岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「森友文書」について真剣に考えておかなくては。

2018-03-17 22:41:51 | 国民と国会と政治

「森友文書」改ざん前、改ざん後を読んでみました。

なかなか全文という言うわけはいきません。

コピーは粗いし、日頃、このような行政文章を読むこともありませんから。

ただ、改ざん後の文章のみを読んだ方は、ことの経緯がわかりにくいと思います。

会計監査院も、「よくわからない」という趣旨の発言をしていますが、そうだと思います。

改ざん前の文章を読んでみると、とてもわかりやすいです。

これは、この改ざんという行為が不自然で無理な行為だということです。

ですから欺き通すことも難しいと思います。

ポイントは、どうしてこのような改ざんをしなければならなかったのか。

「そんなことは無理だ」といえなかったのかということです。

そのことを考えていくと、無理なことを無理と言えない力が加わって、

意に反して無理を承知で、改ざんしてしまったのでしょう。

亡くなられた方の書き残されたメモは、責任を背負わされた現場の苦悩そのものです。

森友学園との交渉自体が大変困難な案件であり、政治家や理事長、弁護士と対応に苦慮したあげくに、上司や同僚からも「冷たい」対応をされたのでしょう。

皆さん、逃げ足は速いですから。

国有地の売買には政治家がかかわることが多いといいます。

多額のお金を動くことから政治家を利用し、政治家もお裾分けをいただく構図があるのでしょう。

そして明らかなのは、森友問題は「総理夫妻」案件であることです。

夫人が動かなければ、財務省も土地を売ることにはならなかったでしょう。

決定的な役割を、のほほんと行ってしまったのです。

罪が深いです。


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