暮らし研究家『暮らし家』の古民家・田舎生活

豊かな暮らしってなんだろう。モノではない「何か」。残し、守り、伝えたいモノや事柄を岡山県西粟倉村から発信します。

私が子どもたちにできること。

2016年03月04日 | 日々のこと
村にある託児所の2歳児クラスの子どもたちが天徳寺に遊びに来てくれました。



早春の春の息吹を見つけながらの遠足。
とはいえ子どもの足で一時間以上かかります。
でもみんな元気良く歩ききりました。


私が託児所に勤める際の面接で
「帰巣本能ではないけれど、「いつも心に生まれ育った村がある」そんな子どもを育てたい」
と言われ、『そのお手伝いがしたい!』と純粋に思いました。



記憶にははっきりなくても、思い出すとあったかーい気持ちになる。
そんな故郷にしてあげたい。



今は託児所ではなく、この茅葺の家を守ることでその一端を担いたいと思っています。








私の尊敬する友人は
「愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶ」
という言葉を教えてくれました。→http://chan75.hatenablog.com/entry/2016/03/02/000000




虐待を受けて育った人間はかなりの確率で我が子にもまた虐待をしてしまう、という話を聞いたことがあります。
父や母や大人たちの愛を信じて疑わない子どもたちはそれを「愛情」だとどこかですりこまれてしまうのではないか、そんな風に思うのです。

ならば、無条件に愛されることを知った子どもは言葉で教えなくても
人を真っ当に愛することができるのではないか。


「靴をそろえなさい」というより、大人がいつもの姿として見せていくほうが「習慣」として身につくように。






人間は本来気高く偉大なものである―
これも上記のブログで紹介された言葉ですが


悲しいニュースが流れる昨今
未来を担う子どもたちのために
大人である私たちがこの言葉を胸に生きていかなければ。




そんなことを教えられた一日でした。

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