今週の日曜日、コーマワーク(意識障害・昏睡状態のひとと対話する)のセミナーに参加した。
コーマワークとの出会いは、2005年に遡る。
この年、学院に入学して数ヶ月が経った頃、担任の講師から読むことを薦められたのが、アーノルド・ミンデルが書いた「昏睡状態の人と対話する」という本だった。
はじめて読んだときの衝撃と感動は、今も思い出せるほど、それはそれは大きなものであった。そして、この本との出会いが、その後、講師によって始まったボディフォーカスト・アプローチを学ぶことへと繋がったと言っても過言ではない。
なぜ、これほどまで感動したかと言えば、やはりそこには祖母の死が深く関係している。
私たち家族が札幌から東京へと移り住んでから、昨日で丸9年が経つが、実はその同じ年の5月に祖母が亡くなっている。
そのときの様子は、過去に何度か書いているが、実は、亡くなる一ヶ月前に病院を転院している。そのとき、転院先の病院から、祖母が万が一のときに、延命処置を施すかどうか選択するよう促されたのだった。
祖母の実の娘である、私の母がそのとき決断したのは「延命処置はしない」ということだった。今までの人生、生き方を思ったとき、おそらく祖母は「延命処置を望まないだろう」と、母はそう判断したのである。
そうした母の決断に対して、家族である父と私は異存はなかった。というより、母と同じ気持ちだったと言ってもいい。しかし、だからと言って100パーセント迷わなかった、心が揺れなかったと言えば嘘になる。それほど、延命処置という問題は、家族にとって辛い選択であり、心に重石を抱えたような重苦しさを残すものだと、そのとき初めて知ったのだった。
それからほぼひと月後、祖母は旅立った。
まるで、母の決断は正しかったとでも言うように、あえて医療のスタッフが手薄になる休日に、誰にも知られないまま逝ったのである。
その事実を知ったとき、私たち家族全員がある種の安堵感を覚えたのは確かだった。母が選択したとおりのことが起こったことが、母のみならず家族をホッとさせたのかもしれない。
そんな出来事があった数ヵ月後に、出会ったのが「昏睡状態の人と対話する」という本だったのである。
読み終えて強く思ったこと、それは「もし、あのとき(延命処置をするかとの選択)、このアプローチ法を知っていたら、もし、このアプローチによって祖母の意思が確認できたなら、どんなにかよかっただろうに」ということだった。あのとき、もし祖母が自ら延命を望む、望まないの意思を示してくれたなら、私たち家族は迷うことなく祖母の意思を尊重し、それによって生じた結果についても不安を覚えることなく納得できたはずである。
そんな体験から、私の心の片隅にはずっと「コーマワーク」は存在し続けてきたのだ。
この本を読んだときには、プロセスワーク(コーマワークのベースとなっている)を学ぶにはアメリカに渡って勉強するより方法はなく、断念せざるを得なった。しかし、あれから5年あまりが経った今、プロセスワークを日本で学べるシステムへと状況は変化している。
それと同じように、まったく機会がないと思われていたコーマワークに触れられる、学べるチャンスがいつのまにが訪れていたことを、私はつい最近まで知らなかった。
そのことが、実はちょっと残念ではあるのだが、おそらく私がコーマワークに触れるためには、この5年という時間は絶対必要だったのだろう。そんな風に思いながら参加したコーマワークセミナーであった。
続く…
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