暮らし研究家『暮らし家』の古民家・田舎生活

豊かな暮らしってなんだろう。モノではない「何か」。残し、守り、伝えたいモノや事柄を岡山県西粟倉村から発信します。

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常識を身につけ、常識を疑え。

2015年11月14日 | てまひま
先日、「無添加ベーコンの会」に出席してきた。






私の母は、私が言うのもおかしいが料理上手で、マメな人だった。
幼い私の記憶の中の母は、もやしのひげを取ったり、生アサリの殻むきをしたり、さやえんどうの筋を取ったり…いつも食べごとに関することをしている。
瀬戸内海で育ったからか、昆布とイリコで出汁もしっかりひいていた。
そんな母だったが、うまみ調味料に関しては、文明の利器とばかりにそれはもうただ単に良かれと思って使っていた派だった。
戦後貧しく、厳しい時代を過ごしてきた母にとって我が子に「うまみ」を取らせたい、という単純な親心だったと思うし
それに関しては何の不満もない。
こんな食いしん坊に育てていただいて感謝している。



ただ…
自分でもうっすら気づいていたのだが、時々無性に食べたくなる、あの味。
「うまみ」=あの味とインプットされてしまっているかのような時が時々あった。


3歳までの食経験は、その人の一生の味覚を左右する
これは本当だな、と思った。

ちなみに赤ちゃんの味蕾は、お母さんのおなかにいる妊娠7週目くらいにでき始め、14週くらいには大人とほぼ同じ構造になり、
その後は生後3カ月くらいまで増え続ける。
味蕾細胞は生まれたばかりの赤ちゃんには約1万個。大人になると半減する。
それほど味に敏感なのだ。
生後3カ月でピークを迎える味蕾だが、5カ月くらいになると味蕾細胞の数はそのままで、味覚だけが鈍感になってくる。
この時期がちょうど人間の離乳食開始時期と重なるので、ミルク以外の食べ物を受け入れる体制が自然とできるというわけである。
人間の体はつくづく良くできている。



それはさておき、西粟倉に引っ越してから、新鮮な野菜を食べるようになり
自分で作れるものはできるだけ自分で、と挑戦するようになってから、あの「無性に」がほとんどなくなったきた。
そして、パッケージの裏に書かれてある【原材料】のところを意識してみるようになってきた。
添加物(といっても台所にはなさそうな工業的な名前のもの)が極力少ないものを探す時、意外に難しいのが

★ベーコン・ハム・サラミなどの肉加工品
★お漬物
★めんたいこ

この辺である。(※ネットで探せばそれぞれあるのだろうが、近所のスーパーで、と言う場合に限らせていただきたい)


そんなときにFBで見つけた「無添加ベーコンの会」。
しかも主催者のやもりなおみさんはできるだけ少ない材料とできるだけ少ない手順でという
私にとってはうってつけの方法を教えてくださった。


当然と言えば当然なのだが、今ある加工品のすべては人間の手で作られているのだから
家で作れないものはないのだろう。
ただ、こうやって人に教えていただいたり、他の人たちと共有できると覚えるのも早い。
それに自分で作ると言うことは「安心」とか「安全」とかそれにもまして食べ物に対する「愛情」という
プライスレスなものを手に入れることができる。
ついでに「私ってえらい!」と自画自賛自己肯定してあげられる。




早く燻製するチップを購入せねばならないのだが
塩漬けにした豚バラ肉と豚肩ロースは、いつかぐわしい香りの煙に身を包まれるのかと、冷蔵庫の中で満を持して待っている。
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