九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

彦根東高校→奈良学芸大学→東大寺学園(1)

2018-04-06 19:09:13 | 日記
彦根東高校→奈良学芸大学→東大寺学園(1)
前回、野球少年長崎達夫君のことを書いたが、昆虫少年、つまり私自身のことを書こう。ちなみに私が彦根東高つまり普通科を選んだ理由は、我が家は継承すべき代々続く稼業がなく、また中卒時は自分がどんな職業に向いているのか、わからなかったから、将来の職業を暗示する名前がついている農業、商業、工業などの高校を避け、入学してからどの方向にでも変われそうな普通科を選んだ。彦根東高校は終戦後、男子だけの旧制中学校と旧制女学校が統合、男女共学の新制高等学校が発足した。もともと大学に進学し、学問の奥義を窮める人材を育てるために作られたのが普通科進学校だ。普通科に1~2年在学する間に志望は理系と文系に分かれる。私は歴史や考古学にも興味があったが、それは趣味にとどめ、他の人がやらなかったことをやろうと思った。幼いころの「昆虫学者と探検家」になる夢は持ち続けた。
高校1年時、部活は中学時代の延長で新聞部と新たに社研に属した。当時、社研も公認されていたと思う。また誘われて警察の道場に柔道を習いに通った。2~3ヶ月後、中学からずっと陰性だったツベルクリン反応が初めて陽転し、微熱が続き結核の初期症状と疑われたので、柔道を止め通学は続けたが、次の年は休学し1年遅れ卒業。治療に使ったストレプトマイシンの副作用で、今も少し難聴だ。さらに2年彦根市石ヶ埼町の自宅で療養、庭に出没する昆虫の観察と読書に専念、雑誌遺伝は高一から毎号読んだ。優生保護法の必要性を熱心に主張する遺伝学者の記事を読み、ナチスを連想し違和感を持った。ダーウィンの種の起源とビーグル号航海記、ラマルクの動物哲学、オパーリン生命の起源、ファーブル昆虫記10巻(高校時代7回読む)、他にも岩波文庫を多数読んだ。
転機はある朝、父が大屋根の風雨でずれ雨漏りした瓦を一枚元に戻し、梯子を下りようとしたが怖くなり下りられず、母に呼ばれて駆けつけ、助け下ろしながら、父がすっかり老いたことに気づき、そろそろ親元を離れ自立する決意を固め、1959年2期校奈良学芸大学中学校教員養成課程理科を受けた。中学生の頃、奈良を訪れ印象が良かったので、滋賀大学を選ばず、奈良学大を受験した。国語、社会、理科の三教科は大体できたが、数学と英語はお粗末で半分できたかどうか怪しい。結核で休学し、読書量は多かったが、英語と数学は高校で習っただけ、問題集をやっていなかった。頼みの綱は、もしかすると併願した小学校教員養成課程なら合格するかもしれない思ったほど出来が悪かった。
(つづく)



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