暮らし研究家『暮らし家』の古民家・田舎生活

豊かな暮らしってなんだろう。モノではない「何か」。残し、守り、伝えたいモノや事柄を岡山県西粟倉村から発信します。

伝統とはなにか。

2016年03月12日 | 日々のこと
BSプレミアムで、京都の旅館「俵屋」の紹介をしていました。

京都で最も古い旅館の俵屋。
18室しかないそうですが、毎年ひと部屋づつ改装しているそうです。





そこにとどまるには常に変化していなければならない。








私は常に古き良き伝統を大切にしたいと言っていますが
そもそも伝統とはなにか。




否が応にも
時代は流れる。





守らなくてはいけないものと
変えていかなくてはいけないもの

うしろむきになるのではなく


また


流れる時代に
流されるのではなく。

もうすぐ春ですね。

2016年03月09日 | 日々のこと
好きな人がいます。


しかもたくさん。




こんな私をお許し下さい。









インターネットって本当に便利。
私の知らない世界や、知らないモノや事柄や人物を教えてくれる。
でも、心掛けているのは、その情報を元に、できるだけ現物を手に取ったり行ったり見たり聞いたり会ったりする、ということ。
特に人は、直接お会いした時のその雰囲気や目の輝きや、ちょっとしたしぐさや言動にズキューンと打ち抜かれます。

私の「好き」もしくは「憧れる」のモノサシは
今ある暮らしに感謝を忘れず、周りの人を大切に思っている人
自分にも人にも正直な人
地に足をつけ、努力を怠らない人
利他の精神を持っている人








石見銀山生活文化研究所の所長である、「根のある暮らし」を提唱する松場登美さんはこうおっしゃいました。
とかく世間では、地上に芽が出たとか、花が咲いたとか、実がなったとか、そういうことしか目をやらないけど、養分を与えてそれを支えているのは根っこなんですよ。
だけど土の下だから、誰もそこに気が付かない。でも、それこそが大事なことかなと私は思います。






日本酒や焼酎、味噌や醤油は米や大豆だけではうまく発酵しません。
麹菌と出会って初めて発酵し、旨みや甘みに変わっていきます。

お湯に味噌だけ溶かしても美味しいみそ汁にはなりません。
鰹節や昆布やいりこの出汁とあいまって、あの「あ゛~~~~~」と声の漏れる味噌汁になります。





目には見えなくても
無くてはならない存在。








そして尊敬する方々に共通するのは
苦境を苦境と思わず、ある意味楽しめる余裕と前向きさがあるということ。
ただそこには自分の中でその苦境を昇華させるストイックさも持ち合わせています。

わかりやすく言うと「強い」人なのです。「強がり」ではなく。







毎日が楽しくなる。
将来が楽しみになる。
好きな人ができるとこんな気持ちになりますよね。




あなたも恋をしてみませんか?(…って違うか)

沈丁花のひと。

2016年03月08日 | 日々のこと
先日。
新たなご縁をいただきました。


20年前から古民家を改修し、類まれなセンスと行動力で桃源郷のような空間を作られているご夫婦。
 

 

 

 

 


屋根はトタンで葺いているものの、部屋の中からは茅が見えるように吹き抜けに。
牛小屋だったところは、当時の石積みの壁をそのままに残したサンルーム。
チョウナの跡が見える梁。
南向きに面した広々としたオープンテラス。
そのセンスのよさに驚くやらため息が出るやら…。






でも、何より感動したのはその建物に住まうご夫婦の暮らしぶり。
まだお仕事もされているのに、5反の田んぼで米を作り、
広い敷地のあちらこちらに目を楽しませるしつらえ。
四季折々の山菜やお野菜を保存食に加工し、いつお客様がきてもよいようにされているとのこと。

古民家に住んでいる、ということ自体も素晴らしいことですが
本質はそこではなく
人とモノを大切に生きているということ。



ここで結婚式をされたり、ひなまつりのイベントをして3日間で500人のゲストがクチコミで集まったこともあるとか。
縁側を望む南面は見晴らしが良く、高台から緑の木々が良く見える。
しかしそこに垣はなく、一見子どもには危ないような場所。
当然イベントともなるとそこには子どもたちも来るし、ご自身もお孫さんがおられます。
「危ないから垣を作ろう」という声も上がったそうだが、奥様はきっぱりと断ったそうです。
「だって、それを親が教えることも教育のひとつだし、子どもから大人が先回りして危険を取り除くというのは何か違うと思うの」と。



整っているものだけが美しいのではなく
少々形が整っていないものも人が使うことで生み出される美がある。
その美には物語がある。

その本質を知った上で「美しく住まう」ことを目指されているように思った。









「好きなだけ持って帰って」と頂いた沈丁花。
甘くやさしい香りはあのお宅とご夫婦を思い出させる。



なんと幸せなことだろう。
豊かな暮らしのお手本がまた増えた。

私が子どもたちにできること。

2016年03月04日 | 日々のこと
村にある託児所の2歳児クラスの子どもたちが天徳寺に遊びに来てくれました。



早春の春の息吹を見つけながらの遠足。
とはいえ子どもの足で一時間以上かかります。
でもみんな元気良く歩ききりました。


私が託児所に勤める際の面接で
「帰巣本能ではないけれど、「いつも心に生まれ育った村がある」そんな子どもを育てたい」
と言われ、『そのお手伝いがしたい!』と純粋に思いました。



記憶にははっきりなくても、思い出すとあったかーい気持ちになる。
そんな故郷にしてあげたい。



今は託児所ではなく、この茅葺の家を守ることでその一端を担いたいと思っています。








私の尊敬する友人は
「愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶ」
という言葉を教えてくれました。→http://chan75.hatenablog.com/entry/2016/03/02/000000




虐待を受けて育った人間はかなりの確率で我が子にもまた虐待をしてしまう、という話を聞いたことがあります。
父や母や大人たちの愛を信じて疑わない子どもたちはそれを「愛情」だとどこかですりこまれてしまうのではないか、そんな風に思うのです。

ならば、無条件に愛されることを知った子どもは言葉で教えなくても
人を真っ当に愛することができるのではないか。


「靴をそろえなさい」というより、大人がいつもの姿として見せていくほうが「習慣」として身につくように。






人間は本来気高く偉大なものである―
これも上記のブログで紹介された言葉ですが


悲しいニュースが流れる昨今
未来を担う子どもたちのために
大人である私たちがこの言葉を胸に生きていかなければ。




そんなことを教えられた一日でした。

真理。

2016年03月02日 | 日々のこと
私の心友でもある、瓦屋の同級生は毎日おもしろいブログを書いています。



『屋根屋さん専門売り上げアップのシナリオ』←彼のブログにとびます。
題名のとおり、瓦屋として同業者に向けてブログを書いています。
「あー、私瓦屋じゃないから関係ないわ~」と言うなかれ。
なかなかどうして、真理をついているのです。
どの職についている人でも為になることが必ず見つかりますからぜひご一読を。

毎日早朝に更新されるこのブログを
実は楽しみにしています(ボソッ)







ある日のブログ。「身の程なんて知ったこっちゃない」→http://kawarasista.hatenablog.com/entry/2016/02/24/%E8%BA%AB%E3%81%AE%E7%A8%8B%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A6%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82

以下引用。
身の程を知って行動しよう、身の丈に合った行いをしようとおっしゃいますが、それはいかがなものか?
身の程を知るためには、自分の限界にチャレンジしなければ分からないんじゃないの?自分の器量を知るためにはそこに到達するために努力しなければいけないんじゃないの?
大っ嫌いだ、この言葉は。 引用終わり。









私の信条は
「身の丈にあった生活」
「地に足つけた暮らし」


大きなことを言っている割に、言ってることとやってることがまーったく違うやん!
そんな人・・・
大っ嫌いだ!
・・・というよりそういう人にだけはならないよう、日々振り返る作業をしています。












そう、真逆。
心友なのに。












・・・なんですけど、まったくもって腹も立たないし、むしろ納得。
ええ事言うわぁ。








この瓦屋はただのビッグマウスじゃない。
そのための努力を怠っていない。
そういう意味ではとても地道な地に足つけた毎日を送っている。

それに、『身の丈』って意外と日々変化しているような気もする。









結局「身の丈」とか「身の程」とかって言う言葉を使って努力しなかったり
もしくは「自分を大きく見せようとして」大切なものをないがしろにするのは
どちらも笑顔にはなれないってことなんだな。