ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

くさった蜜柑は取り除こう

2010年04月29日 21時03分45秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏
小沢一郎氏には、ほとほとうんざりです。
小沢一郎氏を辞めさせられない民主党議員も同罪です。

くさった蜜柑は早めに取り除かないと蜜柑箱全体がくさります。

民主党は政権政党ですから、民主党箱に限らず、日本という蜜柑箱自体が「嫌疑不十分なら何をやってもいい」というモラル崩壊国家になってしまうかもしれません。

不憫なのは、落選したら無職になる参議院議員(候補)と、その秘書・スタッフです。なぜ彼ら彼女らは小沢氏の巻き添えにならなければならないのか。もちろん政治とはそういう不条理な要素が必ず含まれるものですが、見て見ぬふりをする民主党衆院議員、非改選参院議員には血も涙もないのかという気がします。

くさった蜜柑は早めに取り除きましょう。

高山智司・衆院議員が「鳩山・小沢・平野を罷免しろ」と要求されたことを明らかに

2010年04月24日 19時58分12秒 | 第174常会(2010年1~6月)空転政治主導


 「ギチョー!!!」でおなじみ衆議院議事進行係(議院運営委員のひとり)の高山智司(高山さとし)さんが、地元・埼玉15区ミニ集会で、「民主党を応援し、政権交代を切望してきた。しかし、最近の民主党はなっていない。鳩山・小沢・平野は罷免せよ」と要求されたことを、24日付のブログで明らかにしました。

 鳩山由紀夫首相(民主党代表)、小沢一郎幹事長、平野博文官房長官の罷免(辞任)要求を有権者から受けた、と明らかにしたのは、高山さんが初めてだと思います。

 というか・・・みんな言われまくっていると思いますが、とにかく、明らかにしたのは高山さんが初めてだと思います。

 高山さんは鳩山さんと同じ東京都文京区の小石川出身。このディスクロージャーは東京っ子の面目躍如です。もちろん、高山さんは埼玉15区、埼玉県さいたま市の桜区・南区、蕨市、戸田市に骨を埋める覚悟で政治活動をしていて、当選3回(うち小選挙区勝利2回)しています。党内グループの政治団体「一新会」(通称・小沢グループ)会員。

 おそらく全国の民主党総支部長(議員)は、同じようなことを延べ数千回言われていると思います。ゴールデンウィーク後にはおそらく延べ数万回にふくれあがるのではないでしょうか。

 世の中大変乱れています。しかし、見て見ぬふりをしてはいけません。いまこそ、民主党の代議士らに率直に思っていることをそのまま、言うことが大事です。

高山さとしと語る会@さいたま市 - タカヤマブログ

今週は金曜日が委員会など国会日程でタイトなため土曜日に「毎週金曜夜7時、高山さとしと語る会」を開催。

さいたま市の桜区神田で行う。
今日は日程がタイトな上、私は移動は自分で運転しているので駐車場の確保に手間取りなんど20分の遅刻。。。参加者の皆様にはお詫びするしかありません。

お叱りの後・・・

会場からは

民主党を応援し、政権交代を切望してきた。しかし、最近の民主党はなっていない。鳩山・小沢・平野は罷免せよ。
公務員削減など民主党の取り組みが甘い。
子育て手当ては無駄、特に外国人への支給はダメだ。
対中の外交政策をどう考えるか。
高山さんと同じ1970年生まれの「前厄」だが遠目に見ても眼の下のクマが目立つ体を大切に。
高速道路建設をやめ、料金の値下げをしてほしい、上限2000円案は撤回せよ。
日本の国の借金の現状認識とどう解決していくのか。
などなど意見・質問多数。

私からは
政権交代後の新たな取り組みの進捗状況の報告。
外国人の子どもへの手当て支給は、現在支給されている児童手当が1981年から外国人の子どもにも支給されてる事実とその是非。
将来もなにも、中国が現在GDP世界第2位、日本の貿易相手としても脅威かつ無視できる相手ではないこと。
高速道路料金を下げて、高速道路の新規建設はもう止めるべきであること。
国の借金は今取り組めは平準化可能だが、現状認識としては危機的水域であること。

など答える。

サイコーにいい天気の中、皆様ご参加ありがとうございました。

また、遅延下したにもかかわらず最後までありがとうございました。


鳩山首相退陣要求か? 安住淳さんのメルマガ

2010年04月23日 18時16分45秒 | 第174常会(2010年1~6月)空転政治主導

 民主党の安住淳さんが23日、毎週金曜日恒例のメールマガジンを配信しましたが、まったく政局にふれず、連続フルイニング出場の世界記録を、自らスタメン落ちを申し出てストップさせた、阪神タイガースの金本知憲選手を絶賛しました。

 これは、人の流れが頻繁になるゴールデンウィークを来週に控え、「鳩山辞任?」の観測気球を上げたものだと思われます。最後にメルマガ全文をつけますので、直に読んでいただき、意味合いを考えていただきたいと思います。何だか、政治が英国議会のような味わい深いものになりつつある時代を迎えているような気がします。

 安住さんは、これまでの“情勢分析”として、「だが、金本の不調は、明らかに阪神打線の4番の`くぼみ`を作り、チームの勢いを削ぐ状況であった」とし、金本選手の“決断”により、「そしてその日のゲームは見事に勝利をおさめることが出来た」としています。

 「それにつけても金本選手が立派なのは、自らの不調がチームに迷惑がかかるとして、この大記録を犠牲にしてチームの勝利を最優先したことだ」とし、自ら、“スタメン落ち”を監督に申し出たことがイチバン偉いと指摘しました。

 メルマガの締めくくりでも、さらに、念押しするかのように、「何度でも申し上げるが、金本は偉い。本当に偉い」とし、まったく政治の話がないまま終わりました。

 安住さんは、宮城県第5区選出。連続当選5回で、第1次民主党出身者にしては、極めて小選挙区に強く、郵政解散でも小選挙区勝ち抜けを果たしました。前回参院選後のねじれ国会から民主党国会対策委員長代理を務め、切り込み隊長として、政権交代に大きな功績を果たしました。

 しかし、鳩山内閣では入閣できず、衆院安全保障委員長にとどまり、党の役職もありません。民主党がチームとして力を発揮できていない理由のひとつである「中堅議員の人材だぶつき」の象徴的な存在です。ただ、今回は「退陣要求」ではなく「退陣はどうだろうか?」という観測気球を上げたものと思われます。民主党の幹部級議員が世論はどうだろうか、とボールを投げてきたのですから、どんどん反応したらいいと思います。

 全文は以下の通り。

http://azumi-jun.jp/column/2010/04/23_68.html

「すべてはチームのため」」

 阪神タイガースの金本知憲選手が今週スタメンを外れて、全イニング連続試合出場記録が一四九二試合で終わってしまった。

 これはたぶん二度とやぶられることのない大記録であり、この間の金本選手の活躍には改めて敬意を表するものである。

 しかし、それにつけても金本選手が立派なのは、自らの不調がチームに迷惑がかかるとして、この大記録を犠牲にしてチームの勝利を最優先したことだ。

 私は大の阪神ファンである。 先日も東京ドームで巨人・阪神戦を息子と一緒に見
に行った。この時も、見ていて気になったのが、やはり4番金本の不調であった。相手投手のストレートに振り遅れるなど、黄金期を知る者からすれば金本選手の衰えを感じないわけにはいかなかった。

 しかし、これだけの大選手を、まして大記録を更新中の中で、先発からはずすこと
なんてそう簡単には出来ない。だが、金本の不調は、明らかに阪神打線の4番の`くぼみ`を作り、チームの勢いを削ぐ状況であった。

 こんな時、金本は自ら真弓監督に申し出て、横浜戦で先発からはずれる決断をした。

 理由はただ一つ。「チームの勝利のため」だ。チームに迷惑をかけたくない。この
一心での決断だった。阪神のメンバーはこの金本の決断に奮い立った。そしてその日のゲームは見事に勝利をおさめることが出来た。金本はケガの治療を含めて、今もベンチにいて代打での出番を待っている。替わりに入った若い選手が金本のあとを守り、それを金本はあたたかくベンチで見守っている。

 金本は本当に大したものだ。「すべてはチームのため」というこの行動の美学こそ
、チームリーダーたるゆえである。何度でも申し上げるが、金本は偉い。本当に偉い。

岡田克也さんが流ちょうな英語を披露 国連安保理議長席に

2010年04月16日 23時59分59秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]国連安保理議長席に座る岡田克也外相(右)とバン・ギムン国連事務総長=国連公式ホームページから

 まさに万感の思いがしました。

 現在、日本は国連安保理の非常任理事国で、アルファベット順で4月は議長国です。4月16日に、「紛争後の平和構築についてのフリーディスカッション」に臨みました。

 会議のもようは、

 http://www.un.org/webcast/sc.html

 のページの「16 April 10(2010年4月16日)」で見られます。午前中の3時間19分間とパン事務総長の8分間のスピーチです。

 実は私、岡田さんの英語を初めて聞きました。岡田議長の英語は、他国の人名を読み上げるときに、少したどたどしかった面もありましたが、たいへん流ちょうでしたやはり、ハーバード大学時代に、ボストンの品の良い人たちと交わって学んだ「東海岸・大西洋の英語」だという気がします。



 昨年9月の国連総会での鳩山首相の英語は、西海岸のまったりとした学者英語でした。岡田さんはまったく逆で、東海岸の正統派の英語で、ヨーロッパや、非英語圏の大多数の民衆(People)に通じる心の英語だと思います。ぜひ、聞いてみてください。

 岡田さんは4月20日付のブログで次のように感想を述べました。

(引用はじめ)

 (前略)安保理の議長席に座り、木槌をトントンと叩いて、議事を進行していき
ました。ある意味では国会に似ていて、まず形式的に、議長はどういう
人の発言を認めるかについての確認を行わなければなりません。

 英語で書かれた文書を読めば済むと言われればそのとおりですが、あん
まり英語の得意でない私としては、議長をやり、日本の考え方をこれま
た英語で説明するということで、結構苦労したところです。

 しかし、それなりに私の英語も通用するなと思った次第です。これから
は、なるべく演説などは英語でやったほうがいいのかなとちょっと思い
ました。

 いずれにしても、安保理の議長という得難い経験をさせていただきまし
た。非常に良い経験を、外務省の皆さんや国連の潘基文事務総長のご協
力のおかげで出来、また、日本としての存在感を示すことができたと思
っています。

(引用おわり)

 私は、子どもの頃から国連に興味があり、14歳の時と22歳の時の2回、ニューヨークの国連本部を訪れており、安保理の部屋も見ています。湾岸戦争のときに、米国のベーカー国務長官が議長席に座っていたことを覚えています。あの国連本部の議長席に初めて座った外相が岡田克也さんとは、まさに万感の思いが致します。岡田さんの時の運を物にする姿勢は見習いたいものです。

 経済が豊かになると、税収が増え、政治の裁量が増えます。石油やマネーがどんどん日本を通過していた1980年代に通産省から国費でハーバード大学研究員に送られた岡田克也さんの成果が生かされるのは、これからなのです。

 岡田克也とともに・・・日本が始まります。

【よろしければ、こちらのエントリーもご覧ください】

「過密」「疲れた」「慣れていない」 岡田外相が開放記者会見で様々なディスクロージャー

2009-09-29 23:59:59 

tags 岡田克也の英語力 岡田外相の英語

新進党解党史 辛くても書かねばならない

2010年04月15日 15時57分25秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

 新進党解党の歴史は、私にとって、傷口に塩水を塗り込むようなもので、筆舌に尽くしがたい辛さがあります。

 このエントリー2月に、私のツイッターの方で、「新進党の歴史を知りたい」というご要望にお応えし、1時間ほどで勢いで書いた新進党解党の歴史のツイートをまとめたものです。まとめたというよりも、箇条書きの状態です。

 もう少しまとまったものを書くには、時間が必要か、あるいは私の手には負えません。新進党解党の歴史を知ってください。

 では、まとまりのない文章で失礼します。(固有名詞を部分的に書き直しました)。

 ◇

  新進党解党について知りたいという方がいらしたので、少し書きます。新進党は首相経験者で自民党を離党した海部俊樹党首でスタートしましたが、小沢一郎幹事長側近議員(今はみんな落選しました)が専横を極めました。最初の小選挙区選挙では、小沢さんの戦略ミスと直前の鳩菅民主党結党があったのもかかわらず156議席を取りました。

 ◇

 156議席(当時は衆院の定数は500)といったら、今の野党第1党・自民党よりも3割ほど多い議席を持っていました。もしも、鳩菅民主党と選挙協力して、30選挙区ほどの自民党議席をひっくり返せば、第42回衆院選で政権交代は可能だったと思います。ところが、その前に新進党は解党しました。

 ◇

 例えば、民社党出身の川端達夫さんは、新進党を離党して、その後復党しました。悩んでいたのでしょう。自民党の亀井静香政調会長らの「新進党は創価学会だ」というネガティブキャンペーンに、創価学会員の秘書団による国会バリケード封鎖で抵抗するという戦術ミスもありました。これも小沢執行部の浅知恵によるものです。

 ◇

 党首選も小沢軍団は強いのはいいとしても、やり方が極端で、敗戦後の羽田孜陣営がその尊厳を傷つけられて、離党せざるを得ないところまで追い込みました。このとき羽田陣営で、北澤俊美さんは羽田さんと行動を一にし、一緒に離党し、太陽党を結成。一方、“脱出ボート”に乗り込むかどうかの瀬戸際で、岡田克也さんは「二大政党制の実現」のために新進党に残る決断をしました。

 ◇

 それでも二大政党のために新進党を立て直そうという機運は健在でした。1997年11月の党首選には、閣僚経験2回(農相、総務庁長官)があるとはいえ、ダークホース的存在だった鹿野道彦さんが敢然と出馬しました。鹿野さんというのは小沢さんよりも腰が高いという「珍しい政治家」でしたが、(笑)、「小沢230票」対「鹿野182票」まで追い上げました。

 ◇

 これに驚いた小沢さんは、鹿野さんに投票した人の排除をめざして「純化路線」という言葉を党運営に使い出しました。ちなみに「純化」とは、国によっては、少数民族の虐殺や混血推進(すなわち・・・レイプということです)に使われる恐ろしい政治用語です。小沢一派は、党内の不満分子を「分党」という格好で、新進党から追い出そうとしました。ここで甘かったのは、小沢一派は、「純化」をしても野党第1党の地位は保てると考えていたことです。実に甘い認識です。

 ◇

 新進党は1997年12月に分党しましたが、これは今の歴史では「新進党解党」と呼ばれます。新進党は8つの政党に大分裂してしまいます。細川護煕元首相は「フロムファイブ」、岡田さんと鹿野さんは「国民の声」、神崎武法さん、冬柴鉄三さん、浜四津敏子さんら創価学会員は「新党平和」、旧自民党議員ながら創価学会の支援も欲しい首都圏の議員は「改革クラブ」(石田勝之幹事長)、中野寛成・川端達夫・直嶋正行さんら旧民社党は「新党友愛」・・・

 ◇

 第1次民主党(鳩菅共同代表)、新党友愛(中野寛成代表)、太陽党(羽田党首)、国民の声、民主改革連合(土肥隆一幹事長)らは1998年の通常国会を統一会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)で臨みました。そして、小沢党首率いる「自由党」は「純化」の結果、なんと野党第2党に転落してしまったのです。

 ◇

  通常国会中に、「民主友愛太陽国民連合」は第2次民主党を結党しました。結党大会の司会は、岡崎トミ子さんと松沢成文さんでした。野党第2党は自由党、(小沢党首・野田毅幹事長)、そして、創価学会員のほとんどの議員は野党第3党の「新党平和」(後に「公明党」に名称復帰)になります。

 ◇

 民主党結党からわずか3ヶ月で臨んだ1998年の参院選で民主党は大勝し、その日のうちに橋本龍太郎首相は退陣。「官邸の森蘭丸」とまで呼ばれた首相秘書官(政務)の江田憲司さんも、突如、失業してしまいました。自民党総裁は小渕恵三さんになります。野党第2党になった小沢自由党はあせって、小渕内閣と連立。さらに野党第3党の公明党も加わり、「自自公連立」に。自民党は息を吹き返し、政権交代ある二大政党制は遠のきました。

 ◇

 新進党解党当時、渡部恒三さんは衆院副議長でしたので、慣例にもとづき無所属となっていました。第2次民主党結党大会の来賓としてあいさつし、「私が(副議長退任後に)帰る家を作ってくれてありがとう」「山一・拓銀ショック。今解散があったら、政権交代できた」と語りました。そして、「もしも新進党が残っていれば政権交代できた・・・あっ、そこに小沢君がいた。来賓だって。よく恥ずかしげもなく来られるね」と語ると満場が嘲笑の渦になりました。議員も秘書も記者も、来賓としてやってきた小沢一郎・自由党党首を指さし、嘲り笑いました。

 ◇

 当選2回生の河村たかしさんは、世渡り失敗で、新進党から自由党に行ってしまいましたが、小沢党首に敢然と離党の理由を口頭で述べて、離党届を出しました。半年間ほど無所属で「黒い経歴ロンダリング」をして、1998年暮れに民主党に入党しました。

 ◇

 (ツイッターでのやりとりです)。

 @M2_sado そうです。あの(今国会で衆院予算委員長を務めている)鹿野道彦さんです。新進党党首選に出た時点で、元農林水産大臣・元総務庁長官という2つの閣僚経験がありました。山形新幹線を引いた実績もあります。政治改革の夢をめざして自民党三塚派から新進党に移りました。当時も今も清和会出身は民主党で珍しい存在です。

 ◇

 @haruo6 ありがとうございます。新進党史は僕も辛くて、ブログにまとめたことがありませんでした。当時を知っている議員や秘書ともその話はあまりしません。友達の離婚や再婚の話にあまり触れないような感じです。きょうはツイッターをつかって、カンタンに書いてみました。

【追記 2011-3-11】

 このエントリーは初投稿から1年経っても、連日数十人の方に読んでいただいています。資料的価値を高めるため、1994年12月10日の新進党結党大会(パシフィコ横浜)に参加した国会議員(当時の現職のみ)リストを掲載します。

1994年(平成6年)12月10日の「新進党」結党大会に参加した国会議員一覧

 【衆議院議員】

 ◇旧新生党 愛知和男、愛野興一郎、青木宏之、粟屋敏信、井奥貞雄、井上喜一、石井一、石破茂、岩浅嘉仁、上田清司、江崎鉄磨、小沢一郎、小沢辰男、岡島正之、岡田克也、奥田敬和、加藤六月、金子徳之介、木村守男、北村直人、工藤堅太郎、熊谷弘、小坂憲次、古賀一成、古賀敬章、古賀正浩、左藤恵、佐藤守良、笹山登生、実川幸夫、柴野たいぞう、白沢三郎、杉山憲夫、田名部匡省、高橋一郎、月原茂皓、土田龍司、豊田潤多郎、中島衛、中西啓介、仲村正治、二階俊博、西川太一郎、羽田孜、畑英次郎、広野允士、吹田、藤井裕久、船田元、星野行男、前田武志、増田敏男、松沢成文、松田岩夫、宮本一三、村井仁、山岡賢次、山田正彦、山本幸三、吉田公一、渡部恒三

 ◇旧公明新党 青山二三、赤羽一嘉、赤松正雄、東祥三、石井啓一、石田幸四郎、石田祝稔、市川雄一、上田晃弘、上田勇、遠藤乙彦、遠藤和良、大口善徳、大野由利子、太田昭宏、近江巳記夫、長内順一、貝沼次郎、河合正智、河上覃雄、神崎武法、北側一雄、久保哲司、草川昭三、倉田栄喜、権藤恒夫、佐藤茂樹、斉藤鉄夫、坂口力、田端正広、高木陽介、竹内譲、谷口隆義、千葉国男、富田茂之、鳥居一雄、西博義、日笠勝之、東順治、平田米男、弘友和夫、福島豊、福留泰蔵、二見伸明、冬柴鉄三、桝屋敬悟、宮地正介、森本晃司、山口那津男、山田英介、山名靖英、若松謙維

 ◇旧日本新党 阿部昭吾、伊藤達也、今井宏、江田五月、鴨下一郎、河村たかし、小池百合子、木幡弘道、鮫島宗明、須藤浩、武山百合子、樽床伸二、中田宏、中村時広、永井英慈、長浜博行、野田佳彦、初村謙一郎、藤村修、細川護煕、松岡満寿男、矢上雅義、山崎広太郎、山田宏、山本孝史、渡辺浩一郎

 ◇旧民社党 安倍基雄、青山丘、伊藤英成、石田美栄、川端達夫、神田厚、北橋健治、小平忠正、笹木竜三、高木義明、塚田延充、中井洽、中野寛成、西村真悟、柳田稔、吉田治、米沢隆

 ◇旧高志会 今津寛、海部俊樹、野田毅、野呂昭彦、保岡興治

 ◇旧新党みらい 鹿野道彦、北川正恭、坂本剛二、佐藤敬夫、増子輝彦

 ◇旧改革の会 石田勝之、大石正光、笹川尭、西岡武夫、鳩山邦夫

 ◇旧自由党 新井将敬、太田誠一、高市早苗、山本拓、米田建三

 ◇旧リベラルの会 川島実、山口敏夫

 【参議院議員】

 ◇旧新生党 石井一二、泉信也、北沢俊美、釘宮磐、小林正、木暮山人、田村秀昭、永野茂門、野末陳平、林寛子、平野貞夫、星野朋市、松尾官平

 ◇旧公明新党 牛島正、刈田貞子、黒柳明、木庭健太郎、白浜一良、高桑栄松、続訓弘、常松克安、中川嘉美、広中和歌子、矢原秀男、和田教美

 ◇旧民社党 足立良平、井上計、勝木健司、寺崎昭久、直嶋正行、長谷川清、吉田之久

 ◇旧日本新党 寺沢芳男、円より子

 ◇無所属 都築譲、中村鋭一

 以上
【追記おわり】


「単独過半数はイヤ」は無党派の声 NHK世論調査から

2010年04月13日 21時56分06秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏

 ここのところ、ブログの更新回数が減っていることに気付いてくださっている読者の方も多いかと思います。これは別段、私が調子悪いわけでも、やる気をなくしているわけでもなくて、2001年以降の参院選イヤーでは、ゴールデンウィーク前後に大きな動きがある傾向があるので、ゴールデンウィークは遊びに行かずに消防士のように待機しようと思っています。4月前半に、いろいろ映画を見たり、美術を見たり、昼寝をしたりしています。

 もちろん、どの委員会で何の法案が審議されているかはチェックしています。

  さて、NHKの4月の世論調査について、ニュースでは放送されなかった部分で極めて面白い結果がありました。「NHK日曜討論」の島田敏男・解説委員が紹介していたのが下のパネルです。

 

 「参院選での民主党単独過半数は望ましいか?望ましくないか?」の問いに対して、全体では、「望ましい」33%、「望ましくない」53%と与党・民主党には厳しい数字が出ました。

 ところがこの内訳ですが与党支持者に限ると、76%が「望ましい」と極めて高い数字が出ています。これは私は正直、かなり驚きました。

 そして、野党支持者の78%が「望ましくない」と答えています。このようなハッキリとした数字に触れて、日本もだんだんと二大政党制が定着してきたなと思います。

 そして、無党派の61%が「望ましくない」、26%が「望ましい」と答えたようです。

 このため、全体での「望ましい」が33%に押し下げられた格好です。

 私は前々から、参院選ではしめつけは利かない、有権者は与党にお灸を据える傾向がある、そのときの景気に(衆院選以上に)左右されやすいと指摘してきました。

 無党派の「望ましくない」が61%になる理由は、小沢一郎さん、あるいは鳩山由紀夫首相の「政治とカネ」の問題から、民主党を信用できないというのが最大の理由だと言っておそらく間違いないでしょう。

 参院選に向けて、私は今の体制で突っ込む可能性が高いかなと思います。2人区が話題になっていますが、私は現段階で共倒れがあるのは3人区だと思います。また、1人区もかなり落とすのではないかと推測しています。私は1人区と3人区に興味があります。

 仮に負けても、民主党政権の任期は2013年8月まであります。ただし、トップ2のせいで、若い候補者やそのスタッフが討ち死にするのは不憫ですね。 

「憲政の崩壊を許さない」 押しボタン不正投票

2010年04月10日 19時38分11秒 | 第174常会(2010年1~6月)空転政治主導

 前半国会最終日の3月31日、大変残念な出来事がありました。民主党内閣提出の日切れ法案である「高校実質無償化法案」などの重要議案の採決で、自民党の参院議員だった若林正俊さんが自分の押しボタンの他に、議場を外していた隣席の議員の押しボタンを押しました。

 これは憲政を崩しかねない暴挙。次の本会議冒頭で若林さんの議員辞職願が了承されました。

 押しボタンシステムは参議院にしかありません。江田五月議長は4月5日のメルマガで「優れた方式だと自負している。まさかその参議院で、自席の他に隣席のボタンまで押す人がいるとは、想像を絶する事態だ。直ちに辞職か除名になるのは当然で、それが究極の再発防止策だ」と厳しくコメントしました。

 12年前、江田さんと同じ岡山の政治家が、この事態を懸念した言葉を発していました。橋本龍太郎首相です。

 1998年1月8日、参院本会議場で、押しボタンシステムのテストがあり、披露されました。歴史観で言うと、この日は新進党解党から2週間後ということになります。

 これについて、1月9日、首相官邸内で記者から、「きのう、参院で押しボタン式の採決システムが公開されたが、これをどう思うか」と問われた橋本首相は「僕は前から、あれいいなと思っていたし、非常に合理的なシステムだと思う。これを導入された参院の決断に敬意を表したい。その上で、システムの運用を間違わないだろうなと心配している」。

 ちなみにこの質問をした記者とは、当時23歳の私です。首相官邸を取材しながら、鹿野道彦さんと小沢一郎さんが闘った党首選のその後を心配していた新進党員(当時は記者なので、党籍離脱)だった私は、なんと新進党がなくなってしまい茫然自失。新進党が4分5裂どころか、8党派に分裂してしまった悔しさを、こうやって「デモクラシーの基本」に関する質問を首相(自民党総裁)にぶつけることで、気を紛らわしていたのだと思います。

 そういった背景を持った若い記者の質問をガッチリと受け止めて、前段のような答えを返してくれた橋本総理は、今思えば、大変すばらしいリーダーだったと思います。そして、その懸念を自民党の後輩議員がこうやって現実化させてしまったことが大変残念に思います。


   江田五月 メールマガジン 第954号   2010年4月5日
               http://www.eda-jp.com/

(1)<ショートコメント>・・・《憲政の崩壊を許さない》

押しボタン式投票は、参議院改革の一環として本会議の採決方法に導入された
もので、採決はほぼ全てこの方式で行われる。憲政に携わる議員の最重要行為
であって、議長も押し間違えの有無など確認しない。投票終了直後に結果が表
示され、さらにウェブサイト上でも議員ごとに明示される。情報公開や責任明
確化の点で起立採決では得られない利点が多く、優れた方式だと自負している。
まさかその参議院で、自席の他に隣席のボタンまで押す人がいるとは、想像を
絶する事態だ。直ちに辞職か除名になるのは当然で、それが究極の再発防止策
だ。



1998年1月10日付の産経新聞3面 

【橋本日誌】9日 大雪「思ったよりけが人が多い」
1998.01.10 東京朝刊 3頁 総合3面 (全1,207字)  
 【午前】9時13分、公邸から官邸に移り、執務室へ。「大雪で君らは官邸に出てこれないと期待してたのに、残念だなあ。予想していたよりけが人が多い。東京では普段降らないから、みんな雪の中の歩き方を知らないんじゃないのかな。まだ、救急車が動いているようだ」。29分、大客間へ。

 「きのう、参院で押しボタン式の採決システムが公開されたが、これをどう思うか」に「僕は前から、あれいいなと思っていたし、非常に合理的なシステムだと思う。これを導入された参院の決断に敬意を表したい。その上で、システムの運用を間違わないだろうなと心配している」。30分から49分、地球温暖化対策推進本部第一回会合。51分、執務室へ。52分から1分間、古川貞二郎官房副長官。54分から58分、三塚博蔵相。10時から11分、閣議。12分から16分、小渕恵三外相。17分から21分、古川官房副長官。

 22分から1分間、江利川毅、太田義武新旧首席内閣参事官が就、退任のあいさつ。24分から34分、林貞行駐英大使。36分、小食堂へ。日英首脳会談の勉強会。林貞行駐英大使、西村六善外務省欧亜局長らが同席。11時47分、官邸発。正午、東京・銀座の交詢ビル着。「交詢社」の賀詞交換会に出席。

 【午後】0時15分、交詢ビル発。26分、官邸着、小食堂へ。

 「ブレア英首相が午後来日するが、今回の首脳会談で最も念頭に置いているのはどの点か」に「これはもう完全に彼との関係をよりフランクにしようということだ。既にCOP3(地球温暖化防止京都会議)では『おいちょっと、ヨーロッパを何とかしてくれ』と頼めば動いてくれる関係ができているが、もっと深くなるようにしたい」。

 49分、執務室へ。1時から17分、田村元・元衆院議長。30分から43分、総理府の平野治生、石出宗秀新旧次長、安藤昌弘賞勲局長ら。44分から2時1分、環境庁の田中健次、大西孝夫新旧事務次官、岡田康彦企画調整局長。2分から29分、牛尾治朗経済同友会代表幹事。30分から3時20分、村岡兼造官房長官、自民党の保利耕輔国対委員長、川崎二郎、大島理森両国対副委員長。30分から4時24分、佐藤謙防衛庁防衛局長、外務省の加藤良三総合外交政策局長、高野紀元北米局長、竹内行夫条約局長ら。

 25分から34分、越智通雄自民党代議士。38分、官邸発。「十一日で政権二周年を迎えるが、振り返ってどうか」に「緊張の切れることのない毎日だな。その一言に尽きるな」。45分、東京・紀尾井町のホテルニューオータニ着。ホテル内の理容室で散髪。5時52分、ホテルニューオータニ発。57分、公邸着。

 「福井謙一さんの件だが、あまり知られていなかった若い時に発見した理論で、後になってからノーベル賞を受賞され、有名になられて、僕などはひそかな誇りを覚えた。そういうことで前例はないかもしれないが、弔電を打たせていただいた。心からごめい福を祈る」


大義を失いつつある参院選 国民が求めるのは「二大政党制の完成」

2010年04月06日 06時59分26秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏

 おはようございます。

 きょうから本格的に後半国会がスタートしそうですが、予算成立が3月24日と思いのほか早かったので、ここのところ、政治から離れて、頭がスッキリしました。

 さて、戦いには「大義」が必要です。口実と言ってもいいかもしれません。ブッシュ政権は「大量破壊兵器の存在」を大義、口実にしてイラク戦争を始めました。ちなみに戦争に勝ち負けはあっても、善と悪というものは存在しません。

 遅くとも7月25日までに投票を迎える第22回参議院通常選挙の「大義」とは何か。それは、「政権交代可能な二大政党制の完成」だったんだと思います。

 昨年夏、日本国民の最も暑い夏に、私は全国で民主党幹部の遊説をたくさん聞きました。それは、まさに「政権交代」「政権交代」という言葉が呪文のように繰り返される演説でした。これは聴衆の反応を見た上で、幹部は示し合わせて「政権交代」というキーワードに統一して、第45回衆院選の「大義」として自信を持って“集中爆撃”したんでしょう。

 私が実際に聞いた限り、鳩山由紀夫代表、岡田克也幹事長、菅直人代表代行は、「政権交代」と言っても、「二大政党制」という言葉は1回も使っていないと思います。これは、2009年8月時点での日本国民には、「二大政党制」が目に見えていなかったからだと思います。

 第45回衆院選の国民の選択は「政権交代ある二大政党制」であって、「民主党政権」は二の次だったと思います。

 「2人区での2人擁立」が全国的な話題になっています。現在の国政において、「2」という数字は、民主党と自民党の「1+1=2」を連想させるのに、小沢一郎さんが「2+0=2」を目指していることに、「民主党一党独裁体制」を狙っているかのような恐怖心を全国民に与えることになり、投票先から民主党支持率が急落しているのだと考えます。小沢一郎さんが自民党支持団体すべてに手を突っ込んでいるのも問題です。

 小沢一郎さんは、二大政党を目指した新進党を解党し、ミニ政党自由党で小渕恵三自民党内閣と連立した過去があり、私は、彼は二大政党論者ではないと疑っています。自由党出身の山岡賢次国対委員長は「民主党政権は30年続く」と語ったとされています。

 自民党もようやく次の内閣にあたる「政権力委員会」というのを作ってくれるようで歓迎したいです。政務調査会でも国会対策委員会でもなく、選挙対策本部に置くようで、新しい試みとして注目したいと思います。

 さて、大義を失った参院選まで3ヶ月。ここからどう立て直すかということですが、基本的には、かなり厳しいと思います。一度擁立したものを取り下げるということは士気に関わります。「比例転出」などという理由を付けて、2人目を比例に回すという手もあります。

 自民党が次の内閣を作ったということは、国民が二大政党制の完成を望んでいることに日常活動で気付いている証拠だと思います。みんなの党も、第3極を目指しているのではなく、政界再編の起爆剤を目指しています。

 このように選挙というのものは、大義、戦いの構図の設定を失敗すると闘えません。小沢一郎さん率いる大義無き戦いに突入します。さながら太平洋戦争のようにも思えますが、これは7月11日(~25日)には終戦することが決まっている戦いだからまだマシかもしれません。引き際が大事です。


小沢一郎さんが役職辞任、議員辞職、政界引退へ 参院選悲観か?

2010年04月01日 11時11分11秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏

 民主党の小沢一郎幹事長が辞任する意向を固めたことが1日、分かった。通常国会中に衆院議員も辞職し、政界を引退する見通し。きょう午後にも、首相官邸を訪れ、代表に辞意を伝える。代表は慰留しない見込み。その後、衆議院議長公邸を訪れ、議員辞職届を提出する。

 小沢氏は、先月から、第22回参院選の情勢に悲観的になっていたとみられ、秘書や側近議員に「辞めたい」、「もう何もかも嫌になった」、「新進党を解党してしまったことが一世一代の失敗だったと今でも悔やんでいる」などと語っていたもようだ。

 また、先週、匿名で「世田谷区内を、Oさんが裸で歩いている」と通報があり、確認したところ、小沢氏に似た人物を発見。話を聞こうとしたが、「今、囲碁をしていて都合が悪い」といったんは拒否。その後、「話さなくても、収支報告書に全部、書いてある」、「これも可視化の一環だ」、


裸のO様って誰のことだ?」などと訳の分からない話を繰り返したため、この日は慎重に対応し帰宅させたとの一部情報もある。

 議員辞職に伴う衆議院岩手県第4選挙区の補欠選挙は、7月の参院選と同時に実施される見通し。

 小沢一郎氏は、1969年の第32回衆院選で初当選。連続当選14回で、父親の佐重喜氏と合わせると、親子で連続当選24回していることから、全国の政権交代フィーバーとは裏腹に、地元では沈滞ムードが漂っていた。

 平成元年(1989年)の第15回参院選で、宇野宗佑総裁(首相)率いる与党が36議席と大惨敗し、同じ派閥のライバルの橋本龍太郎幹事長が辞任。かわりに与党幹事長のポストが転がり込んできたが、平成22年になって、逆に不戦敗のまま政界を去るという皮肉な結果となった。

な~んちゃって、エープリルフールだよ~ん。