(画像は東宝映画『小説吉田学校』から、吉田茂(森繁久彌)が第5次吉田内閣総辞職を決めたシーンをキャプチャ)
「旧吉田茂邸」(大磯プリンスホテル別館)が全焼しました。神奈川県大磯町消防本部に午前6時ごろ、通報があったそうです。
1964年(昭和39年)11月、大統領になる前のリチャード・ニクソンが大磯の吉田邸を訪問しました。ニクソンは次のように回想しています。
「吉田は着物に足袋の姿で玄関に出迎えてくれた」「はじめて伝統衣装(=キモノ)をまとった吉田を見て、明治の人間の中に共存する東と西とを考えずにはいられなかった」「私が知り得た指導者の中で吉田は最も西欧的でありながら、また同時に最も日本的な人物であった」
1965年(昭和40年)秋、英国王女夫妻も大磯を訪問されました。
王女が吉田邸から見える「マウント・フジ」を眺めながら、
「富士山の頂上はいつも雲がかかっていて、まだ一度もその全体の姿が見られないのは残念です」と言うと、吉田茂は
「富士山は自分より美しい人に眺められると、はにかんで顔を隠すのです」と答えました。
「吉田のユーモアは晩年に至っても健在」でした。
(以上、引用文献は塩澤実信『人間 吉田茂 昭和の大宰相の生涯』光人社)
残念でなりません。
[大磯の海(太平洋)を眺める吉田茂]
(東宝映画『小説吉田学校』からキャプチャ、森繁久彌演じる)
「旧吉田茂邸」(大磯プリンスホテル別館)が全焼しました。神奈川県大磯町消防本部に午前6時ごろ、通報があったそうです。
1964年(昭和39年)11月、大統領になる前のリチャード・ニクソンが大磯の吉田邸を訪問しました。ニクソンは次のように回想しています。
「吉田は着物に足袋の姿で玄関に出迎えてくれた」「はじめて伝統衣装(=キモノ)をまとった吉田を見て、明治の人間の中に共存する東と西とを考えずにはいられなかった」「私が知り得た指導者の中で吉田は最も西欧的でありながら、また同時に最も日本的な人物であった」
1965年(昭和40年)秋、英国王女夫妻も大磯を訪問されました。
王女が吉田邸から見える「マウント・フジ」を眺めながら、
「富士山の頂上はいつも雲がかかっていて、まだ一度もその全体の姿が見られないのは残念です」と言うと、吉田茂は
「富士山は自分より美しい人に眺められると、はにかんで顔を隠すのです」と答えました。
「吉田のユーモアは晩年に至っても健在」でした。
(以上、引用文献は塩澤実信『人間 吉田茂 昭和の大宰相の生涯』光人社)
残念でなりません。
[大磯の海(太平洋)を眺める吉田茂]
(東宝映画『小説吉田学校』からキャプチャ、森繁久彌演じる)
以上
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