逗子ストーカー事件で、警察に相談していながら殺された被害者、なんといっていいか言葉が出なかった。
警察は取り返しのできない失態をしたのに、警察は謝るどころか、逮捕状を出す以上、逮捕者本人にどういうことで逮捕されるのか知る権利があるので法的に致し方のないことだと開き直っている。
私は今この事件のニュースを見るたびに複雑な気分になる。
私は地元警察に、親に嘘の住所を言って、行方知れずになった娘の住所変更先を郵便局で教えてもらえないのか、悲痛な思いで訴えた。娘の通帳から半年で1000万もの大金が引き出されている。詐欺にかかっている可能性がある、生きているかどうかも分からない、頼むから教えてくれと頼んだが、メールで本人から返事が来れば、生きていることだから捜索はできないという返事だった。
警察なら何とかしてもらえると思った。家族間のトラブルとしてか理解してもらえないもどかしさを感じた。
もし、このとき娘が殺されていたら、警察は今回のように法的に致し方のないことだというのだろうか。
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刑事事件は民事事件の延長であり、尼崎の連続殺人事件も訴えがあっても警察の民事扱いでの放置が明らかとなっている。マスメディアは主犯格たちに焦点を合わせてこの事件の異様さを伝えているが、こんなことになる前の警察の捜査の在り方について焦点を合わせるメディアが少ない。
年々科学技術の進歩とともに、ストーカー事件の多様化は法的整備が追い付いていないとマスメディアは取り上げている。法の網を縫ってストーカーたちが行動をするのであれば、このいたちごっこは永遠に続く。
逗子ストーカー事件、尼崎事件での警察の対応のまずさを法律の責任にしたところうで、警察の限界を隠すことはできない。
どうすれば、このような被害をなくす糸口が見つけられるのか。
カルトを信教の自由で認めてしまう国では、難しいのかもしれない。<o:p></o:p>