以前は、シンプルで、洗練された白の食器が好きだった。

汚れが落ちやすく、乾燥も速く、何より何をのせても何を入れても合わせやすい…というより失敗がない。
だが、最近は磁器よりも断然陶器に目を奪われる。
特に気になるのは民芸調や、スリップウェアといわれる、化粧土や釉薬で模様をつけていくもの。

出典: cotonoe.exblog.jp
普段使いの陶器でありながら、一点一点手描きのため、二つと同じものはない。
同じ柄でも少しずつ表情の違うその唯一性と、個性の裏にある温かみがたまらない。
ただ個性が強いために、上に乗せる料理を選ぶこともある。
それとは反対にミスマッチに思えるものが意外にハマったりすると、この手の陶器の魅力を再確認する。
よくよく考えてみると、
利便性とか統一感とか、きちっと整った便利なものよりも
曲がっててもちょっとへこんでいても、揃ってなくても、ちょっと扱いが面倒でも、そういうアジを好むようになったのかもしれない。
それは陶磁器に限った話ではなく
使っていくうちに手触りや表情を変える麻や綿が好きになったり
きっちり割り切れる偶数より、イチ余る奇数が好きになったり。
美は作為を超える。
先日手に入れた小鹿田焼きのぐいのみ。

庶民的でも、ちょっと曲がっていても、いびつであっても、「アジのある人間」と呼ばれたい、そう思った。

汚れが落ちやすく、乾燥も速く、何より何をのせても何を入れても合わせやすい…というより失敗がない。
だが、最近は磁器よりも断然陶器に目を奪われる。
特に気になるのは民芸調や、スリップウェアといわれる、化粧土や釉薬で模様をつけていくもの。

出典: cotonoe.exblog.jp
普段使いの陶器でありながら、一点一点手描きのため、二つと同じものはない。
同じ柄でも少しずつ表情の違うその唯一性と、個性の裏にある温かみがたまらない。
ただ個性が強いために、上に乗せる料理を選ぶこともある。
それとは反対にミスマッチに思えるものが意外にハマったりすると、この手の陶器の魅力を再確認する。
よくよく考えてみると、
利便性とか統一感とか、きちっと整った便利なものよりも
曲がっててもちょっとへこんでいても、揃ってなくても、ちょっと扱いが面倒でも、そういうアジを好むようになったのかもしれない。
それは陶磁器に限った話ではなく
使っていくうちに手触りや表情を変える麻や綿が好きになったり
きっちり割り切れる偶数より、イチ余る奇数が好きになったり。
美は作為を超える。
先日手に入れた小鹿田焼きのぐいのみ。

庶民的でも、ちょっと曲がっていても、いびつであっても、「アジのある人間」と呼ばれたい、そう思った。
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