饒舌に愛の言葉を語り同じ事を繰り返し続ける。
そうしなければ自力で生きてゆくことのできない女誑しは飢え死にしてしまいますから。
方や、人生の辛酸をなめてきた誠実男は心地よいだけの愛の言葉など語りません。
実の伴わない愛の言葉に何の価値も感じないから。
人生の辛酸をなめてきた誠実男にあるのは本物の愛の心だけです。
本物の愛の心からでしか、温かい愛のこもった行いは生まれないことを知っていたから。
「常に弱者を労わる心を忘れるな」
全く、その通りだと思います。
いろいろな親御さんにお会いしましたが、信者となった家族をとりもどすことができた親御さんに共通するものは、そのほとんどが実直な性格の方々だと感じています。