岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

長島愛生園歴史館

2008-06-26 14:34:08 | ハンセン病
長島をほぼ横断した時、小さな橋が現れ、その先の入り江に建物が並んでいた。
入り江の先には教会もあった。
青空と澄んだ海、美しい風景だ。
橋を渡り、一番手前の駐車場に車を停めた。
多くの車が停まっている。職員の方の車だろうか。
海岸の道を頻繁に走っているのは工事関係の車だ。
この日も工事関係の方を多く見た。

入り江の中央部分に小高い丘がある。その中腹に古い2階建の建物がある。
外壁を蔦におおわれていた。
これが歴史館かと見当をつけて、駐車場からの道を登っていった。
建物の正面に立つと「長島愛生園歴史館」とあった。
写真を撮り、中に入る。
古いがきれいに整備された玄関の受付に入館名簿がおかれていた。
訪問者の最後に名前を書いた。
訪問者は多くはないが、県内の福祉系大学の名前もあった。

係りの人はいない。訪問者もいない。
置いてあるパンフレットを2種類いただく。
ひとつは長島愛生園歴史館のもの。
もうひとつは岡山県発行の「ハンセン病のこと正しく知っていますか」というパンフ。
館内は撮影禁止だった。これは残念。

資料によるとこの建物は、旧事務本館とある。
愛生園設立時(昭和5年)から平成8年まで使われていた。
順路に従い、まず玄関隣の応接室に入る。
ここは、この園ゆかりの人々のコーナーがある。
初代園長・光田健輔、神谷美恵子、小川正子。
そして、皇室の人々。
この人々の名前からでも愛生園の歴史が見えてくるはずである。

光田初代園長の歴史的評価は今となってはとても厳しい。
しかし、療養所の適地を探して日本国中をめぐり、一生をハンセン病
(彼の場合はらい病という表記が正しいのかもしれない)に尽くした。
その熱意はどこから来たのだろうか。知りたいと思う。

精神科医としても高名な神谷美恵子先生。
愛生園には、1958年から72年まで勤務されている。
「なぜ私ではなく、あなたが?」という有名な言葉は、ここ愛生園の体験が
もとになっているといわれる。
先生の著書「生きがいについて」は今も、多くの人々に感銘をあたえている。
クリスチャンでもある先生の精神性の高さは、やはりここで磨かれたのでは
ないだろうか。
このことひとつを見ても、病者や障がい者から受け取る力の大きさを感じる。

小川正子氏。
忘れられた人だ。
戦前「小島の春」という小説を書き、それがベストセラーになり映画化された。
無らい運動の啓蒙的役割を担うことになったようだ。
私も知識はない。これから学んでいきたい。

そして皇室の写真。
皇室とハンセン病のつながりは古い。今もかかわりは強い。
明治時代から後、天皇制度とハンセン病とのかかわり、
そして社会事業自体へのかかわりは、とても一筋縄ではいかない。
これから学んでいくことの中心になると考えている。

このように一部屋みるだけで、頭の中はいっぱいになる。
次は、再現された園長室だ。
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3 コメント

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貴重な見学ですね (bonn1979)
2008-06-26 23:37:32
○ 森 幹郎(初代の老人福祉専門官)氏が若い頃、長生園に勤務していたと聞いたことがあります。
*老人政策研究の開拓者

○ 「小島の春」は、子どものころ、タイトルだけ聞いたことがあります。

○ キリスト教は、(短絡的ですが)アメリカ大統領が聖書に手を置いて宣誓していますが、これが原爆投下からベトナム、イラクへと連想してしまいます。(選民思想)

○ ハンセン病は
鹿児島県はゆかりが深いです。鹿屋、奄美にありましたね。

・・いずれにしろ、こちらは軽薄な感想ですが、独特のタッチでよく見学の雰囲気というか心持が伝わります。
見学の意義 (岩清水)
2008-06-28 11:47:53
やはり現地には行かなくてはなりませんね。
今回も痛感しました。
私には愛生園のイメージがありました。
しかし、現地とは違っていました。

「小島の春」は、ハンセン病と診断されたこどもたちを長島に連れて行く話と聞いています。
九州からだと思います。

宗教のかかわりも大きいですね。仏教は否定的な役割をしたと書かれています。
とにかく、ハンセン病は「大きな山」です。

コメントありがとうございます。
Unknown (peaceful)
2009-05-28 07:20:14
【小島の春】の小川正子先生は過去の人ではありませんよ。

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