終戦記念日に思うことを書いた際、紹介した切手は1944年から始まる連合軍の反撃の様子を示していた。この切手はそれに続きアメリカ軍の反撃を示している。上の左端は硫黄島の戦闘に勝利し星条旗を立てた場面が描かれている。ついでマニラの解放、沖縄戦、さらに米ソ両軍がエルベ川畔で出会う場面、最後は生き残って解放されたユダヤ人が描かれている。また世界地図の下にも5枚の切手がある。アメリカ人が第二次大戦戦の記憶を忘れないための記念切手だ。もしかすると1942年と1943年との切手も、つまり真珠湾攻撃の切手もあるのかもしれない。なおこの切手は息子がアメリカに留学していたとき持ち帰ったものだ。私も渡米した時、合衆国の50州の州鳥を描いた切手を入手したことがある。
なお下の5枚の切手の説明が写っていないので原文を左から右へ1~5の番号をつけてタイプしておく。
1. Germany surrenders at Reims, May 7. 1945
2. By 1945, World War II has uprooted millions
3. Truman, anounces Japan's surrender, Aug. 14. 1945
4. News of victory hits home, Aug. 14-15, 1945
5. Hometowns honor their returning veterans, 1945
なお原爆を広島と長崎に投下したことについてはこの切手の地図の中に淡々と書かれている。日本を降伏させるために原爆を使用したなどと言い訳がましいことは書いていない。太平洋戦争の勝敗はレイテ沖の海戦と沖縄の戦いでもう決着がついていた。その時点で降伏をするべきだったと思う。歴史を見れば、残念ながら政治の一手段として戦争も選択肢の一つとしてあるだろう。政治学を学んだ人はそういうことも学んだと思う。成熟した近代国家は損害が少ないうちに引くをこと知っている。ドイツにいた時、ライン川のどこかだったと思うが、その昔フランスに勝利した大きな記念碑を見て私は驚いた。なぜなら戦争に負けたとたん彦根では護国神社をさざなみ神社と名前を変えた。私は子供ながらも偽装するのはさもしい根性の大人たちだと思ったことを覚えている。ドイツ人は敗戦後もその碑を撤去せず、観光客に堂々と碑の由来を説明していた。フランス人だってそんなものに腹を立てる人はいないだろう。その時、アメリカ人が多かったが彼らも昔の戦争の英雄に敬意を評して静かに聞いていた。