九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

九重昆虫記の読者の皆様へ―その2

2016-01-19 00:11:42 | 日記
九重昆虫記の読者の皆様へ―その2
九重昆虫記第10巻の目次はこのブログで昨年5月校了後掲載したと思います。その巻は私と進化論と題して五つの節を設け、9巻までに進化について書いたことを整理しました。最初の節は22章からなりラマルクとダゥインの著作を読んで、彼らの考え方を私がどう理解したか私の高校時代にさかのぼってエピソードを交えながら執筆し、特にラマルクの業績を高く再評価しました。私はウォレスを訳したこともあって、もともとダゥインをあまり好きではなかったのですが、ドミニカ共和国に滞在中マイアミでペーパーバック版の彼の著作をできるだけ買い集め読みました。それまで種の起源も日本語訳を読んでいたのですが彼の英文を読むうちにだんだん彼に好感を持つようになりました。私に言わせれば彼もアリストテレスと同じく、天才あるいは秀才型の人ではなく努力の人だとわかったからです。第2節は今西錦司批判など48章からなる私の進化論です。第3節は22章からなりすべての動物は心を持つと主張しました。第4節は18章からなり昆虫の巣とは何だろうと論じています。第5節は30章からなり昆虫の交尾スタイルと性について論じています。もう1節あり、定年前後に過去を振り返って大学の出版物や同窓会誌などに書いた話を集めました。第10巻の内容をブログとして発表するのは、この巻に限って他の巻のように図版が多くなく、文章も理屈っぽいので適さないと思います。1冊として出版した方が他の方の意見も聞けて、私自身の勉強にもなると思います。
なお九重昆虫記の出版を急いだのは原田さんの病気のせいだけではありません。私の方が今年夏に79歳になる高齢者であり、若いころ結核で進学が遅れ長生きするとは思っていませんでした。だから定年後、山に研究所を建てて自然観察に専念してからは虫との出会いも人との出会いも、いつも一期一会のつもりで臨みました。中途半端に終わった観察もなるべく文章にしたのは、高齢者にとって次の出会いがあり得ないことをよく知っているからです。だから私は誤同定を恐れず多くの種を図鑑で同定しその生活史を記録しました。持ち時間が少ない年寄りは何かに興味を持って研究を始めるとつい自分で自分を急き立てるものです。病身の原田さんももしかしたら私のペースに巻き込まれて心理的に急き立てられ、体調を崩された原因は私なのかなと少し後悔しています。私のようにすべての目の昆虫を扱うと同定できない種や誤同定が増えます。だから私が記録した種の標本は必ず私の手元に残すことにしました。私が観察し記録した標本が分散してしまうと、後に私の誤同定を正すことが誰もできなくなることを恐れたからです。まずすべての標本を琵琶湖博物館に移し博物館の所蔵標本番号を自分でつけようと決心しました。番号がついてしまえばもちろん貸し出しも可能になります。番号付けは年内に終わるでしょう。
九重昆虫記はカラー図版が豊富なことが売りでした。しかし出版が始まったころはカラー写真の色合いが私の原図と著しく違うことがしばしばありました。しかし印刷技術も次第に改善され最近の巻は美しい図版になりました。
だからこの機会に改めて再編集して同じ目あるいは科の昆虫の生活史をなるべく1冊にまとめるのが良いと思います。また九重昆虫記の九重を消し、代わりに新をつけ「新昆虫記」として再出版できればと考えています。九重は大分県九重町に研究所を持ちそこで思索し執筆したから記念につけた名前です。九重自然史研究所と九重昆虫記のどちらも九重町とは何の関係もありません。
現時点でもすでにファーブルを追い越すほど原稿があり、しかも登場する虫は九重町産とは限らず故郷彦根市産や外国での観察も含まれています。ファーブルが扱ったことのない目の記事も多く、また最近は滋賀県の昆虫同好者の協力で滋賀県産の虫を扱うことも多くなりました。できれば近くにある出版社が良いのですが、どなたか滋賀県内の出版社をご存知ありませんか?