「森友文書」改ざん前、改ざん後を読んでみました。
なかなか全文という言うわけはいきません。
コピーは粗いし、日頃、このような行政文章を読むこともありませんから。
ただ、改ざん後の文章のみを読んだ方は、ことの経緯がわかりにくいと思います。
会計監査院も、「よくわからない」という趣旨の発言をしていますが、そうだと思います。
改ざん前の文章を読んでみると、とてもわかりやすいです。
これは、この改ざんという行為が不自然で無理な行為だということです。
ですから欺き通すことも難しいと思います。
ポイントは、どうしてこのような改ざんをしなければならなかったのか。
「そんなことは無理だ」といえなかったのかということです。
そのことを考えていくと、無理なことを無理と言えない力が加わって、
意に反して無理を承知で、改ざんしてしまったのでしょう。
亡くなられた方の書き残されたメモは、責任を背負わされた現場の苦悩そのものです。
森友学園との交渉自体が大変困難な案件であり、政治家や理事長、弁護士と対応に苦慮したあげくに、上司や同僚からも「冷たい」対応をされたのでしょう。
皆さん、逃げ足は速いですから。
国有地の売買には政治家がかかわることが多いといいます。
多額のお金を動くことから政治家を利用し、政治家もお裾分けをいただく構図があるのでしょう。
そして明らかなのは、森友問題は「総理夫妻」案件であることです。
夫人が動かなければ、財務省も土地を売ることにはならなかったでしょう。
決定的な役割を、のほほんと行ってしまったのです。
罪が深いです。