こころ Coffee Time

  あたたかく やわらかく しなやかに

  今を つみかさねていけたら

5月の曲

2021-06-03 16:32:25 | 画像・動画
5月末に書きかけていながら、なかなか更新できず(>_<)
今回も、出会った曲の記録を。


①[おかえりモネ] 主題歌 | BUMP OF CHICKEN「なないろ」| タイトルバック | NHK


5月から始まった朝ドラの主題歌。歌詞はこちら
初めて聴いたときに、まだ歌詞など十分わかってはいない状態ながら、何だかキラキラ感があって、うるっときました。
分析すれば、ボーカルの力や、音楽のちょっとしたアレンジなど、色々な要素があるんだろうと思いながら。

「今この景色のすべてが笑ってくれるわけじゃないけど それでもいい これは僕の旅」
「おはよう 僕は昨日からやってきたよ」


②キリンジ - Drifter


こがけんが、配信ライブで歌っていたのをきっかけに聴き始め。歌詞はこちら
だいぶ昔の曲なんだろうけど、全然知らなくて。そんな派手な曲ではないけど、聴きこむと味わい深い、いい曲。

「交わしたはずのない 約束に縛られ 破り棄てようとすれば うしろめたくなるのは何故だ」
「たとえ鬱が夜更けに目ざめて 獣のように襲いかかろうとも」
「いろんな人がいて いろんなことを言うよ」


2曲に何となく共通して感じるのは、
この世の全てが素晴らしいわけではなくて、苦しいこともたくさんあるんだけど、
それを背伸びせずに、そのまま自然に受け止めていて、どこか希望が持てるような曲であることかな。
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2021、4月も終わり

2021-04-29 14:13:51 | 画像・動画
色々なことがあるけど、あえてエンタメ。
今月ハマった音楽の記録。
いつか聴き返したときに、今の世の中のこととか、思い出すんだろうと思うので。


①PizzaParty / EspressoBoys & Kogaken (エスプレッソボーイズとこがけん)パーティーソング

M-1以降、おいでやすこがにジワジワとはまって、二人を見るのが最近の楽しみ。
この曲は、たまたま見つけた昔の動画。こういう系統の音楽って普段はあまり聞かないんだけど、これはかっこいい~。




②YOASOBI「怪物」Official Music Video (YOASOBI - Monster)

YOASOBI、昨年ぐらいから流行っているのは何となく知っていたけど、最近この動画にハマる。
元々ある小説などを音楽にする方々だったんですね。すごい才能。原作知らなくても、感じ入るものがあります。

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記憶は書き換えられていく

2021-03-15 09:59:53 | こころの日記
3.11の朝、番組「あさイチ」で、ある被災者の方が取り上げられていました。
身内を亡くしたその方は、その時のことを歌にして、折にふれ聴いてもらっているそうです。
自分が助けられなかったという罪悪感をずっと持っておられるのが、伝わってきました。
その方のインタビューの中で印象的だったのは、「記憶ってどんどん書き換えられていくんですよ」という言葉。(メモをとったわけではないので、少し違う表現だったかもしれないのですが・・・)
だからこそ、その時の生の気持ちをあえて歌という形で残すことで、この経験を継承し、またご自身の大切な記録としても、保持しておられるようでした。

そのあとスタジオで、そのこと自体もその人の生き方だし、逆に忘れたい人は忘れるのもひとつだし・・・というような話が出ていました。

生々しい思いを保持するのは苦しいから、和らげていくために、記憶が書き換えられていくというのは、人間に備わった、心を守る方法かもしれません。
あえてその時の苦しい思いを記録として残すというのは、その方と、亡くなった方との関係性も、大きいのかもしれないと、あとになって思いました。今もずっと続いているからこそ、自分の時計だけ動かすことを、されないというか。

人生物語の紡ぎ方は、本当に人それぞれ。
そして、脚本の組み立て方の癖、傾向、もあって。
喉元過ぎれば熱さを忘れる場合もあるし、逆に、熱さが強烈に残って、何も飲み込めなくなる場合もある。

人の心は、シンプルで、複雑で。
ひとつの出来事のあと、そこからそれをどう捉え、どう生きていくか。本当にその人が表れる。
受け身の出来事を、主体的に自分に起きた出来事として、捉えなおせるかどうか。
また、後悔や恥や失敗などの出来事と、どう向き合っていくか。
合理化、否認しがちな自分がいるけれど・・・耐える力がない時は特に。

今、というより、過去の記憶や先への不安の中で、生きていきがちな心。
でも、生きているのは、常に今。何かをできるのも、常に今。

まとまりませんが、「記憶は書き換えられていく」という、その方の壮絶な体験の中からの実感は、非常に迫ってくるものがあって、
そこから、自分が今感じていることを、雑感的に綴っておきたいと思いました。
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次のステージへ進む

2021-03-01 10:59:56 | こころの日記
4か月も投稿していませんでした…。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。(遅)
家族の病気など、色々あり、精神的にゆっくり文章が書けずにいました。

ずっと勉強していた二つの試験は、おかげさまで無事に合格が出来ました。
これまでもその関連の仕事はしていましたし、今すぐ大きく何かが変わるわけではないですが、まずアイデンティティ的に、私にとって大切なことでした。
試験勉強を通して、知識も(すでに記憶から抜け落ちていることも多いとはいえ)多く得られたことは、収穫でした。
あとは、それをいかに自分の言葉で発信できるか。
人様の役に立てられるか。
それは本当に私の弱点であり、片付かない部屋のように、自分の内部に詰め込んだものが、片付いていない。だからよけいに出せない。
ここから、具体的に動いていかなくては。
アウトプット。言語化。
人様に伝わる言葉にできること。
自分の痛みと向き合うこと。
とにかく、訓練しかないのだろうと思います。頑張ります。
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前進

2020-10-29 18:02:16 | こころの日記
試験の結果が届きました。
封筒から、地図が透けて見えたので、きっとこれは、2次試験(面接)の会場だ! と分かりました。
一次試験、合格。かなり安堵・・・。
日々、体調を整えて、二次試験に臨みたいと思います。
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一つ終了

2020-10-21 18:07:00 | こころの日記

試験、第1弾が終了しました。

手応えは、まあ、これが自分の力でしょう、という感じ。

願わくば通過したいし、だめならあと一年頑張るのみ。

とは言え、どっと来てるし、結果待ちの日々は何とも言えずしんどく。違う試験が2ヶ月後にあるから、そちらに切り替えて進むのみ。

あー、これ通ったら、精神的にはすごくすごく楽になるだろうなあ、と思うけど。

まずは無事に終えられたことそのものが、一歩前進。

あ、論述は、何とか文字数埋められました。ホッ。


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「なぜ?」を埋めたくなるけれど

2020-09-28 17:06:51 | 子育て
映画「黄泉がえり」見に行ったな・・・。さまざまな報道に、心の深いところが揺さぶられる感じがします。
どうしても心は「なぜ?」を埋めたくなるもので。不明なところを、不明なまま持っておけないというか。想定外のことだと、なおさら。加えて、今後そのようなことが起きないために検証したい、という理由もあるかも知れないけど。
でも、永遠にわからないこと、また、人の内面にふれることについては、ある程度の仮説は持ちつつも、そのままでいるしかない。
表面から見えることだけが真実ではない、ということだけは、それだけは確か。改めて、確か。そして、自分のしんどさをまったく醸し出さない人っているんだということも、改めてこの2か月ぐらいで知ったという気がします。
そして、周囲の苦しさも。遺された方は、永遠に抱えないといけないから。それこそ、永遠に問い続けるだろうから。こんな一市民でも、これだけ揺さぶられるのに、直接かかわりのあった方々は、どんな思いかと。
やはり、人は物語の中に生きているので、「なぜ?」に対応する答えがないと、苦しいもの。その思いは、どのようにおさめていけばいいのだろう。そこは、周囲にいい聴き手がいるかどうかでも、変わってくるかもしれないな。
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模試が返ってきた

2020-09-24 17:10:11 | こころの日記
気がつけば、前回書いてからもう1週間・・・早すぎます。

先週末、8月に自宅受験をしていた模試が戻ってきました。合否ギリギリラインとの判定。すでに自己採点をしていたので、まあそうだろうなという感じです。一応、最近もう一回解いてみたら8割取れたので、少しは力ついてると思いたい。
とにかく頑張らないと・・・段々ランナーズハイみたいになってきました。学生時代のように、単語帳に覚えたいことをどんどん書いて、隙間時間に見るようにしています。早く解放されたい気持ちもあるけど、試験とかがないと勉強しないから・・・締め切りって、必要。しかし、どんどん単語帳の枚数が増えていく・・・(-_-;)

「ブログ書かなきゃ」に支配されると本末転倒なので、心身整えながらやっていきます。とにかく、当日にいいコンディションでいられるように。
今日は短いですが。
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(続)事実と、見方と

2020-09-17 14:31:46 | こころの日記
前回、事実と見方を、分けて考えていかないと、ということについて書いたけど、違う視点からいくと、一つの事実があった時に、「この人のコメントを聞きたい(読みたい)」ということも、よくあると思うのです。(逆に、いつもそのコメントが批判される人もいるけど、それでもその人にコメンテーターの椅子が用意されているのは、ニーズがあるからなのか、それなりにポイントを掴んでいるからなのか、色々事情があるのかなあ・・・とまあ、それは置いておいて。)

最近、隙間時間に時々見ているのが、お笑いコンビ「ロザン」のYouTube番組。 → こちら

この二人の会話や物の見方が、変な言い方だけど、フラットに偏っていて、結構面白くて。気楽な飲みの席にいるような感じもあり、ラジオ感覚で聴ける。二人とも勉強もしているし、色々と考えているんだろうなあということが分かる。自分の考えに修正の余地を持ちながらも、一本筋が通っている感じ。あとは、二人が本当に仲いいんだなっていう感じもいいのかも。相手の話をしっかり聴いて、自分の思いも遠慮なく言って、安心して話し合っている空間。そもそも芸人さんということもあり、途中に笑いも絶妙なタイミングで挟み込んで、いい感じで濃い空気を薄めたりしていて。
私自身、この二人の話を聴きながら、知識も得られるし、押しつけがましくもないから、そのトピックスについて整理しやすくて。私自身、そうありたいなと思う。(そしてやっぱり知識って、基本的には、あるに越したことはないなあ。)

書きながら思ったのが、「問い」(問題提起)があって、それに対して「仮説」を持ちつつ(そしてその仮説に対して、基本的に信頼を置きつつ)、知識や事実関係を確かめながら、また自分の好みの考え方も取り混ぜながら、「答え」(←「正解」とは違う)に近づこうとするプロセスって、面白いなと思う。ロザンの二人の会話って、そういう感じがして、私的にはなかなか面白いなと思うのです。
反対に、私が面白くないと思うのは、「自分の見方」や「偏見」を、あたかも「正解」のような口調で言うこと、なのかもしれない。私自身も気を付けないといけないけど。
何より、相手に対する敬意、大事だな。
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事実と、見方と

2020-09-14 12:29:26 | こころの日記
3日前から書きかけの文章(^_^;) 
試験対策で、1000文字強程度の文章を書くことに慣れる必要があるので、できる日は何でもいいから書いてみようと思っているけど、「ネタ探し」みたいになってくると、無理やりな文章になるので、それもまた難しいなと思います。実際の試験では、お題が提示されて、それに対して書くので、知識さえあれば(←そこ重要(^_^;))むしろ何とかなるのかも知れないと思うけど。あとは実際、今やっているタイプ打ちと、本番の手書きとでは、感覚も全然違うので、練習にならない側面もあるけど、それでも「何もしないよりはマシ」かなと思って。しかし、タイプ打ちって便利。手書きだと、全部消さないといけないような状況とか、多々あるし。昔の作家さんとかってすごいな。
「ネタ探し」に関連付けて書いてみると、「ネットニュース」って、便利だし、私も情報を得ようとつい見てしまうのだけど、でも実はすごく偏っているというか、「事実」というよりは「書き手の見方」がすごく反映されているように思えて、読む時に気を付けないといけないなと、つくづく思います。コロナになって余計にそうかもしれない。
おそらくだけど、書き手の人は、それが仕事だから、何か提供しないといけない。だからとにかく、クリックしてもらえるような見出しをつけて、でも内容は何だか違うということも多くて。例えば自分が見ていたテレビ番組の内容がニュースになっている時に、「私はそう思わなかったな。そんな風に受け取るのか。こんな記事になるのか。」と思うことも多く。
また、「〇〇さんがこう発言した」という記事もよくあるけど、厳密には、「質問されたから答えた」ことと「自発的に発言したこと」って、違うはずで。そういうことには触れられていない。どういう流れで、その発言や出来事があったのか。刺激があったから反応したのか、それとも自発的に出てきたのかでは、違ってくるはず。でも、文脈なく、一部分だけ切り取られることの、いかに多いことか。
はじめから(特に)批判的なまなざしで世の中を見ていたら、いくらでも「ネタ」はある。部分的にどこかを切り取って書けば、文字数は埋まる。記事を書く人というのは、もちろんプレッシャーのかかる仕事なのかもしれないけど、その責任、言葉の重さみたいなものを感じられない記事も正直あって。書かれた人が傷つくとか、読んだ人がどんな気持ちになるかとか、どういう影響を与えるかとか。そういう配慮を求める方が無理なのか?(そうは思いたくない。)まずはこちらも、記事を鵜呑みにせず、事実と、記事を書いた人の見方を、見分けないといけないなと、つくづく思うのです。
まとまりませんが、私の「見方」でした。
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