岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

吉備路の旅 1

2009-05-25 21:26:19 | 岡山
ガイド二日目を書いていきましょう。

9時に城下にあるコンフォートホテル岡山に二人を迎えに行きました。
朝の後楽園にでも散策したのか、と聞くと夢の中だったそうです。

旅に出ると朝速く起きて散策するというのは古い人でしょうか。
とても気持ちよいものですが。

観光のスタートは、市内、わがファジアーノ岡山のホーム。
桃太郎スタジアムで、京都のサッカーファンである二人に、岡山の聖地を
観てもらわなくてはなりません。
桃スタに着くとすでにこの日のホームゲームのための準備を始めていました。
(この日の試合は、草津に負けてしまいました。残念)

お二人に観てもらいたかったのは、桃スタの正面に立つ二つの銅像。
人見絹枝さんと有森裕子さんです。
有森さんがすでに銅像になっていたのには驚いていました。

スタジアムに入ると芝のピッチが見えます。
とても美しいと観ていました。

このフロントロビーの地下には、弥生時代の遺跡があります。
足元にはガラス越しに発掘当時の現場がレプリカで紹介されています。
興味深く観ていただきました。

実は、桃スタの地下3mの地層を切り取ると弥生前期(紀元前)から、今日までの
人々の営みが、折り重なっています。

私はこの地で生を受けたのですが、それは2000年以上の営みのほんの表面の砂粒でしかないことが、
一目でわかります。

そして、その吉備人の営みを平面で観ることができるのが、吉備路の旅です。

古くは古墳時代から、天平、中世、近代、現代まで順不同で登場します。
弥生時代の遺跡を観た私たちは、吉備の中山を目指します。

吉備の中山といえば、
「まがね吹く吉備の中山帯にせる細谷川のおとのさやけさ」古今集
ですね。
吉備の中山は、吉備の真ん中にある聖地と言われます。
この山の裾野の吉備津彦神社と吉備津神社があります。
祭神はともに吉備津彦、8世紀ごろの創建です。

吉備津彦神社は備前一宮。
吉備津神社は備中一宮。

吉備国は、大和政権によって、三つの国に分割されます。
吉備の中山のそのまた真ん中で、備中と備前が分けられました。
そのため、備中、備前とも、この聖地に一宮が必要だったのです。

吉備津彦は、桃太郎のモデルと言われます。

しかし吉備津神社の正面にたつ巨大な銅像は桃太郎ではありません。
場違いとも思える犬養木堂の銅像です。

若い二人も、犬養毅は知っていました。木堂なんぞや、とは言いましたが。

木堂はこの地の出身です。
吉備津神社への支援をしたことでも知られます。
銅像の台には、犬養家の由緒が書かれています。

犬養家の祖先は、吉備津彦に仕えた神だと!

桃太郎といえば、犬と猿。
そうか、木堂さんの先祖は犬の神か。
すると、「猿は、猿田彦か」と楽しみます。

吉備の旅はまだ序盤です。

※写真は木堂の像。建てられたのは暗殺の2年後です。いかに惜しまれたか、わかります。


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