暮らし研究家『暮らし家』の古民家・田舎生活

豊かな暮らしってなんだろう。モノではない「何か」。残し、守り、伝えたいモノや事柄を岡山県西粟倉村から発信します。

移住物語 vol.3

2013年12月11日 | 移住物語
移住物語 vol.1
移住物語 vol.2

10月始め。ムラより連絡あり。
4月から募集していて、ずっと応募者がなかったムラの託児所の保育士の求人。
それが急に応募者が出てきたので、ムラビト2号に急きょ面接を受けてもらえないか、というものでした。


まだまだ心の準備も引越しの準備もまったく手付かずの状態だったので、え~~ってかんじ。
でも、本気でムラへの移住を考えてはいたし、ムラビト1号の村役場でのお仕事の話もこの前話したばかりでまだ未知数だし…
そう考えると、やっぱりムラビト2号も仕事をして、2馬力で生活を考えなくては心もとないし…

あーどうしようと思ったのですが、これを逃したら次に求人があるかどうかわからないし
面接を受けることで、ちょっと私たちの先を占いたい、という気持ちにもなって、面接を受けることに。
これで、就職できればそういう運命だし、だめならまたこれもそういう運命だろう、と。



10月25日に面接の日が決まり、あれよあれよという間に当日。
ムラの教育長と採用担当の方とを前に、いろいろ質疑応答しました。
意外に緊張しぃなので、詳しくは覚えていないのですが(笑)、このムラの印象とか子ども観とか聞かれたかなぁ。
教育長さんも、「気軽にね」と言ってくださって、雑談が半分くらいだったような気がする…。

そのなかでも印象に残っているのが
「子どもは宝なので、その根幹ともいえる3歳未満の保育だということを念頭において欲しい」
「帰巣本能じゃないけれど、、大人になってムラを出て行くことがあってもまた戻って来たい、と思えるような
もし戻らなくても、ムラをいつくしみ誇りに思えるような子どもを育てたい。そのお手伝いをしてほしい」と言われたことでした。
ムラの保育所、といってもその場所はもともとの成り立ちは託児所で、今も3歳未満の子どもだけを預かっています。
(3歳を過ぎると自動的に幼稚園にあがるんですけどね)
おざなりになりがちな3未の保育施設で、そういう理念を持っていることにとても感動しました。
とはいえ私は、基本3歳未満の子どもは第一に親の愛情をたっぷり受けて育って欲しいと思っているのですが
それでもこのご時勢、就労を余儀なくされる家庭は増えてきており、そこのバランス感覚も共感できるものでした。



なんとか面接が終わり、あとは野となれ山となれ。




そうこうしていると翌日(!・(笑))に採用通知が。
さすが小さい自治体、決定が早い!…ってか早すぎ
今度は人員不足で困っている現場が気になり、ムラの方もできたら早く…って言うし
でもでもこちらとしては来年くらいからって思ってたんだけどなぁ…なんて言える雰囲気ではなく
でもでもでも住むお家がないじゃないですか…と相談したら
前回家の相談をしたときにお話を聞いた、11月に空くというかなり古いおうちは…どうでしょう?住めなくはないと思うんですが…というお話に。

いやいや、贅沢を言うわけではないのですが、田舎暮らしをする目的のひとつには古民家に住みたいというのもあったし
なのに紹介していただいた物件はコンクリート作りの二階建ての築40年弱。
広さは申し分ないのですがコンクリートの上に直に壁紙を貼ってあるので結露がひどく、湿気が…
修繕をするにも費用がないので、最低限の補修とシルバーの方にお願いするお掃除くらいになるとのこと。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、どうしよう・・・・・・・・・・・・・・・。

ムラの担当の方に「当然『仮の住まい』ですから、ムラで生活していく中で良いところをみつけて、また引越しするのを前提に住まれてはどうですか?」
と、言葉巧みにまるめこまれて説得されて、11月中に引越しをすることに。



この時点で10月28日。
物件が空くのが10月31日。
家の中が見られるのが11月1日。
家の中を見て引越し荷物の取捨選択を始め、引越し業者にも連絡して決めなきゃいけないし
業者が決まれば、荷造りも始めなきゃいけないし。
保育所からは11月中旬くらいからできたら来て欲しい…みたいなオファー。


なんかこうなるともう、どうにかなるし、どうにかするしかないかーみたいに腹がくくれまして
バタバタしながら引越し業者も決定し、荷造りもなんとかできて11月12日、無事引越し終了。



本当に急な展開だったので、とりあえずムラビト2号は11月18日から就業することになり
当分ムラビト1号はムラと倉敷を行ったり来たりの二重生活をすることに。
ここ最近の話し合いで、ムラビト1号のムラでの本格始動は来年の年初めから、になりそうです。





こうして、華々しく?慌ただしく?私たち2人とワンコ1匹とのムラでの生活がスタートしたのでした。




移住についてのいきさつはざっとこんな感じ。
ムラでの生活の悲喜交々やムラビト1号2号のお仕事のお話、ムライヌの毎日など順次更新していこうと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。

移住物語 vol.2

2013年11月25日 | 移住物語
vol.1より続き


友人のお父さんに紹介していただいた方々数人。
その中には、昔住んでいた茅葺のおうちを丁寧に解体して、木材をすべて倉庫に保管してある方も。
やはり、捨てるに忍びない…と感じている方はいるようで。



9月末。
古民家や古民具・古建具・古材の入手から販売への青写真はまだおぼろげながらなものの、強い可能性を感じ
これまた友人に住むところを相談。(思い返すに、本当にあれこれありがとう
知り合いにあたってくれたりしたものの、空き家になっていて、現在は他府県に住んでいても
盆暮れには帰ってくるからとか、なかなか風習的に人に貸す、ということがあまりないようで。
こりゃあ、住むところを見つけるには長期戦かなぁ、と思っていました。
仕事の面でもまだまだ詰めて考えなければならないこともたくさんあったし
新しい場所でイチから出直すにはやっぱり、いろんな計画や人脈や勇気や思い切りや…色々必要ですし、ゆっくり考えればいいかな…とも。



友人の住んでいるところは合併して「市」になっているのですが、隣町の「村」は合併しておらず
人口が少なく、行政の規模が小さいことが幸いして、村役場が移住のための住居の相談も行っていることを聞き、さっそく村役場へ。
総務課の方が対応してくださり、なぜ私たちが移住したいと考えているのか、どういう理由で家を探しているかを話しました。
すると、村営住宅というものもあるが、今は空きがないのと、犬はNGということ。
村が委託を受けて賃貸している物件もあるが一番早いもので11月に空くこと、そこはかなり古いのでどうか…ということ。
あと数件あるが、あく予定が未定か来年になる予定だということ。
その当時空いている物件はなかったので、外からのみ2~3件見せていただき、こちらも検討しますということでその場は別れました。

あ、そうそう、その時たまたま村営の託児所が保育士を4月からずーっと募集しているけれど応募がないことを知り
ムラビト2号は保育士資格を持っているのでその旨を伝えたところ、総務課のAさんの目がキラーンと光ったように見えたのは私だけかしら(笑)。




…で2、3日経ったある日、ムラビト1号のもとへ村役場から電話。

『先日聞いた古民家に関する事業も非常におもしろいし、今持っている不動産関係の免許や知識も村としても活用させてもらいたいので
村の臨時職員として働いてみる気はないか』
、ということでした。
前述したように、今住んでいなくても貸したり売ったりする気のない持ち主は多く、住んでいても持ち主の高齢化は如実。
そういう家はどんどん朽ちていくし、そうなると壊さざるをえなくなる。
村にある家々は個人の持ち物であるとともに村の資源でもあるのに、そうやって無くなっていくのを村としても危機感を持って見ていたようなのです。
そして、そのときにはムラビト2号も保育士として…というお話でした。



私たちとしては村に移住したとして、イチから村の方々と関係を作り、地道に自営する道を考えていたので
村役場の一員として関われることは生活の糧としてのみならず、信用の面からしても本当に本当にありがたいお話。
今、地方は本当に色々考えて頑張っているんだなぁとも思ったし、この決定の速さも合併せずに小さい単位の自治体であるからこそなんでしょう。
聞いた話では、合併しないと村が決意した直後に、村民の方へのお知らせを郵送したのではお金がかかるから、役場の人で手分けして手配りしたこともあるとか。
役場の方とお話していても村民に対して「お叱りを受ける」という言い方をしているのが印象的でした。
今どき市役所に行ってもそんな言い方をする職員、あまりいないと思いません!?
今後の村のあり方についても村民アンケートを取ったらしいのですが、対象者は小学校5年生(!)から帰省してくる方まで、という徹底ぶり。

そんなこんなを見聞きしていると、あぁ私たちもこの村の為に役に立ちたいと思うように。







それでは移住する時期は今後相談しながら決めましょう、ということで話がまとまり、その場は電話を切りました。

ムラビト1号も今の場所での仕事の締めくくり方もありますし、来年度くらいから、というのがキリがいいのかなーなんて考えていました。

移住物語 vol.1

2013年11月19日 | 移住物語
ムラビト1号・2号がまだムラビトではなかったころから、日本家屋や古民家、広くは日本の昔ながらの風習や伝統に魅かれるものがありました。
お休みの日には篪庵を見に行ったり新庄村へ行ってみたり篠山に行ったり勝山に行ってみたり(※ムラビト2号の前ブログです)
…あ、そうそう大阪にある日本民家集落博物館にも行ってみたっけ。


田舎には今無くしかけている「人間らしい生活」があります。
人間らしい生活=田舎に住みたいと思ってはいても霞を食べて生きていけるわけでもなく
いいなぁと思うだけの毎日でした。





ところでムラビト1号は土地に関するお仕事をしているのですが、最近建てられるおうちはプレハブ住宅と呼ばれるものばかりで
20~30年も経てば不動産価値は0円という建物が主流になってきていることを、少なからず残念に思っていました。
海外はその国の特色ある景観が保たれていて、街並みを歩くだけで、その国にいることを実感できます。
外国人が日本に来て、日本を実感しようと思ったら、限られた場所か施設にいくしかないように思います。


そしてここ最近の流れとして、個人の小さい店舗ではあっても、単なるリサイクル商品ではなく、
和雑貨や和家具がアンティークとして販売されている所が増えてきた気がするなぁという印象。

それから、特に過疎地域では昔は大家族で住んでいたような大きくて立派なおうちも、核家族化や都市への人口流出で住む人をなくし
朽ちてしまったものは、ただ壊されていくのを目の当たりにして
これでは、日本の文化が衰退してしまう!という危機感を感じたのです。

そんなこんながムラビト1号・2号の頭の中を駆け巡り、何とか日本の住宅を残せないか。
過疎化が進んでそこに住めなくなった家も、「移築」となると敷居が高くても、家の材として建具や木材をリサイクルできないか、と考えるようになりました。
そして、それは若い人たちにもその価値は少しずつ認められているんじゃないかなぁ、と。


そういう思いが強くなり、それを業とするには私たちが実践したい人間らしい生活=田舎で住むことも可能になるんじゃないかなぁ
可能性を探りに、割と過疎地に住む友人の家を訪ねて、そこのお父さんやそのお父さんの知人の方々にお話をする、というか聞いてもらったのが今年の9月のはじめ。




そこから、いろいろな事がグワーッっと動き始めるのでした。